フォーレ:ピアノと弦のための五重奏曲第1番ニ短調 Op.89

作成日 : 1998-09-15
最終更新日 :

1. フォーレのピアノと弦のための五重奏曲

フォーレの室内楽を語るうえで、二つのピアノと弦のための五重奏曲を抜かすことはできない。 この二曲はフォーレの魅力を伝えてあますところがない。 このページでは、ピアノと弦のための五重奏曲第1番について記す。 ピアノと弦のための五重奏曲第2番のページもどうぞ。

なお、今まで「ピアノと弦のための五重奏曲」と記してきたが、 これは、現在通用している「ピアノ五重奏曲」が適切ではないと思っているからだ。 正確な題名は 「ピアノと2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための五重奏曲」 だからだ。 フランス語では 1er Quintette pour piano, deux violons, alto et violoncelle となる。 今まで「ピアノ五重奏曲」として紹介してきたのは 題名としてピアノだけを取り出すのは私の感覚に合わなかったからである。 しかし、世間に題名として知られているのは「ピアノ五重奏曲」の表題である。 そのため、検索の便を図って一度は「ピアノ五重奏曲」としたのだが、 やはり正確さでは劣る。ここでは妥協点として「ピアノと弦のための五重奏曲」とした。 ただし、以降は誤解がない場合は単に「五重奏曲」と記す。

2. 五重奏曲のレパートリー

いきなりフォーレの五重奏曲について語る前に、ピアノ五重奏曲という形態について調べてみる。 ピアノ五重奏曲、すなわちピアノと弦楽四重奏の五重奏曲はシューマンから始まり多くの名曲がある。 ピアノ五重奏曲のレパートリーが、 ピアノ五重奏曲のページ(cellist.my.coocan.jp) という WEB ページで紹介されているので見た。 30曲は下らない。

有名な作曲家では、シューマンのほか、シューベルトの「ます」 (編成がちょっと違って、弦楽はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの1台ずつ)、 ブラームス、 サン=サーンス、 フランク、ドヴォルザーク、ショスタコーヴィチがある。 他にも、多くの作曲家の多くの作品がある。大木正興の記述によれば、 「作曲家にとってピアノと弦のための五重奏曲は(フォーレを除くと)生涯に一つだけである。 ピアノと弦のための五重奏という形態をとると、 1曲だけで美質が組み尽くされてしまうのではないか」ということである。

たまたまであるが、フォーレの五重奏曲は2曲あり、 どちらもこれぞフォーレという曲である。 なお、ピアノ五重奏曲を2曲作った作曲家はほかにもボフスラフ・マルチヌーがいる。

3. 五重奏曲第1番

フォーレの五重奏曲第1番(ニ短調、Op.89)は、フォーレ研究家から見ると微妙な位置にあるらしい。 すなわち、中期か後期か、どちらの区分にも入りにくいのである。しかし、聞く側にとってはあまり気にしなくていいことだ。

第1楽章

いきなり 2 オクターブにわたり安定してきらめくアルペジオが登場する。 この開始部は印象的だ。 もっともフォーレらしいアルペジオといえる。

この幅広いアルペジオに乗ってまず第2ヴァイオリンが、そしてチェロ、ヴィオラ、第1ヴァイオリンの順に メロディーがユニゾンで入ってくる。 このひそやかな出だしが後の展開をいっそう効果的にしている。

このメロディーは、フォーレ得意の叙情的な旋律であり、生涯にわたって様々な作品で顔を出す。

さて、弦のメロディーはずっとユニゾンで積み重なる。 無理な和音の積み重なりを狙わず、ユニゾンでメロディーを流す手法はフォーレの一つの特徴といえる。 このユニゾンは、アルペジオの終結と同時に解消される。しかもこのとき弦楽器の和音は、 D7-9という、テンションノーツである。 この安定からテンションへの移行がその後の曲の骨格を作っているといえる。

第 2 主題(上記譜面は第1ヴァイオリン)は弦楽器のみで提示される。 厳しい表情をもっているが、すぐに入って来るピアノの アルペジオで和らげられる。
この繰り返しの後でピアノが単独で断片的なメロディーを奏する(上記)。 これらの提示された材料が、展開部で寸分の狂いもなく積み重ねられる。 再現部ではアルペジオもメロディーもさらに雄弁になり、 後の展開も型通りではなくさまざまな変容が積み重ねられる。 はにかんだような終結部がほほえましい。

第2楽章

第2楽章は 12/8 拍子のト長調から始まるが、メロディーはどこにも落ちつかない。 白昼夢へといざなうような、言葉では説明し難い楽章である。 下記楽譜の上段と中段はピアノ、下段はチェロである。

中間部は 4/4 拍子となり、dolce cantabile と付されたピアノのメロディーがヴィオラと絡み合いながら奏される。 下記楽譜の上段と中段はピアノ、下段はヴィオラである。

