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「2月は逃げる」って言いますが

(2005年2月1日 火曜日 晴)

 「寒波到来、強風がオーバーを突き通していきます。今日から2月。1月はお葬式以降バタバタと日を重ねて、あっと言う間に終わってしまいました。

 「2月は逃げる」と言い、これまた飛ぶように時は過ぎ去っていくのでしょうね。出来る限り一日一日を大切に、悔いの無い春を迎えたいと思います。

 10時過ぎに役場ヘ到着。地域就労支援事業に係る情報公開の閲覧をします。本事業の業務委託料として、町は島本地域人権協会に年間2百30万4千円を支払っています。

 事業費の殆どが人件費です。就労支援は大切な事だと理解はしていますが、事業担当者は一体どんな仕事をしているのだろうか。特に委託事業であり、場所も本庁から離れた人権文化センターで行われていることから、私もよく分らないできました。

 そこで、毎月の勤務表と毎日の業務日誌を請求しました。個人名を除いて公開されました。支援件数はまだまだ少ないですが、1件ごとへのかかわりは丁寧にされているようです。しかし、費用対効果は合格点には達していないでしょう。今後、退職町職員の安易な“天下り”先にさせないよう、チエックしていきます。

 次に、3月議会の補正予算要求書の開示を受けます。毎議会の前には必ず請求している情報です。議会運営委員会の2週間前、議員よりも早く予算の中身を知ることが出来ます。私なりに議会傍聴の準備をしておくためです。特筆すべき内容のものはありません。

 2時からの図書館懇話会傍聴の前に、町民税・府民税の申告をします。保育サポーター料が雑収入に当るためです。受け取っている金額は課税されるには程遠い金額ですから、申告しても税金は0円なのですが、住民の義務ですから手続きだけは経ておきました。

 税務課の、特に若い職員さんは言葉づかいも丁寧で、礼儀正しいです。後で課長と廊下ですれ違った時に、「気持ちが良くて、うれしかったです」と伝えておきました。

 図書館懇話会で注視しておかなくてはならないのが、図書館への指定管理者制度の導入にかかわることです。この制度は従来の管理委託制度とは異なり、図書館の実質的な経営、運営を民間の営利事業者を含めた者に丸ごと任せちゃう制度です。

 委員の多数は制度の導入には、懐疑的な様子です。しかし、担当課長は少し「含み」を感じさせる発言でした。

 私は町立図書館に関しては、指定管理者制度を導入すべきではないと思っています。理由は、現図書館の運営はうまくいっていること、正職員は3名で人件費は既にスリムになっていること、ボランティアのかかわりも充実してきており、図書館を基盤として地域の文化が育っている事等々です。

 帰り道、元「青年の家」除去工事を見に行きました。パネルの隙間から覗いていると、ガードマンは正面の扉を開けて見せてくれました。幼稚園に接する建物はまだ残っていましたが、予想外の速さで壊されていっている事に驚きました。

 


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ホームページの自主管理はまだまだです

(2005年2月2日 水曜日 晴)

 朝起きると粉砂糖をふりかけたお菓子のような街が出現していました。やがて朝日が当ると、雪はキラキラ輝いてそれは綺麗。そして街中が忙しく活気を帯びてくるころ、天から降りてきた時と同じように、いつの間にかまたサラサラと空へ戻っていきました。

 住んでいるメゾン水無瀬の最上階から山を背景に街並みを撮影しましたが、綺麗に取れていなくてがっかりしました。

 子どもみたいに雪を喜んでいる間に、個人情報保護運営審議会の開会をすっかり忘れてしまいました。担当課の説明では「本日は改正条例の審議継続で、議会への条例上程までまだ少し時間がありそうです」とのことなので、傍聴はお休みする事にしました。

 さて、メールを開いてみると、うれしい便りがありました。私のこのホームページは夫と夫の“師匠”が管理人さんになってくれていますが、尊敬する“師匠”から励ましの言葉をもらったのです。

 2ヶ月間の毎日の日記に関して、その内容が「おもしろい」こと等を誉めてくださり、「トコトン付き合います」と今後の指導についても約束してくださいました。夫も私もホッと胸をなでおろしていますが、これってやっぱり自立していないですかしらね。

 夕方から歯が痛くなってきたのですが、騙し騙ししながら、ついつい夜更かしをしてしまいました。

 


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川口議員町長選出馬ですって?

(2005年2月3日 木曜日 晴)

 結局夜更かしは、今日の午前3時までしてしまいました。以前に途中で放り出した本を手にしたり、引き出しの中を整理したり、行政資料を読んだりしている間に夜更けの時計の針はグルグル早周りをしているように進んでいたのでした。

 歯に違和感を感じながら、3時間眠って起きたところ・・・わーっ!顔が腫れているー。歯科医院が開くのを待って駆け込みました。歯医者さんは「お大事に」のあと「疲労やストレスが一番いけません。今夜は10時には寝ること」と付け加えました。

 家に帰ると澤嶋さんから電話があって「川口議員が町長選挙に出るそうよ」とのこと。「ええっーっ!」です。首長選挙が、現村田町長の無風勝ちなのは良くないとは思いますから、その点においては歓迎すべき状況に一歩進んだとも言えます。

 しかし、「なんで川口さんなん?」と思いました。だって、彼は村田町政を支えてきた与党議員なのですから。私の記憶では、町長提案の議案に対して彼が反対したことは一度も無かったはずです。

 さらには彼の議員活動や議場での弁論内容から「改革の志あり、首長にしてもええやん」と思ったことも全くありませんでした。これは当然、私との主義主張の異なりを抜きにしてもなおかつとの注釈つきですが。

 単なる噂話ではなく、澤嶋さんが本人から聞いたというのでこれは本当のことでしょう。そして、もっともっと前にこの話は決まっていたはずです。(この類の話には市民派の情報網は強くないのが常ですから)

 いずれにしても、町長選挙は私には関係することではありません。ただ、ひとり勝ちを信じて安穏としていた村田町長はさぞ慌てているでしょうね。

 


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議員定数削減について住民意見を求めない事決まる

(2005年2月4日 金曜日 晴)

 10時からの議員定数等検討特別委員会を傍聴します。前回からの検討課題である住民の意見聴取について、前提条件として「3月議会に間に合う実施」が付き、賛否が問われました。

 「実施する」・・・5人、「しない」「次期へ申し送り」「保留」・・・10人となり、アンケートや公聴会等の実施はなくなりました。

 私は今からでは、もう無理だと思いました。3月議会の中身が決まっていなければならない2月17日の議会運営委員会まで、あと2週間しかないのですから。それぞれの議員が本会議までの間、今一度住民に問うてみるしか方法はありません。精一杯やって欲しいと思います。

 まあ今回の議案提出「削減派」の作戦勝ちでしょうか。土壇場で出してくるのは分っているはずなのですから、「削減したくない派」或いは「住民の声を聞く派」はそれなりの準備は必要でした。

 むしろ自分たちの方から「現状維持」もしくは「増員」(法が26人と定めていると主張するならば)の請願や議案提出をこの4年間の早い時期に出し特別委員会を設置し、住民意見も多様な形で聞くことが可能だったはずです。

 どうも傍聴席で聞いていると、削減賛成派の発言のほうに「なるほど」と思ってしまうことが多いような気がします。

 S議員の「削減反対なら、増員の条例案を提出すればよい」理屈から言うとその通りです。

 O議員の「共産党は途中で3人が2人になったが、2人で3人分の仕事を頑張っているではないか。18人が16人になるということは、個々の議員がよりしっかりと働くことに繋がるのではないか」そう、住民は議員にちゃんと働いてくれと思っています。

 「削減すると、3常任委員会の委員構成がいびつになる」のH議員の意見には、多くの議員が「委員会は2委員会にする事も可能」と返しました。私もそうだと思います。

 いろんな意見が出て、最後に出てくるのは「削減すると議員が多様な人々の代表とならないのではないか」「民意の反映がされなくなるのではないか」の削減派の主張です。これはそうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 この答えに私が用意しているのは、次の事実です。

