ブラームスの聴き初め    丸川 昌信

 今年の正月の聴き初めは、ブラームス。大好きなバルビローリがウィーン・フィルを指揮した第4番の交響曲だった。
 よく考えると昨年も同じだった。昨年の場合は、ブラームス没後百年だったから、ぼくのようなブラームス大好き人間が聴き初めをする曲としては当たり前すぎるといえばそのとおり。しかし、一番好きな第3番でなく4番を聴いたのは、ちょっとした思い入れがあったからだった。
 というのは、ブラームスがこの曲を書いたのが52歳のときで、ぼくは昨年その52歳になったのである。
 というわけで4番を聴いた。
 それ以来、またブラームスを聴く頻度が高くなった。
 いい小説には、年を経て読み返すたびになにかしら新しい発見や感動があるものだが、この第4番の交響曲もいま聴いてみると若いころとはまた違った感懐がある。もともと、まじめに(?)クラシックを聴き出した最初のころから、ブラームスには魅かれてきた。ベートーベンもモーツァルトももちろん素晴らしいし、そしてブルックナーはいまでも一番熱心に聴く作曲家である。ラベルもドビュッシーも、それにデリアスだってと、こんなことを書き出せばきりがないけれども、そんななかでいつの時も一貫して聴き続けてきたのがブラームスである。
 30年程前、たまたま会社の独身寮の一室で、ベームの指揮する一番の交響曲を聴いたのがブラームスとの最初の出会いであった。そのときから重厚な第一楽章や、勇壮なフィナーレよりも、第二楽章の叙情に心を奪われた。特に中間部で管楽器が歌い次いでいくところの美しさに陶然となったものだ。そしてそのころから、どちらかといえばロマン派の音楽により強い共感を覚えてきた。
 そして自分が52歳を超えた今、ブラームスが、第4交響曲に託した思いがなんとなくわかるような気がするのである。
 人それぞれだろうが、50歳前後というのは人生の大きな節目である。
まだまだ若いつもりでも、体力の衰えはどうしようもなく、昨年は旧友の訃報にも驚かされた。円熟という名の老化。そしてもはや帰ってこない青春というものへの強い憧憬。過ぎ去った愛や出会いの日々への感傷。やるべきことをやれなかったのではないかという悔恨と焦り。ある種の感傷を伴いながら人生へのいろいろな思いが交錯するのが50歳台だと言えよう。
 ドナルド・キーン氏の受け売りだが、フランスのセリーヌという人の「夜の果てへの旅」という小説の冒頭に、人間の一生を旅になぞらえてこんなふうな一節があるという。
 人々が、消えつつあるローソクを手に持って暗闇のなかをさ迷っている。ときどき他人にぶつかってしばらくは一緒に歩くのだが、またいつのまにか別れ別れになって独りで歩いていく…。なんともやりきれない寂しい風景である。しかしだれでも50歳くらいになれば、ふっとそういう気持ちに襲われることがあるのではないだろうか。

 山ざとは冬ぞさびしさまさりける人目も草も枯れぬとおもへば   源宗于朝臣

 このところブラームスの4番を聴くたびに頭に浮かぶ歌である。この歌は単に冬枯れの山里が寂しいといっているのではなく、「人目が枯れる」つまり友人や家族、愛する人との別離、人生の冬の心象を歌ったものだと思うが、第4交響曲を書いたころのブラームスの心象風景もまた、同じようではなかったかと思う。
 伝記によれば、このころブラームスは親しい友を何人も失い、ヘルマン・レヴィやヨアヒムとも喧嘩別れをしている。全くの推測だが(こういうことはきっと誰かが研究していると思うが)、長年の憧れであったクララ・シューマンを完全に思い切ったのもこの時期ではないか。第4交響曲をきいていると、そんなブラームスの気持ちが伝わってくる。そしてそれが今のぼくの心象にぴったりと寄り添ってくるのだ。
 最近トスカニーニの演奏を聴いていて、第四楽章のパッサカリアで強打されるティンパニの決然たる響きに、はっと気づいたことがある。「そうか、ブラームスは過去の感傷に浸っているだけでなく、過去への想いを断ち切って、新しい未来に一歩を踏み出したのだ」と。
 そう思って聴くと、第二楽章までのブラームスの心はまだ濡れている。しかし第三楽章をそそくさと終えると、あの悠々とした足取りのパッサカリアがはじまる。ティンパニの強打。ブラームスはここで過去への未練をすっぱりと断ち切ったように思える。
 ブラームスは、ただ過去の感傷にひたっているだけではないのである。第四楽章でブラームスは地平線のかなたに自分がこれから進むべき曙光をみつけ、決然として第一歩を踏み出している。トスカニーニの演奏での毅然たるティンパニの一撃が見事にそれを現しているのではないか。

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