コラムの著者が、自身の英語に関する体験談と、英語に対する心構えを説いている。 大切な部分はゴチック体になっているので、わかりやすい。 この部分をさらに要約すると、次のようになる。
この意見を読んで、自分が情けなくなった。なるほど私は昔、職場の若い衆と3年間ほど、 朝早くに来て英語で書かれたニューラルネットワークに関する文献を継続して読み通してきた。 しかし、その結果が役に立ったといえるのか。どうもそうは思えない。 ただ、若い衆には役にたったようだ。 この二人が同時に英検1級の一次試験を受けた。若い衆は not passed A で、私は not passed B だった。 私は英検1級をこの8年前に受けたことがあり、そのときは not passed A だった。 だから、昔の自分の成績より落ちたことにもがっかりしたし、 またこの若い衆より劣っていたことにもがっかりした。 このあと、上司が米国に留学したりして、まわりは米国に向かって開かれていたが、 私は一人殻に閉じこもっていた。 柴田さんがいう意味で、役にたった原書もあった。 しかし、それらはほんの一部である。
さて、私が悟ったことは何かというと、「英語で読まなくてもいいような、 日本発の新しい技術を取り入れる」ことである。Ruby はその代表だし、 赤池情報量基準(AIC)もまたそうである。だから、Perl や MDL はあまり勉強しない。 このような開き直りもまた一興であろう。
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