 4年前20人から18人に削減された中で、まさに私たち住民の民意を反映して平野・澤嶋両市民派議員が選ばれたのではないですか。これは議員定数の削減によって、民意の反映が弱まる事はないというひとつの事実です。

 次回の委員会は・・・2月10日(木)10時から 役場3階委員会室 ですよ

 委員会が終わって、川口議員に町長選出馬の事を聞いてみました。今日の午後、記者会見で正式発表をするとのことでした。その決意に対しては、私も大変な事だと経験済みですから称えたいと思いますが、それでも「なんで川口さんなん?」との思いは消えません。

 夕方6時から、小沢福子さん、平野さん、澤嶋さんの4人で私の家に集まりおしゃべり会をしました。私の作った豚汁と実費支払いのコンビ二弁当で、延々午前1時半まで話していました。小沢さんの尽きぬパワーはまだまだ延長可能のようでしたょ〜。

 


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困ったカンパどないしょ

(2005年2月5日 土曜日 晴)

 お昼前にお寺さんに来て頂き、早いもので義母の法要も四(よ)七日を終えました。

 郵便受けに、カンパが入った手紙が来ていました。(本当は現金は現金書留で送らないといけないのですよ)これで3回目、計1万5千円になります。たぶん本名じゃない「島本○○」さんからです。手紙のみや葉書をあわせるともっとたくさんの回数に上ります。

 手紙の内容はいつも同じです。「町長選挙は○○党と共闘して、あなたか○○党のTさんが立候補しなさい」というものです。

 「私はもう一度、議員として仕事をしたいと願っていますので、町長選挙に再びの立候補はありません」といろんな場で何度も表明しているはずなのに、相変わらずこのように言ってこられるのは「なぜかしら?」と不思議に思います。

 そして私とTさんのいずれかと書いてはあるものの、言外に明らかなのは私に「Tさんの立候補に協力しなさい」ということです。

 「協力するもしないも、今の私には関係ないことです」とはっきり伝えたいけれど、連絡方法もわかりません。従って「島本○○」さんの意思が込められたカンパを頂くことが出来ないわけですが、お返しすることもままなりません。

 折をみて、震災被災地への支援カンパに振り替えさせていただこうと思っています。「島本○○さん」どうかご了解くださいね。

 


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元「青年の家」除去工事に係る有害廃棄物の情報

(2005年2月6日 日曜日 晴)

 工事のしょっぱなから、隣接の第一幼稚園にノコギリやパネルが降ってくるは、有害なアスベストの有無が確認できないまま工事を続けるはで、保護者の怒りと疑義が噴出しましたが、工事はどんどん進み、あと取り壊しの建物一部を残すのみになっています。

 私がこの日記の12月17日で書いています心配が現実となってしまった訳です。町が慌てふためきながら取った工事の改善対策も、アスベストの報告書も本来、全て工事前に示されているべきものでした。役場も議会も詰めが甘かったことを大いに反省すべきです。

 特にアスベストに係っては報告書が出るまで、工事はなんとしても止めるべきでした。それは、アスベストは存在していたからです。

 住民特に幼稚園児の保護者にとっては、建物解体に法の規制がかかる「吹きつけアスベスト」なのか規制の無い「アスベスト含有材」なのか、そんな事は問題じゃないのです。子どもの体に有害なのか無害なのか、そこに視点をすえるべきだと保護者は訴えていたのです。

 法律は「これより拙い事をすれば罰します」ということであって「より良い方法を取ってはいけない」と言っている訳では決してありません。

 「大事な事を確認しないで事業を進める」これは今後も町の全ての施策に係ってくる問題です。このことをないがしろにした今回の町の姿勢は、私も保護者同様許せない思いでいます。

 まあ、それでも何のかの言いながら、町は除去工事は山を越えたと考えています。勿論住民、保護者の間にもそのような意識が生まれているのも事実でしょう。

 そんな中で私が果たしていくことは情報を求め、ひとつひとつ確認をしながら地道に歩んでいくことだと改めて、自分に言い聞かせています。

 その確認事項の一つにアスベストと同様有害物質である、ダイオキシンとPCB廃棄物の存在があります。

 ダイオキシン類については、元「青年の家」の焼却炉の灰と土壌を調べたものです。2002年11月に測定していますが、いずれも基準値内でした。

 *焼却灰  0.13(基準値は3.0)

 *土 壌  170.0(基準値は1000.0)

       (単位は pg‐TEQ/g‐dry)

PCB(ポリ塩化ビフェ二ル)廃棄物については、2002年10月に低圧コンデンサ180台を移動保管し、2003年8月に高圧コンデンサ2台の保管場所を変更しています。なお、所在不明の低圧コンデンサは40台あります。

 金曜日に情報公開請求で開示を受けた資料を、今日日曜日にゆっくり読みました。

 


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子どもたちにみんなが関心を寄せる地域にしよう

(2005年2月7日 月曜日 曇時々雨)

 毎朝保育サポートをしている女の子を集団登校の場所まで送ります。集団で出発した後、パラパラとひとりで行く子どもたちがいつも数名がいます。遅れて走ってくる子、ひとりがいいのかそれともひとりぼっちなのかゆっくりと先頭の集団に追いつかないようにぼそぼそ歩いてくる子、泣きべそをかきながら急ぐ子等々がいます。

 私はメゾン水無瀬内を通る全ての子を見届けてから家に戻るようにしています。「おはよう」、「いってらっしゃい」、「大丈夫、大丈夫歩道橋のところで追いつくよ」と必ず声をかけています。

 どの子からも返事がかえってくるのには、正直驚きました。声に出さなくても手を上げたり、ニッコリいい顔をしてくれます。いつの間にか私の存在を受け入れてくれているようです。たまに、お母さんたちからも「毎朝見送ってもらってありがとう」とお礼の言葉ももらいます。(きっとベランダからこどもたちを見ておられるのだと思います)。

 私はたまたま居るだけですが、補導役員の保護者は何か起るごとに付き添っていったり、連絡をとりあったりで、特に昨今は事件への可能性もあり大変だと思います。また校長先生も自転車パトロールをしながら子どもたちを見送ってくださいます。

 1月24日、臨時の校長会の記録を情報コーナーのファイルで読みました。町内において、不審者情報が連続発生している事がわかりました。

 1月14日・・・午前9時30分、島本高校に不審者侵入。女子高生をつけてきた男が校舎内に侵入し逃げる。被害はなし。

 1月18日・・・午後5時30分、江川集会所付近で男子児童が中年男性に「いい物上げるから」と声をかけられる。被害はなし。

 1月20日・・・午後5時30分、水無瀬病院付近で自転車の男が手招きし、児童の後ろをつけてくる。被害はなし。

 1月21日・・・午後3時30分、若山台付近で自転車の男が女子児童に「家まで送る」と声かけする。被害はなし。

 校長会で対策が話し合われています。緊急対応として2月4日まで下校時のパトロールが行われました。その他様々な指導、働きかけの必要性が話し合われています。

 「島本も決して他人事ではない」との意識換気が関係者のみならず、地域全体で必要になってきたのです。

 私の毎朝の見送りも少しは役に立っていることかもしれないなと思いました。

 


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やっと遊べる森前公園

(2005年2月8日 火曜日 雨のち曇)

 雨が降っていましたが、車の便があったので東大寺3丁目の森前公園を見に行きました。日記にも何度か登場していますが、近隣住民から要望があった補修工事が終了したと聞いたからです。

 私は現場で幼児らの保護者に2度にわたりお会いし、直接声を聞いているので、どのような工事がされたのかを確認しておかなければならないと思っていました。

 今回の工事は危険箇所を早急に補修することが先ず求められました。そのためには「今年度の予算の範囲内で」との条件がつきました。

 町が手持ちの工事用資材を活用し、工事費のみで請け負わせたと聞いています。約6万円の支出で収まったようです。

 工事のメインである滑り台基礎安定の為のコンクリート製「はかま」は、美的感覚からはチョット外れているようにも見えますが、仕方がないかなと思います。

 もう一つの大事な工事は、滑り台を備え付けている築山から落ちる事があっても、受け止めることが出来る防護柵の設置でした。築山に接近して側溝が走っており、転落、激突すれば大怪我は必至です。柵は設けられていましたから、ひと安心です。

