赤とんぼ
水際を対象線として
樹林の陰影を
滑らかな画面に写し取る
精巧な技巧
ひとすじの陽光の
投射点から
ほのかに立ち上る
蒸気の妖しい白さ
対岸のくびれに
びっしりと
若緑に燃える
水草の群
午後も闌けた夏の日の
山上の沼の岸辺
耳に醸される
ドビッシー
だがここに静謐のひとときはない
気流をきらめかせて
乱舞するもの さやかに
さやけき音を 散らすものがある
赤とんぼだ
無慮 数万 数十万
可憐な飛翔者たちは
透明の羽衣をふるわせて
おびただしくも
舞う 散る
暑熱の下に はやばやと
初秋の気を まき散らす
生きものの群は
陸奥山中から 時空をへだてて
想いを運ぶ
八年前······
比良蓬莱山頂·······
四囲は果てもなく
炎暑は足下はるかに
円頂の草原に
ひとときの四人の憩い
故里遠く
出立(たびだ)つ父と
明日の別離を未だ解せぬ
幼き二人とその母と
頭上高く抜け上がる
葉月初の天空に
舞い狂い 渦を巻き
きらめき 流れる
おびただしい群
赤とんぼ········
赤とんぼ········
茫々はるか
時は刻み ふり積み
月日は育て はぐくみ
そして産ましめ
いま四人は五人
季節はめぐり めぐり来て
今年も秋の気配を運ぶ
変らぬ使者は赤とんぼ
そして·······
変らぬは われら
変らぬは わが想い
1979.8.25
80年へ進む 玉手箱目次へ TOPに戻る