1988年二つの出来事    早風 宣雄

 音楽に限らず、何事も始まりはふとしたきっかけから始まるといわれます。
小・中学時代、音楽の通信簿が1であった私が、今こうして「さんげつ会」の末席を汚させて頂いておりますのも、中学の音楽教師の陰謀のなせる仕業で・・・。それは3年の夏「クラシック音楽の感想文を書け」という宿題が出されたことです。小さな小さなラジオのFMから流れてくる音楽に耳をすませているうちに、少しずつ「ええもんやな〜」。高校入学祝いにステレオを買ってもらい、最初に入手したのが「田園」のLPでした。
 それ以来のクラシック音楽のファンです。
(一時期フォーク・ソングやブルーグラスにはまり込みギターやバンジョーを弾きまくっていた事もあったのですが・・・・・。)

 「さんげつ会」に入会して7年程になりますが、博識豊かな大先輩の方々が多く、いつも月例会を楽しませて頂いております。
 今回200回記念誌発刊ということで、拙文を掲載して頂ける事になり、うれしく、又、光栄に思っております。
 
 私が生まれて初めて生の音楽を聞いたのは高校時代で、ボスコフスキー&ウィーン・J・シュトラウス管の「ワルツ・ポルカの夕べ」でVnを弾きながら指揮をする優雅な姿が印象的でした。
 当時、大フィルの「名曲コンサート」が千円と安く名曲をよく聞きに出かけました。定期はたった一度だけでしたが、近衛秀磨指揮でR・シュトラウスやベートーベンの第8番等を聞き、朝比奈指揮の100回目の第9演奏会を折り畳みのイスの補助席で聞いたり・・・、又丸川氏の「ぼくだけの音楽」にもふれられていますが、マズア・ゲヴァントハウス管の「田園」「英雄」も聞き、アンコールの「エグモント」が圧倒的だった事が思い出されます。
 
 それ以後、大学時代にチェコ・フィルを聞いたぐらいで、コンサート等はまるで縁がなかったのですが、1988年は今までで一番印象に残る一年でした。
 今でも、昨日のことのように思い起こされる二つの出来事を綴ってみます。それは・・・。
 大フィル40周年記念演奏会(チャイコの第5番他)に行った時の事。(片山・喜多両氏と)終了後楽屋で小沢征爾のサインをもらい、とても嬉しかったのですが、それだけなら別に何ということもないお話ですが、食事をしにグランド・ホテル内を通りますと、あのメータがフロント受付にいるではありませんか!翌日がイスラエル・フィルとの公演だったのです。色紙もなく困りましたが、片山氏のおかげで体裁の良いサインを得ることが出来ました(勿論日付も)。1988年3月18日早春の夜の事でした。
 もうひとつ、1988年ミュンヘン・オペラ引っ越し公演の時「第9」と「ドン・ジョヴァンニ」とを見聞きしたのですが、「第9」終了後沢山の人がサインをねだっており、疲れも見せずサヴァリッシュ氏がにこやかにサインをしておられ、私の前の人には昭和の日付をいれておられました。(私は西暦でしたが)日本びいきのサヴァリッシュ氏らしい出来事でした。
 一人でしたのでまっすぐに帰宅しようと、シンフォニーホールの表側に廻りますとハイヤーが一台。「どこかの偉いさんだろう・・・」と思いながら玄関を何気なく見ますと、ソプラノを歌っていたアンナ・トモワ=シントウが付き人と降りてこられ、これまた運良くサインを頂戴しました。他に誰もおらず"Danke"と下手な独語でお礼を言いましたら、にこやかな笑顔で応えてくれてとても印象的でした(11月29日)。
 二日後、フェスでの「ドン・ジョヴァンニ」公演は、二階席正面の後方でしたのでオペラグラスでやっと見れる有様でしたが、ドンナ・アンナ役のトモワ=シントウだけはしっかりと見ておきました。
 演奏会にはほとんど行けませんので、1988年は忘れられない年となりました。又この年はカラヤン、リヒテル、ノーマン、クライバー(スカラ座)
レヴァイン(メト)等大物の来日が相次いだ一年でした。

付記
 普段はFMでのライブ等のエア・チェックやLP、CDを聞いていますが、昔に比べ個性のある演奏家が少なくなっているように思います。コンクールやコマーシャリズムに惑わされずいろいろな個性を楽しんでいます。芸術に答えなし!!
[愛聴FM番組]
1. 「20世紀の名演奏」(特に第4日曜のNHKライブラリー)
以前放送されたミュンシュ/ボストン響やカイルベルト/バンベルク響の来日公演など時折おもしろいのが放送されるのでよく聴きます。
2. 「箕面FM」(最終日曜の瀧氏のSP音源放送)解説が良いと思います。
3. 「時折放送される特番」1994年夏の「BBCライブラリー」等。

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