 私は保護者の方の感想を聞きたかったので、お宅を訪ねしましたが幼児のお母さんはお留守で、おばあちゃんにお訊ねしました。「狭い築山のてっぺんで、子どもが押し合ったりすると危険なのでそこにも柵をつけて欲しい」と言われました。

 お聞きして帰ってきたのですが、意見の分かれるところだなと思います。私は子どもの遊びの世界で、伝え合ったり、譲り合ったりしてトラブルを回避していくことを学んでいくのはとても大切だと思っているのです。したがって、構造上の欠陥でない限り、過保護にならない遊び場の提供を町はしたほうがよいと私は考えています。

 いちおう担当職員には前述の方の意見は伝えておきました。そして私からは、工事着手の時期や工事の中身について「もう一押し」との思いもありますが、子どもたちが再び公園で遊べる事に対する感謝の気持ちを伝えておきました。

 昨年の10月終わりに森前公園の状況を知り、3ヶ月を経て補修が完了したのですが、私はこれはやっぱり長くかかりすぎだと思います。

 当該地域には何人もの議員が居るにも係わらず、当公園の状況を把握していないことや関係団体等からの要望も私が担当者のおしりをたたき始めてから出てきたことを考えると、折角勇気を出して町に訴えにこられた若いお母さんの願いに応える、いま少しの努力が町に欲しかったと感じています。

森前公園全景
スベリ台を設置している築山全体にビニールシートを被せ使用禁止にしている(左側建物は東大寺3丁目集会所、後方は名神高速道路の防音壁
森前公園01
森前公園02 森前公園03
スベリ台基礎補強
フェンス設置
スベリ台の土台は土がえぐれて不安定であったため、コンクリートの袴で補強した。 築山からの転落により、道路側溝等に衝突する危険性が大きくフェンスを設置した。
 

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教育委員会議傍聴

(2005年2月9日 水曜日 晴

 午後2時30分から教育委員会議定例会の傍聴をします。案件は報告事項のみで早く終わりました。報告の中では、学力状況調査の分析結果に対して質疑が少しありました。

 昨年、試行的に第一中学校3年生と第四小学校6年生におこなわれ学力テストはベネッセという民間会社に委託して実施されました。ベネッセが出した全国平均と当町の結果が図形にして示されていました。

 国語、算数(中学校は数学)は全国平均をかなり上回る結果です。さらには「生きる力」って比較できるのかどうか知らなかったですが、それらの力もやや上まわっているとの説明がありました。

 「全国との比較よりも、大阪府内或は北摂市町村との比較をベネッセに求められるのか」の質問には「よそと比べて島本がどうこうというものではない」、また来年度町内全ての小・中学校で実施予定というものの「他校との比較検討はしない」とも答弁しました。

 個人情報流失の危険性が潜む中、なんで統一的なテストを業者に任せて行うのかが、よくわかりません。島本の教育機関が活用しないようなものなら、従来より行われている各学校のテストで十分じゃないかしらと私は思いました。

 役場に戻って、情報の閲覧をし、必要な箇所はコピーをとりました。文化情報コーナーのコピー機は向かいの税務課も時々使用します。

 今日も一枚のコピーを取りに職員が来ました。私はまだたくさんの枚数を取る為「どうぞ」と割り込ませてあげました。彼は「どうも」とも言わず黙って取って、終わってからも黙って去っていきました。私が真横に居るにも係わらず。

 「なんじゃこりゃ!?」の気分です。先日の日記で、税務課の若い職員さんの接遇のよさを誉めたところでした。今日の彼は十分に人生経験を積んだ年齢です。若い職員の模範にならなければならない勤務年数を経ている人です。今度かち合っても譲ってあげないぞっ!と思いました。

 こんな人たちに念のため言っておきますが、私は手帳の裏に「職員のご挨拶チェック表」を作って記入しています。継続してつけていると大体の傾向がわかってきます。やっぱり挨拶しない人は、しない。電話でも名乗らない人はいつもそう。研修以前の問題の人への研修が必要です。これらのことを人事課が大して危機感をもっていない所がまた怖いのです。

 そうそう取っておきの事例を一つお示ししましよう。情報公開の請求時、みるからに面倒くさそうに応対していた職員(なんと管理職です)、ポケットの携帯電話の着メロが鳴り渡りました。切るでもなく、私に断る事もなく立ち上ってそのまま情報コーナーを出て行きました。ところがその後待てど暮らせど、戻ってこない。後刻の説明もない。残された私と自治推進課の職員は狐につままれたごとく、ポケーッと待ち続けていたのでした。こんなことが「あり」なサービス業ってあり?ですかっ!(役場は島本町最大のサービス産業なのに)

 


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「議員定数」何も決まりませんでした

(2005年2月10日 木曜日 晴

 9時30分から議員定数等検討特別委員会が開かれます。私は少し遅れてしまいました。一週間に1度開いてきたのは評価しましょう。しかし、今日でおしまいです。原野議長、伊集院・実沢・川口の各議員の姿が見えませんでした。(実沢議員終わりがけに来る)

 会議はそれぞれの議員の考え方を述べるにとどまって閉会しました。あとは、議員定数を18人から16人に削減するとの議案が本会議場で採決されると言う事です。特別委員会として決を採らなかったのですから、私はそれでいいのではないかと思います。

 しかし議会は何が起るかわからないところです。削減派の取り下げがあるかもしれないし、新たに増員の議案が提出されるかもしれないし。

 議会が今までにない拮抗した状況にあるからこそ特別委員会が設置出来たのだと思います。これは本当に素晴らしい事です。ただ惜しむらくは時間が無かったこと、削減派、現状維持派共に迫力を欠いていることが議論の中身を深められなかった一因かもしれません。

 ずっと傍聴してきて、ひとつ収穫がありました。委員会の長は菅議員が務めたのですが、適任だったと思います。丁寧に、わかりやすく感情的でない進め方で混乱は生じませんでした。私は菅さんとは主義主張は異なりますが、素直に良い委員長だったと言っていいでしょう。

 午後2時からは住民福祉審議会を傍聴しました。「健康しまもと21」計画の素案の審議でした。この計画は健康増進法の第8条第2項に基づく健康増進計画として町が策定するものです。

 課題が健康に係ることだけに、和やかな論議が展開されていました。私の本音を言えば自分の肉体や精神に係ることで、あまり「ああしろ、こうしろ」と公権力から指図されたくないとの気持ちもあるのですが・・・。

おわびと訂正・・・2月6日の日記中

 ダイオキシン類調査の「土壌」にかかわる測定値の

170ng‐TEQ/g‐dry は 170pg‐TEQ/g‐dry です(1,000pg=1ng)


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ホームページの「週間日記」を冊子に作ります

(2005年2月11日 金曜日 晴

 ホームページをご覧になっておられない方にも、日記を見ていただきたいのでプリントアウトを始めました。12月1日から2月10日までの約70日分を、とりあえず20部作ります。

 明日の集会(*)の資料としてなら20部でいいかしら、それなら直ぐに出来上がるかなと思っていましたが、写真を取り入れているページのカラープリントや、表紙をつけたり、余白にカットを入れたりしていると、思いのほか大変な作業になってしまいました。プリントアウトしたものをページだてに組み、穴をあけて留め具で製本して、ふーっ!やっと完成です。

 これらをやりながら、溜まっていたと言うより溜めていた日記を5日分打ちまくります。さすがに今日は疲れました。

(*)・・「明日の集会」とは澤嶋・平野両議員の活動報告会のことです。

2月12日(土)13時〜 ふれあいセンター3階 視聴覚室

 現在議会で検討されている「議員定数」削減の賛否についても両議員の考えが示されると思います。

 


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加藤美恵子議員が今期で引退

(2005年2月12日 土曜日 晴

 オーッ!ホームページのアクセス者数が2千人を超えました。デビューは1月でしたから、約40日間で随分多くの方々が何度も訪問してくださったのですね。更新してきたのは「週間日記」だけでしたのに、見ていただき本当にありがとうございます。

 1時から澤嶋・平野議員の議会活動報告会に行きます。昨日頑張って仕上げた私の「週間日記」を情報の一つとしてお配りする資料に入れることを、二人は快く承知してくれました。

