原著の表題は「How to Think about ANALYSIS」
私がこの本を借りてきたのは「声に出して学ぶ解析学」という書名に惹かれたからだ。 どこかのベストセラーの書名を借りてきたような本はどんなものだろうか、と気になったのだ。 岩波書店の企みにひっかかったともいえる。そういえば岩波書店は、ある翻訳本を、 「微分、積分、いい気分。」という書名で出している。 こちらは「日本タイトルだけ大賞第9回」で個人賞(山田真哉賞)を受賞している。
ともかく、この「声に出して学ぶ解析学」を読ようとしてページの中央部をめくってみた。 本文が常体ではなく敬体ということぐらいで、グラフはいろいろあるし、式も出てきているから、 特にかわったことがない。どこを読んだらいいのだろう。
こういうときに心強いのが Amazon の「カスタマーレビュー」や、読書メーターの「感想・レビュー」である。
Amazon のカスタマーレビューを見ると、あるレビュアーは、 本書で数学上の定義をするときの言葉遣いを問題視していた。 たとえば、次のような定義がある。
定義・数 `n` が偶数であることの必要十分条件は, 整数 `k` が存在して `n= 2k` が成り立つことである.
私も、このような記述には問題があると思う。私の理解では、定義とは、 新たに登場することばや式や概念を既知のことばや式や概念を使って説明したり言い換えたりしたものである。 定義には、証明は不要である。正確に言えば、証明の対象ではない。定義に必要十分条件、 ということばを使うと、定理と紛らわしくなる。定理は、真であることが定まる記述文であり、 ある定理が真であることは証明という行為によって決定されるものだ。したがって、定義と定理とは別物である。 上記の記述は、定理ではなく、定義である。正確に言えば、定義として採用するのがもっともらしいということだ。 だから、上記の記述は、私の感覚では、 「数 `n` が偶数であるとは、整数 `k` が存在して `n = 2k` と表される `n` のことと定義する」 とすべきだ。原著は英語だが、同じことはいえるだろう。
本書の主張では、定義にあたって必ず必要十分条件という記述がされているはずだが、そうではない。 p.198 の定義はこうだ。
定義・集合 `[a, b]` の分割とは,`a = x_0 lt x_1 lt cdots lt x_(n-1) lt x_n = b` であるような点 `{x_0, x_1, ldots, x_2} `の有限集合である.
なぜ「必要十分条件」ということばを出さなかったのか。 それは、著者が上記分割の定義で「必要十分条件」ということばを使うことに抵抗がある、と感じたからに違いない。 ほかにも「必要十分条件」ということばを出さない定義の例は、本書 p,116 などにもある。
もう一つの例証を挙げる。それは、本書で上げる定理のなかに、 必要十分条件ということばが使われ、その定理に証明が付与されている例があることだ。 p.103 から引用する:
定理 ■ `a != 0, r != 1` のとき,`a + ar + ar^2 + ar^3 + ar^4 + cdots = a / (1-r)` となるための必要十分条件は,`abs(r) = 1` である.
証明(略)
この記述には必要十分条件ということばが使われている。 本書の著者によれば定義には「必要十分条件」ということばを使うべきなのだろうが、 だからといって、定義であるとはいえないだろう。
Amazon の同じレビュアーは、次のようにも言っている:
また「必要十分条件」の置かれる位置もおかしい。 「〜であるためには、・・・であることが必要十分な条件である」とすべきである。
この主張を理解するには、志村五郎の「数学が好きな人のために」のあとがき(pp.128-129)を見るといいだろう。 この主張に対しては私は感想を保留する。
以下の数列はすべて実数列であることをお断りする。 5章の「数列」から p.68 では、次の主張が掲げられ、「これらのうちどれが真でどれが偽かと思いますか?」という問いかけがある。 なお、本書では番号なしリストであったが、引用に際して番号つきリストに書き換えた。
- すべての有界数列は収束する.
- すべての収束数列は有界である.
- すべての単調数列は収束する.
- すべての収束数列は単調である.
- すべての単調数列は有界である.
- すべての有界数列は単調である.
- すべての有界単調数列は収束する.
目がちらちらするし、どれが真でどれが偽だかすぐにはわからない。
ちなみに、本書では、 「1. すべての有界数列は収束する.」が偽であることが p.82 に反例を示すことで明らかにされている。 また「2. すべての収束数列は有界である.」が真であることが p.83 で証明されている。 残り5つの主張については、p.84 で再掲されている。 ただし、真か偽かについては書かれていない。私が思うに、3. から 6. は偽であり、反例がある。 しかし、「すべての有界単調数列は収束する.」は真だろう。 これについてはこの本の最終章「実数」の p.227 で言明されているが証明はされていない。 実数がもつ性質を使わないと厳密な証明ができないが、その厳密な証明までは行なう必要がない、 と判断したのだろう。それでいいと思う。
5章の「数列」に戻ろう。p.68 では部分列の概念が導入され、 p.68 部分列を使ってさらなる主張が掲げられている:
- すべての収束数列は単調な部分列を持つ.
- すべての数列は単調な部分列を持つ.
- すべての有界数列は収束部分列を持つ.
これらについての真偽の言明は本書ではなされていない。それどころか、 部分列についての性質も以降ではまったく触れられていない。 本書では、あえて回収しないことにしたのだろう。 なお、本書では著者の体験を次のように述べている。
簡単に答えがわかったという人がいたら,それはよく考えていない証拠です. 納得がいかなければ,200 人の学生がいる解析の授業で, 2 番目のものが真だと思うかと私が質問したところ,答えが真っ二つに割れたことをお知らせしておきましょう. (後略)
真偽の話に戻ると、私から補足すれば、この 2 番目のものは「真」である。 というのは、この第 3 番めのものも「真」 であることがボルツァノ=ワイヤシュトラスの定理として知られていて、 その証明の過程で「すべての数列で単調な部分列をもつ」ことが示されるからだ。 なお、2 番目のものが「真」なので、1 番目も「真」である。
このページの数式は MathJax で記述している。
書 名 | 声に出して学ぶ解析学 |
著 者 | ララ・オールコック |
発行日 | 2020 年 6 月 12 日(初版) |
発行元 | 岩波書店 |
定 価 | 3000 円(本体) |
サイズ | A5版 246 ページ |
ISBN | 978-4-00-006319-7 |
その他 | 越谷市立図書館にて借りて読む |
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