 参加者は多くはありませんでしたが、全員が意見を述べた良い会合でした。議員定数については「わからない」の人もいましたが、「減らさなくてもよいのでは」と言う人が多かったです。

 私が皮膚感覚で感じている人々の思いや声とは異なったご意見だなあと思いながら、お聞きしていました。

 帰ると○○さんから、加藤美恵子議員の「引退の弁」が書かれた手紙のコピーが届いていました。理由は膝の故障等体力面での衰えをあげておられます。体の調子が良くなければ、残念ですが仕方がないでしよう。

 私は2期8年間ご一緒したのですが、「市民派」議員という大きなくくりはありますが、会派も異なり議員活動のスタンスは随分違っていたと思います。それでもお互い議会の「摩訶不思議」と闘ってきたとの共通項もあり、引退の報に接するとやはり感慨深いものがあります。「12年間本当にご苦労様でした」とお伝えしたいと思います。

 


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仏さんとお花にお付き合いの日曜日

(2005年2月13日 日曜日 晴

 10時に義母の「五つ七日」法要を行いました。私の実家のお寺さんは東本願寺で、夫の家は西本願寺です。今まで気にもしないできたことが、実際のお勤めやお坊さんの話を聞いている中で、その違いについてほんの少しずつですが解ることも出てきました。

 私は「絶対」の教えやしきたりには反発してしまう性格なので、読経したりお坊さんの説法を聴いたりする事が素直に出来るのかなとちょっと心配でした。でも、それは取り越し苦労でした。私たちの戸惑いを、あるがまま認めたところから話を始めて下さるので、とてもリラックスして法事を重ねる事が出来ています。

 寒さが少し緩んでいるので、ガーデニングの真似事を楽しみました。今寒さに震えるこの小さな花々は、4月中旬選挙の頃には美しく咲き乱れているでしょうか。なんだかわが身と照らし合わせて、花苗にも「がんばって根付いて、花ひらいてね!」と激励している私がいました。

 夕方に長男が三重から帰ってきました。珍しく生協スーパーに同行し、荷物もちを引き受けてくれて助かりました。

 


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「文化推進計画」策定へスタート

(2005年2月14日 月曜日 晴

 1時30分から文化推進委員会の傍聴をします。島本町の文化推進計画策定に向けて、当委員会での検討が始まります。挨拶の中で教育次長は「1年くらいかけて、計画を形あるものにしたい」と述べました。

 社会教育課長は「文化推進計画は総合計画の中に位置付けられる計画である事、打ち上げ花火でなく息長い取り組みとなる計画である事」と説明しました。

 たたき台として昨年3月、東京の国分寺市で策定された「文化推振興計画」が示されました。この計画では「文化施策」の位置づけを、単なる文化財保護や市民活動への支援としてとらえるのではなく、総合的なまちづくりの観点からとらえ、都市計画マスタープランや地域福祉計画等と同列にあることが明記されています。また振興計画を受けて「市民版行動計画」がつくられ、計画が“絵に描いた餅”にならぬようにしています。

 私は、国分寺市の計画はなかなか素晴らしいと思いますが、何よりも島本らしい、島本町住民にとって実効の有る計画にしてもらいたいと願っています。

 町内における地域の祭りの実態も紹介され、年々伝承文化の困難さが増している事が話されました。

 今日の会議では、発言をする人しない人の偏りが目立ちました。これからは委員全員の活発な意見が出て欲しいと思いました。

 


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「(仮称)男女共同参画推進条例」部会審議終わる

(2005年2月15日 火曜日 晴

 2時から人権啓発施策審議会を傍聴します。第一部会にて15回に渡り審議されてきた「男女共同参画推進条例」の条項文検討も今日が最終回です。

 入室する前に、わざわざ人権推進課長が私たち(澤嶋さん、平野さんと私)に「私語は慎んでください」と注意しました。まあ当たり前のことなので私は「はい」と返しましたが、なんだか可笑しかったです。注意に値するような私語を交わしたことなんか無かったので、行政がムキになっているのは、何故なのだろうと思いました。

 思い当たるのは、前回の会議の様子を私が日記に書いたことで(1月27日付け)職員が気分を害しているのかな?くらいです。でも、もしそうなら私のホームページを見てくれているんだ!会議室には傍聴者の椅子が不自然すぎるほど離して置かれていて、これもまたわかりやすくて可笑しくなりました。

 さて審議の中身ですが、前回に引き続き住民意見を条例文にどう取り入れるかが検討されました。「苦情処理委員会」の設置に期待しましたが、「必要なしと」原案通りに決まりました。ただし、事務局は「施行規則で定める事は可能」との見解を示しています。後は文言の選択に終始しました。

 男女平等の条例において、島本町が抜きん出て先端を駆けるとは思いませんが、それにしても大いに拍子抜けの感があります。救いは、審議会から町長への答申に住民の意見を付帯意見として付け加えると決まった事です。また、会議を進める部会長の手腕は大層見事で、絶えず問題点を整理されながらの議事進行は、傍聴の私たちにも審議内容がよく解りました。

 後は審議会の全体会を経て町長に答申されますが、新条例制定には次期議会での議論と判断が必要で、大いに期待したいと思います。えっ?今度は私も論議する立場に?・・・そうなればうれしいですが・・・。

 


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島本町職員互助会への公費補助はこんな状況です

(2005年2月16日 水曜日 雨のち曇

 大阪市職員の過剰な福利厚生が問題になっています。「えーっ、あんまりや」と怒りつつ、「うちの町はどうなんやろ」と皆さん思っていらっしゃることでしょう。結論を言うと「まあ、こんなもんですか」の程度ですが、それでも公費(私たちの税金)を「こんなことに使ってほしないわ」が正直な気持ちです。

 互助会は「島本町職員の共済制度に関する条例」に基づいて、職員の相互共済と福利増進を計ることを目的としてつくられています。(互助会の規約より)そして、町からの補助金もこの条例によって認められています。従って、公費の支出そのものはオッケーです。

 それでは互助会会員の会費総額と町の補助金の割合はどうなんでしょうか?大阪市での問題の焦点になっているところです。先ほどの条例では、なんと「掛金(会費)総額の4倍以内を補助する」となっていますが、現実は会費75%、補助金25%の割合です。

 平成15年度の互助会決算によると、会費が約387万円で町の補助金は140万円です。使ったお金の内訳は、会員研修会で天橋立温泉に行きました。冠婚葬祭、長期在職、退職に際してお金を上げました。クラブ活動にお金を渡しました。人間ドックに入る人にお金を渡しました。「緑水会」(退職者の会)にお金を上げました。総会で飲み食いしました。(総会賄いと書いてあります)

 そして、これらの支出をしてなおかつ200万円お金が余ったので、積立金にしました。ちなみに今までの積立金を合わせると約700万円にもなります。こんなにお金があるのに、平成16年度も126万円の公費補助をしています。なんか変ですね。

 互助会の会員は臨時職員を除く全職員です。まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」で、公金使途への疑問を呈する人は誰もいなかったのでしょう。互助会の会長は町長公室長がなっています。

 職員の親睦も福利厚生も大切な事だと思いますが、ちょうど良い機会です。しっかりと見直して、住民からのお金は住民が納得できる使い方をして下さい。それができなきゃもらわないほうがいいのではないでしょうか。

 今日は朝から雨が降っていて、落ち着いて溜まっていた資料が読めます。資料の中から、今話題の互助組織の当町版を少しお伝えしてみました。

 


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「医推協」傍聴、「週間日記」に託していること

(2005年2月17日 木曜日 晴)

 午後2時からの「島本町地域医療・保健事業推進協議会」(以下「医推協」という)の傍聴を間違って10時にふれあいセンターにきてしまいました。仕方が無いので図書館で調べ物をして、役場に移り遅まきながらの文書処理簿の1月分を見ます。

 お昼に印刷屋さんと会います。ホームページ開設のお知らせをした方々の中で「インターネットやってません」と返してこられた方が以外に多かったのです。そこで「なんぶ由美子の週間日記」を印刷物としてお渡ししたいと思い、発注する事にしました。ありがたいことに3月には議員年金(12・1・2・月分)が頂けますので、印刷費にあてることが出来ます。

 何の肩書きもない一住民が町政に多少とも興味を持ち、議会や行政を眺めたときに考える事や取りうる行動はほんとうにささやかなものです。でも諦めないで地道にやっていると、ことの成就はともかくとして何かがか見えてくる時が有る・・・そんな気持ちを「日記」に託して書いているつもりです。

 町政に係る結果や報告やお知らせのたぐいは、町や議会の広報紙で情報を得る事は可能です。私たち住民が知りたいのは、結果に到る過程において関係する人々が悩んだり、苦しんだり、喜んだり、満足したり、はたまたなーんにも感じていなかったり等々、そんな人の気配、人の存在が感じ取れる「情報」ではないかしらと思うのです。

 2時になって「医推協」を傍聴します。「健康しまもと21」計画(案)についての最終チェックと新年度の医療保健事業計画の目標数値等が示されました。

 「健康」についてなにを第一義に考えるかの議論で、「計画」では「運動」をあげていますが、「食」を優先すべきとの意見が出されました。担当課も医師の委員も「計画通りでよい」と返していましたが、私は「食」が健康の基礎であり修正した方がよいと思いました。

 本日の会議で答弁する職員は課長も担当職員も全て女性です。過不足無く分りやすい説明でした。特に私は初めてお目にかかったのですが、最も若い職員のよく聞き取れる声での完結明瞭な堂々の答えには、「ホーッ」と感心してしまいました。こんな発言があると会議がいきいきするから不思議です。

 5時前に澤嶋さん、平野さんと共にある高校の先生と会いました。迫り来る卒業式での「日の丸」「君が代」の強制に悩んでいる話等を聴きました。

 今日も朝から夕方まで出てしまいました。春のおおきな目標に向って、具体的なしかも細部に渡る計画がもう実行に移されていかなければならない時期に来ていますが、何にも出来ていなくて、さすがのノンビリ屋私も少々焦っています。

 どなたでも、どれだけでもいいですから手伝っていただけないでしょうか。「この指とーまれ」で、私は太っとーい人差し指をオズオズと掲げております。

 


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桜井駅跡の楠公父子像すげ替えられちゃいました

(2005年2月18日 金曜日 曇のち雨)

 今にも降り出しそうな空模様ですが、散歩を兼ねて元「青年の家」除去跡確認に行きました。ゲートのパネルの隙間から覗いていると、今日もガードマンさんが開けて中を見せてくれました。建物も樹木も全てなくなった広〜い空間が出現していました。

 ついこの間まで、工事のトラブルや、アスベストの存在など何やかや心配事が一杯ありました。それらの解決がすっきりなされないままでも、こうして建物がなくなってしまうと、殆どの人びとは問題点を忘れてしまいます。私も「もうしょうないなー」と気持ちが重くなりますが、せめて今回の事を次に公共施設をさわるときの教訓にしなければと強く思いました。

 隣接する桜井駅跡公園内も一周します。楠公子別れの碑が新しい石像になっていることに気づきました。楠木父子が少々ア二メっぽい姿・表情に作り変えられています。もともと私には「滅私奉公」と記されたこの碑を素直に受け入れることはできないのですが、父子像を単純に「作品」として見たとき、元の像の方が良かったと思います。一方新しくなった像のほうがいいという人もいて当然ですが・・・。

 私がモヤモヤと「なんか変」と感じているのは、単なる好き嫌いの問題ではなく、何十年もの間島本町の「史跡」として存在してきた像が、住民の全く知らない間に、いとも簡単にすげ替えられることへの違和感といったようなものでしょうか。

 教育委員会社会教育課に訊いてみました。「大阪府文化財保護課より像を替える前と後の連絡はもらっている」と課長は答えました。

 事後に知ったのですが、1月16日付けサンケイ新聞に記事が出ていました。岸和田市の石材店主が「阪神淡路大震災10年の節目の年に、正成公父子の石像を通じて、国をつくった先人への感謝の気持ちを新たにしたい」と寄贈したことが書かれています。

 長年を経た元の像に傷みは確かにありましたが、修理や修復での維持は不可能だったのでしょうか。人々に与える印象の変化等にも思いを寄せて、町は大阪府に「取り替えてもいいです」と返したのでしょうか。社会教育委員会や、文化推進委員会や、歴史文化資料館懇話会等の関係委員会のいずれかにでも諮ることがあっても良かったのではないでしょうか。

 周囲の巨木に囲まれた真新しい石像に非は無くとも、なぜかしらじらとした感に私は包つまれてしまいました。

kusunoki

 


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3月議会を傍聴しましょう

(2005年2月19日 土曜日 晴)

 3月1日から始まる定例議会が近づいています。議員さんたちにとっては任期最後の議会となります。傍聴席で皆勤を続けてきた私にとっても、長かったような短かったような4年間がもうまもなく終わろうとしています。各々の議員が精一杯有終の美を飾るような働きをするようにと願い、私も負けないように議案書を読み始めています。

 議案は2004年度最終の補正予算と2005年度当初予算、あと数案件あります。3月の補正予算は事業費確定の精算的な中身になりますが、新たに発生した大きな支出に職員の退職手当があります。

 当初、定年2人を含め4人くらいの退職で予算化していたのですが「肩たたき」が効を奏したのか、職員の方が役場に見切りをつけたのか、いずれにしても退職手当約1億円の大幅な増額補正になりました。数年後に控える団塊世代の退職者を少しでも平準化しておくことは、悪いことではありませんが、達成感なく辞めていく人がいるなら、それはお互い不幸なことです。

 5人の新採用を含め2005年度の正規職員は265人でスタートします。ただし、正規の倍以上の嘱託・臨時職員がいて役場の仕事はまわっています。いずれにしても日々役場に行っていると職員の資質の問題、適材適所の配置等について、首をかしげる事が多いのも事実です。

 さて、首をかしげる議案がひとつ出ています。町長の給与をカットする条例改正の提案です。12月議会でT議員が質した下水道料金の徴収不能問題の責任をとって、3月分の給料・手当から26万4千余円を減額しますとの内容です(減額率は100分の30)。ちなみに町長の給与は88万円です。

 条例の提案理由は「職員の不適切な事務執行により、町に損害を与えた事実を重く受け止め、監督者責任として〜減額する」としています。

 「不適切な事務」の内容ですが、昨年7月頃に、水洗化のための下水道接続を勧めに行ったところ「うちは、もう繋がっています」と言った世帯が26件も出てきたのです。(そりゃ1件でもダメですが)繋がっているのに料金を払っていなかったのは、電算上「下水道なし」と処理され請求していなかったからです。

 ではなぜ請求していなかったか・・・下水道担当者と水道電算担当者間の連絡ミス、入力漏れ、さらには水道指定業者でない業者の施工といった法律に反したものが8件もあったという、まったくもってひどい状況が原因でした。

 そして「料金を頂いていなかったことがわかったので、請求します」とお願いできるのは5年間分のみなのです。それ以前の料金は「時効」となって請求できません。それが14件で、約200万円です。もっとも、未徴収の時効分については3月議会の公共下水道事業特別会計に雑入として、大半の管理職からの“弁償金”195万6千円が予算計上されてはいますが・・・。

 しかし、弁償したから、給与カットしたからで済まされる話でもありません。真摯な反省と再発防止の事務改善を徹底して行う事です。

 今回の失態は、当たり前のことを当たり前にやっていれば、つまり仕事の初歩の初歩である「確認すること」を行っていればありえなかった訳です。

 こんなおおごとに到らなくても、なにかしらダラ〜ッとした雰囲気を役場で感じる場面は多々あります。お客さんへは笑顔で、事務執行は緊張感を持ってピリッとピシッといきましょう!

 新年度予算については、町長の改選があるため必ず必要な経費や継続している事業の経費を予算化しています。施策的な経費については6〜7月の議会に補正予算として出されます。

 最後に、前議会で特別委員会に付託されていた議員定数削減についての議案は、2月25日の最終委員会で採決されます。その結果が3月1日の本会議で、委員長報告された後もう一度採決します。それで議員の数が決まります。

 2月18日の各議員への議案書配布とほぼ同時に、住民に対しても役場の文化情報コーナーに閲覧用の議案書が置かれます。昨日私は一番乗りで見せてもらって、ちょっと気になる案件を本日の日記でお知らせしました。

 とにかく議会の傍聴にご一緒しませんか。

<会議の日程お知らせ>

◎ 議員定数等検討特別委員会 2月25日(金)     午後2時から 役場3階委員会室

◎ 本会議(前半)      3月1日(火)・2日(水)午前10時から 議場

◎ 総務文教常任委員会    3月7日(月)      午前10時から 委員会室

◎ 民生消防常任委員会    3月9日(水)      午前10時から 委員会室

◎ 建設水道常任委員会    3月11日(金)     午前10時から 委員会室

◎ 本会議(後半)      3月18日(金)     午前10時から 議場

 


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法要で明け暮れた一日でした

(2005年2月20日 日曜日 晴)

 11時から義母の「六(む)七日」のお経をあげていただきます。今日は私の姉といとこの家族が訪れてくれました。

 用意していた昼食を共にした後、京都の東山浄苑に行き父のお墓参りをします。七回忌の読経は満開の梅の香に包まれて、清々しく心にしみました。

 次に茨木に場を移し会食をして、家に帰ったのは夜の9時を過ぎていました。ご馳走もおしゃべりも私の許容量をオーバーした一日で、なんだか疲れてしまいました。

 


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青少年問題協議会を傍聴して思ったこと

(2005年2月21日 月曜日 晴)

 10時からの青少年問題協議会を傍聴します。寝屋川市で起きた小学校侵入・教師殺傷事件から間が無い本日の会議でした。「いまや、どこででも起り得る事件だ」との認識が全委員から感じ取られ、緊張感が伝わってくる開会でした。

 先ず、最近の事件が2例示されました。

* 2月18日午前10時・・・ 島本高校に面した路上で、同校の女子生徒がはがいじめにされ鞄を奪われる。犯人は逃走。

* 2月18日午後7時前・・・ 若山台団地路上で、車の陰から露出男が出現。小学生、高校生、大人(全て女性)が目撃。

 教育委員会では現在「緊急対応ガイドライン」の案を詰めています。寝屋川市の事件をとらえてみても、学校の安全対策事業にパーフェクトはないのではないかと多くの人が感じ始めています。そして回り道でも地域に根付いた学校づくりのために、みんなで知恵と力を出し合って子どもを守ろうと思っています。

 「ガイドライン」は子どもの安全に係る事案が発生した時に、5段階に分けた事案ごとに関係団体にどのような協力を求めるか、その伝達ルート等を示すものです。

 従来より連絡の遅れ、連携の粗さは課題としてあるので「ガイドライン」に期待するところは大です。いままでなら役場の中ですら、町長部局と教育委員会が迅速な連携をとれたかと言うと疑問符がつく事が多かったと思います。

 今後は、外部からの第一報はまず町長部局の総務部庶務課に入り、事案によって教育委員会をはじめ全庁的に情報が伝達される事になります。勿論他部局に直接入った事案も、直ちに庶務課に知らされます。(私は、今日の会議に庶務課が出席していればもっとよかったのにと思いましたが・・・)

 また関係団体等には2ヵ月ごと、定期的に発生事案を知らせるようになります。隣接する高槻市、大山崎町の情報も事案のなかに位置付けられます。

 教育委員会事務局次長の説明を聞きながら、私はちょっと別な事を考えていました。もちろん「ガイドライン」も「密な連携」もスゴーク大事なことで、大いに評価しています。様々な対策が講じられながら、でもその先を行く事件がこれでもかこれでもかと発生してくる・・これは一体どうしてなんだろう。光の届かない深い井戸を覗き込んでいるような気がします。

 私の気持ちと何処かで僅か重なっているかもしれないのですが、島本高校の先生からの話がありました。「いま生徒の僅か1割しか島本町の子どもがいない現実があり”地域から見放されてしまった高校”として存在している。地元の生徒が激減してきたことで、事件が増大している。地域に迷惑をかけていると思うが、地域の情報も入ってこない・・・」と。

 「だからどうなん?島本の子どもが競って入りたがる高校にしないあなた方のほうに問題があるんでしょ」との声は当然返されるでしょう。子どもたち、保護者、町の中学校、島本高校、世間の評価、いずれに原因があるのかは解りませんが「見放された」と言う現実は歴然としてあるのです。

 深い井戸の暗闇の中に、私は「見放された者」の声なき声が沈んでいる気がしてならないのです。「見放された者・こと」を一笑に付してきた気持ちが、続発する事件の最初の芽を育てる培養土となってはいないのでしょうか・・・こんな事を思っている間に会議が終わっていました。

訂正とおわび

 2月19日の日記中「町長の給与カット〜2万6千余円を減額〜」を「町長の給与カット〜26万4千円を減額〜」に改めます。すみませんでした。

 


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住民の声がどれだけ反映されるのかしら?「島本町子育て支援プラン」

(2005年2月22日 火曜日 晴)

 風邪がはやっているようです。私が毎日保育サポートに行く女の子のクラスが学級閉鎖しています。したがって今朝は学童保育室まで送リます。時間にゆとりがあるので、学校へ向う道もジャンケンをして負けた方が歌をうたったり、畑の野菜を見たりしながら、のーんびりと行きます。

 午後から住民福祉審議会を傍聴します。「島本町子育て支援プラン」(素案)の審議が続いています。次回は町長からの諮問がなされ、最終回で答申となります。相変わらず担当職員の説明が丁寧すぎるのか、長が〜くて私にはポイントがつかめませんでした。

 委員方は良く頑張って聞いておられるなと感心します。公募委員で主に保護者の立場から発言されている委員さんが今日は欠席されていましたが、意見を述べた文書を提出されておりました。(本委員は欠席でもいつもこのように文書参加されていて、本当に頭がさがります)

 「プラン」は70ページにわたりボリュウムがあるものです。しかし中身は、このようなプランの性格上仕方が無いのでしょうが、総花的で迫力に欠ける内容だと私は感じています。これは「役場のプラン」であって「住民のプラン」と言えるのかしら、靴の上から足を掻いているようなもどかしさがありますが、私だけの思い過ごしでしょうか。いずれにしてもこの冊子、住民は最後まで読むのでしょうか。

 「プラン」の概要版や、何よりも住民に知ってもらうための場の設定が策定後には必要でしょう。本来なら「プラン」の素案の段階で、十分に時間をかけて広範囲な意見聴取をし、審議会と共に丁寧な住民参加のもとつくりあげることは可能だったと思うのです。

 本「プラン」は作成を、通常役場が行うコンサルタントへの作成業務委託をせず、担当課の頑張りでやってきたと聞いています。だからこそ、おしいなあ、もったいないなあと思います。だって広報「しまもと」にも掲載せず、関係者・機関への配布もバラツキがあり(現に私は保育サポーターですがもらっていない組ですし)、なによりも意見を求める期間が短か過ぎます。それでも当日二人の保育サポーターから意見が寄せられていました。

 さて「プラン」の「行動計画と事業目標」には、町が子育て支援を実際どのようにするのかが数値目標として示されていますが、実行ある事業の数は驚くほど少ないし、またノンビリしていると私は感じています。(以下抜粋です)

 * 派遣型一時保育・・H20年実施(病児・病後児等への派遣保育)

 * 保育所の時間延長・・H19年実施(山崎保育園) H21年(町立2園)

 * 幼稚園の預かり保育・・H20年実施(山崎幼稚園毎日午後5時まで)

 * 学童保育の時間延長・・H20年実施

 * 子どもの居場所づくり事業・・H17年実施(放課後、週末)

 * 総合型地域スポーツクラブの設立・・H20年実施

 この他気になった事業として「児童虐待防止対策の充実」の項の「小ネットワークの組成」実施はH17年となっていますが、虐待防止の取り組みは待ったなしです。一日でも早い立ち上がりを望みます。

 夕方駅付近で買い物ついでに「花染」さんで、創作ガラスの展示を見ました。

 思案の末ワイングラスを求めました。ひとつひとつ異なるグラスですが、各々素敵で私の「お気に入り」に仲間入りです。

 


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歴史文化資料館懇話会傍聴

(2005年2月23日 水曜日 晴)

 今朝も学童保育室まで送る保育サポートです。クラスの3分の1が風邪で休んでおり、学級閉鎖が続いています。昨日大阪府教育委員会に届いた府内の教師、児童の殺害を予告する脅迫状の影響により、集団登校には多くの保護者が付きそっていました。また民生委員児童委員さんの見守りもありました。

 10時から歴史文化資料館懇話会の傍聴をします。先ず担当課の社会教育課より報告がありました。「新年度より施行する館の規則に基づき、17年度当初から職員を配置し19年のオープンに向けて準備していく。館長(係長が兼務)、嘱託の学芸員(埋蔵文化財と兼務)、アルバイト2名の態勢をとる。館の予算については職員の給与を除くと17年度当初は、資料館関係約789万円、文化財関係636万円だが、後は補正予算で対応していく。ちなみに、今年度は約900万円の予算を執行している。」の内容でした。

 報告を受けて委員方の発言がありました。私は以前にも書きましたが、本懇話会でのご意見は味のあるいい話が多いです。職歴や人生の経験に裏づけされた“確かな話”として納得させられます。惜しむらくは、ここに世代の異なる若い委員が一人二人参加していれば、より広範囲な意見が頂けるであろうという点です。

 この会議をずっと傍聴してきて、私が少し心配なのは歴史・文化の展示とひとことで言うけれど、島本町の資料館として目指すものは一体なになのかがまだ見えてこないことです。

 委員からも「資料館のいきかた」や「設立の趣旨」を問う原点の問題提起がありました。教育次長の答弁は「資料館としての場所が確保されたことは大事なことである」にとどまりました。4月からの学芸員参加の懇話会からは、これら基本的な課題の整理・系統立てについて進んでいく事でしょうから、期待したいと思います。

 最後に発言されたO委員の発言が心に残りました。「島本町はあらゆる歴史の重要なひとコマひとコマを綴ってきた所といえます。〜島本の面影が残る資料館になればよいと思います」。私もおぼろげながらそう感じました。

 オープンまでには「こんな資料館がいいな」「あんな資料館になればいいね」と住民参加の話し合いを含めた“懇話会出前会議”としてもたれればいいなと思います。

 


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島本町も「農業特区」申請

(2005年2月24日 木曜日 晴)

 今年の1月に町長は、大阪府と府内9自治体と共に国に対し構造改革特別区域計画(特区)の申請をしています。名称は「大阪をたがやそう特区」です。名前はいいですね。今回の11団体は先発隊で「特区」と言っていますが、10月には全国展開するそうですから、どうってこと無いと言えば無いのかも・・・。

 特区の申請書類には難しいことが書いてあるのですが、ようするに今までは農家が農地を「市民農園」(島本では「ファミリー農園」と言っていますが)として貸し出すときは、町か農協を通さないとできなかったのが、町や府との協定は結ぶものの基本的には自由に貸し農園ができると言うことです。また、NPO法人や企業が町の農地を借りて貸し農園の開設が可能になります。ただし町の農地はいまのところありませんので、この特定事業については該当しません。

 なんでこんな施策が出てきたかと言うと、担い手不足や高齢化により多くの課題を抱え、農家だけでは耕作の継続や適切な維持管理が困難となった農地(遊休地)を「都市住民」の参加を得て、農地の保全と活用を図って農業を活性化することを目指すためらしいです。

 ファミリー農園ですら脱落した私が大きい口を叩ける訳はありませんが、日本の農業政策の根幹にある問題点「なんでこんなに低い食料自給率なの?」「農業をすることで喜びも誇りもそしてお金も、なんで十分に得ることが出来ないの?」等々を解決しようとしないで、貸し農園が栄えても一体「なんぼのもん」と愚痴りたくもなります。

 この「たがやそう特区」事業が、「都市住民」の欲求を満たすものだけでなく、農家にとっても実り多い事業にならなければなりません。(もっとも農家はお金持ちが多いらしいとも聞きますが・・・)

 さて島本町の現状を少し言いますと、1985年に「島本町ファミリー農園」が開園しました。そして2004年4月現在で、12農家で497区画が貸し農園として運営されています。1区画年間5千円で5年間継続できます。毎年20区画ぐらい空きが発生するのですが、100を超える申込があると聞きます。この緩和のためには「特区」が有効に働くかも知れません。

 いずれにしても、農村地帯でない島本町での農業が「農空間」の保存・保全と創出の中身のひとつであることは否めない事実でしょう。従って町内の貸し農園が「食とみどりの創造」を担保する事業として成長していく事を願っています。

 「農業特区」について情報公開請求していましたが、今日閲覧しコピーしました。出てきた資料には一杯書いてありましたが、出来るだけ簡潔に解りやすく私の言葉で記しましたが、どうでしょうか?

 私は「農空間」の大切さを思う時、やはりJR新駅の西側(山側)に広がる貴重な農地を守りたいと、ひしひしと感じるのです。

 


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議員の数は18人から16人になります

(2005年2月25日 金曜日 晴)

 保育サポートをしている子どものクラスが再びの学級閉鎖で、学童保育室まで送ります。いつもより時間延長になるため、慌てて帰って保育サポーターの会合に出かけます。保育サポーターは「21世紀職業財団」に登録をして活動しているのですが、資格取得の研修時から社会福祉協議会のお世話を受けてきました。

 もうそろそろ自主的な運営をとの声があがり、サポーターのリーダー会で話し合いをしてきました。本日の会議で、有償保育ボランティアとして社協へのグループ登録を視野に入れた準備会が出来ました。

 午後からは議員定数等検討特別委員会を傍聴します。前回で閉じたはずの委員会を再び開会するなんておかしなことです。(結果としては付託された議案の採決をとらなければならなかったから、それでよかったのですが)議員たちも議会事務局もしっかりしてくださいね!と言いたくなりました。

 与党議員6名から出されていた議員定数削減の条例改正は賛成多数で可決しました。現議員数18人は4月の選挙から16人になることがこれで決まりです。(正式には3月1日の本会議でもう一度採決します。)

 賛成した議員は・・・澤嶋、岡田、本間、平井、千頭、清水、実沢の7議員

 反対した議員は・・・平野、加藤、来仙、藤原、伊集院の5議員

 保留した議員は・・・河野、豊永の2議員

 採決に加わらない議員は・・・原野(議長)、菅(委員長)

 欠席した議員は・・・川口議員

 以上が採決の結果ですが、「保留」をした2議員に対しては、その理由を述べる討論を聞いても「なんで?」と思いました。独自のアンケートをとった結果、削減に賛成が51人で反対が56人、どちらでも良いが20人だった。賛否拮抗している住民の意向を受けて「保留」すると言うのが討論の内容でした。

 アンケートを行った事は評価しますが、その結果はあくまでも賛否いずれかの表決の参考にするものでしょう。それに「住民の意向」をストレートに採用するには、126人のサンプル数が適切か?と言うことにもなります。議員の数の問題で議員が「どっちがいいか分りません」はないと思うのですが・・・。

 町長選に出馬を表明してから、K議員は欠席が続きます。それなりの理由で届を提出しているのでしょうが、委員会を欠席するなんて住民の理解は得られないのではないでしょうか。

 私は議員の数を減らす事に賛成なのですが、なんとなくすっきりしない議員定数等検討特別委員会の終了でした。

 少し遅れましたが、社会福祉協議会主催の消費者問題講座「悪徳商法」に係る話を聴くためふれあいセンターへ急ぎます。会場は年長者の方々で一杯でした。「オレオレ詐欺」も「振り込め詐欺」も人ごとではなくなりましたし、皆さん熱心に受講されていました。

 


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あっという間の四十九日

(2005年2月26日 土曜日 晴)

 今日は義母の四十九日の法要を行います。朝からその用意でバタバタと忙しいです。夕方からお坊さんにお経を上げていただき、その後親戚家族と共に供養の膳をかこみました。おばあちゃんの思い出話が賑やかに弾んで、よき法事になったと思います。みんなが帰った後、片づけがまた大変で、やっぱり少し疲れました。

 やれやれ、今日の日を終えて、これでやっと一区切りつきました。

 今日はパソコンに近づきもせず、ウロチョロしていましたが、寝る前にメールの確認だけをと開いてみました。新年度予算に対する会派代表の大綱質疑通告内容が澤嶋議員から届いていました。項目だけですが、参考になさってください。3月議会は1日から始まります。

 3月1日・2日に行われる2005年度予算に対する会派代表による大綱質疑項目

日本共産党(河野議員)

1 05年度のJR駅設置費用の予算計上がないのは何故か。

2 JR駅設置の寄付金の交渉について

3 府立青年の家の無償返還要求なしの責任と西国街道の整備負担を府に負担を求める交渉についての見解を問う。

4 旧町営住宅の売却見通しと売却益見込みを問う。

5 議員全員協議会で示した財政収支見通しについて、臨時経費の過少見積りはないか。

6 水道事業第4次拡張計画の高槻市負担分について、協議の状況を問う。

7 流域下水道負担金について、現在の計算方法に変更されて以来、町負担金が減った実績を問う。

8 ゴミの焼却について、高槻市との広域化に向けての検討状況を問う。

9 地下水の保全・涵養についての検討内容を問う。水道料金の引き下げについての見解は。

10 介護保険の国制度の改悪について及び保険料・利用料の減免制度についての見解は。

11 04年度で黒字決算が見込まれる国民保険事業における保険料軽減についての考えは

12 保育所の待機児童の措置について

13 次世代育成支援、地域行動計画策定について問う。

14 学校の安全・安心について、学校警備(校務員)のさらなる拡充について、また校区弾力化にかかる通学路の保障について問う。

15 図書館の民間委託、指定管理者制度について、協議の方向を問う。

人びとの新しい歩み(平野議員)

1 憲法について町長の見解を問う

2 予算編成過程の情報公開について

3 職員の福利厚生の厚遇の見直しを

4 指定管理者制度について

5 プライバシーの侵害を招き、税金の無駄遣いである国勢調査は廃止すべき

6 男女共同参画推進条例について

7 高齢者、障害者福祉施策の後退を招く制度見直しは許さない

8 JR新駅設置事業は情報の公開と説明責任をはたすべき

9 教育基本法改悪について、教育長の見解を問う

10 子どもの事件について

11 水道事業計画、財政計画の精査を

公明党(本間議員)

1 村田町政4年間の総括について

2 予算編成について

(1)  財政見通しについて

(2)  福祉施策について

(3)  環境施策について

(4)  就労支援について

(5)  児童虐待について

(6)  JR新駅設置事業について

(7)  学校の安心・安全対策について

(8)  歴史文化資料館について

会派に属さない(加藤議員)

1 合併問題について

2 JR新駅と財政問題について

会派に属さない(来仙議員)

1 進行中の国の三位一体改革とH17年度骨格予算関連を示されたい

2 H17年度一般会計骨格予算に対し、6月議会に提出される肉付予算(1号補正)の財源はどのくらいあるか

3 いつ下げ止まるか島本町の人口

 


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憲法を語り合うことが”燎原の火”のように広がれ!

(2005年2月27日 日曜日 晴)

 午前中は散歩を兼ね淀川の堤防を歩いて歩いて、鵜殿のヨシ原焼きを見に行きます。春を呼ぶ風物詩として島本町に住む私たちにとってもおなじみの行事です。堤防の一本道は長蛇とはいえませんが、人の列が続きます。私を含め割合年齢の高い人が多いです。若い人たちには興味の無い行事なのでしょうか?もっとも「葦(ヨシ)」といっても若者には馴染みの薄い植物であり、その名前も口にする事はないのでしょうね。

 ヨシ原が狭くなったとはいえ、私たちの目には広大な冬枯れの河川敷です。その原っぱの数ヶ所に火種が仕掛けられ、炎はみるみる広がり燃え盛っていきました。「燎原の火の如し」の言葉どおりの光景です。立ち上る煙で対岸の枚方の風景はかすんでしまい、見物人の所にも燃えカスの黒い煤が降ってきました。

 午後からは小沢福子府議会議員後援会の主催で「中山千夏さん憲法を語る」の講演会がありました。千夏さんは1948年生まれ、舞台「がめつい奴」のしたたかな子役、テレビ番組「ひょっこりひょうたん島」や「じゃりんこチエ」の声優、俳優、歌手として活躍し、若かったころの私たちと重なる懐かしさを共有出来る人です。70年代にはウーマンリブ運動に参加(今のフェミニズム運動とちょっと違うとの弁でした)。25年前には参議院議員を一期務めました。現在は執筆活動、死刑廃止等の市民運動に携わっています。

 素顔にショートカットの中山さんは、いまだにおてんば少女のような雰囲気がありました。多彩な経験、活動から引き出された「私にとっての憲法」論は自由自在、面白くそして明快でした。私が、特に印象に残ったのは「第一章 天皇」のところです。私流に簡単に言うと「何の権利も持たない天皇が、私たちの権利を保証する憲法の頭(最初の章)にかぶさっているのはおかしいよ」との内容でした。

 続く第2部のパネルディスカッションは中山さん、小沢さん、斎藤登志子さんがパネラーで辻元清美さんがコーディネーターをしました。斎藤さんは70歳くらいですが、10歳の少女期に敗戦、「新しい憲法」と自身の成長を重ねて語られました。その時代を生きた人ならではの説得力のある話に、私は心を揺さぶられました。

 会場は満員で外にも人が溢れるほどでした。改めて、憲法と日々の暮しがどう結びついているかをよく知り、私自身の言葉で検証してみなくてはと思いました。加速する「改憲」論議に飲み込まれていく危険性がすぐ目の前に迫っていることを再認識しました。

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隠さなくても良い情報を隠すのは、なぜ?

(2005年2月28日 月曜日 晴)

 「2月は逃げる」の言葉どおり、あっという間に過ぎ去りました。明日はもう3月、早速1日からは議会が始まります。議員方にとっては今期最終の議会です。彼らの働きが4年前に信を託し、一票を投じた住民の期待に応えるものであるかどうか、私も傍聴席で最後まできっちり見届けたいと思っています。

 月の初めと終わり、週の初めと週末には出来るだけ役場に行くようにしています。いろんな動きがあったりする事が多いからです。今日は消防の情報公開を受けるのと、本日が納期のJR新駅駅前広場事業認可図書の請求もあるため役場に行きます。

 消防の情報は「消防職員の不祥事に係る関係職員の指導行為について」と題するものです。この情報は昨年9月末に窃盗容疑で逮捕された職員(既に退職)に対して、上司の職員がどのような指導を行ったのかがわかる公文書です。

 個人が特定される部分は除くとしても、「指導行為」と言う公の仕事の内容は明らかにして当然です。しかし、全面非公開の決定をされました。しかも2度にわたり。2回目の決定は庁舎内の情報公開審査会の審査結果を踏まえたものですから、“堂々”の非公開です。「文句があるのなら異議申立をしなさいよ」ということです。

 不祥事を起こした職員をどのように指導したのかは、今後の再発を絶つためにも、むしろ積極的に住民に知ってもらうための説明責任を果たすのが当然ではないでしょうか。百歩譲っても、せめて公文書の存在を証する起案決済の過程が分る部分は公開すべきです。「ある」とされる公文書そのものも確認できず、「した」とされる指導の中身もまったくわからないのでは、悪い事をした職員に対して本当に指導したのか、それすらも疑わしくなってきます。

 あーあ、もうため息が出ちゃいます。これが約20年前に全国的にも先進的な内容をもって、颯爽と登場した我が島本町の情報公開条例の運用の姿ですか・・・と。

 新駅駅前広場の情報公開請求内容の一部は、パンフレットにして役場の文化情報コーナーに置かれています。町が行う事業ですから、町長の挨拶が載っていても可笑しくはありませんが、選挙を目前にしている今は何となく違和感があります。それに、このパンフレットは2007年4月の新駅開業まで、またそれ以降も使用するものです。町長が変わらないと言う保障はあるのでしょうかしらね?余計なお世話でしょうが、ふとそんなことが思い浮かびました。

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