練習記号 10 からの12/8拍子と4/4拍子の交錯する様はため息をつくほど美しい。 下記楽譜の上段は第1ヴァイオリン、中段と下段はピアノである。

上の譜面で省略された第2ヴァイオリンやヴィオラ、チェロは、12/8 拍子から 4/4 拍子への交代はなく、 しばらくは 12/8 拍子で通している。そののち、弦がすべて 12/8 拍子、ピアノが 4/4 拍子となる部分が続いたのち、 再現部でピアノも 12/8 拍子に戻る。

第3楽章

第3楽章の第 1 主題は端正なリズムから始まる。 下に譜例を掲げた。上段がピアノの右手、下段が弦ピチカートをまとめて掲載したものである。 発表当時から、ベートーヴェンの第 9 交響曲の有名な歓喜の主題と比べられていたことで知られている。 このことをフォーレは苦痛に思っていたらしい。

しかし、徐々に動きをもって音楽が流れていくさまは誰のものでもない、まさにフォーレの音楽である。 なお、フォーレの主題とベートーヴェンの歓喜の主題が似ている主張は、私には疑問に思える。 むしろ、フォーレの主題に良く似ているのは、Fly Me to the Moon (フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン) である。この指摘はあるブログから知った。

第 2 主題では第1ヴァイオリンによるオクターブの上行跳躍が提示される。

この跳躍は、後の展開部で徹底的に利用され、曲全体の推進の原動力となる。この展開部は圧巻である。 再現部は、初めの端正さと展開部の力強さとをともにもって兼ね備えている。 フィナーレは輝かしく、また余韻をもっている。

4. 私的体験

ちょうど私がフォーレに熱を入れはじめた頃である。別の体験のところで書いたのだが、 Sさんという私の先輩がフォーレのバラードを弾き、 それに憧れてフォーレの曲をあれこれあさり初めたのだった。 まもなく、そのSさんと連弾をする機会ができた(曲はフォーレではない)。 その連弾曲の練習のため、私は自分の家にSさんを招いた。 Sさんと連弾の練習をしたあとで、Sさんはフォーレの曲を弾いてくれた。 その中にこの第一楽章のアルペジオがあった。

その後やっとレコードを聞けた。東京都文京区の小石川図書館(か真砂図書館)で借りた。 演奏はジェルメーヌ・ティッサン・バランタンのピアノと ORTF 四重奏団。 後に手に入れたユボー+ヴィア・ノヴァ四重奏団の演奏やコラール+パレナン四重奏団の演奏よりゆったりしていて、 すさんだ心を癒すにはうってつけだった。

学生生活に終わりを告げようとする日、ふとしたはずみで先輩のTさんの研究室に遊びに行った。 たまたまこの五重奏曲第 1 番の話題になったら、Tさんが「楽譜持っているから貸してあげるよ」 と言われた。私はびっくりして、どうしてですか、と聞くと、まあいろいろと、と答えた。 当時から、出版社である Schirmer から出ているこの楽譜は絶版であり、 手に入れられないとあきらめていたからである。 後程借りて見た楽譜には、あのアルペジオがきっちり書いてあった。 このTさんは前にフォーレの夜想曲第 6 番を弾いた方であり、 やはりフォーレへのきっかけを作ってくださった方であった。

付記:現在では、スコアだけなら Dover の廉価版で手にはいる。

それから?年後、ヴィア・ノヴァ四重奏団が来日した。 フォーレの曲を演奏するマチネがあるということで、 めったにコンサートに行かない私も奮発して券を買った。 ピアノは斎藤雅広だった。ここには当時の同僚のKさん(ご夫妻でいらしていた)のほか、 楽譜を貸してくれたあの T さんも来ておられた。
このときの曲目は、ピアノ四重奏曲第一番と、この五重奏曲第一番、そして弦楽四重奏曲だった。
T さんは後で「前(に来日したとき)のヴィア・ノヴァのほうがよかったんじゃないかな」といっていた。
K さんとはこんな話をした。

私:「あの五重奏曲のフィナーレ、あんなふうにどっこいしょ弾きされたんじゃ、かなわないな」
Kさん:(無言)
私:「弦も全体に曇っていたし、輝きがなかったな」
Kさん:「フランスの弦なんだし、そういうのが魅力なんですよ。」
私:(無言)
Kさん:「ところで、ヴィオラ、何か変じゃなかったですか。」
私:「そうそう、面白かった。」

最初の項、どっこいしょびきというのは、 斎藤雅広が小節の終わりごとわざわざ休みの「ため」を作って弾いていたことを指す。 この第三楽章は最初聞くと弱起の曲に聞こえるのだけれど、楽譜を見ると強起の曲である。 理由は、ピアノが四拍子のリズムをどの拍の頭にも正確に刻んでいくのに対し、 弦は3拍目と4拍目のみにピチカートの刻みを入れる。 ヴァイオリン2丁は4拍めのみ、ヴィオラは3拍めと4拍め、チェロが3拍めのみである。 斎藤さんはおそらく小節の区切りをはっきりさせようと「ため」を作ったのだろう。 しかし、私はこういった演奏になじめず、後々まで尾を弾いた。 (日本音楽コンクールのときのプロコフィエフの協奏曲3番はかっこよかったのだけれどねえ)。 なお、「ため」については次の付記を参照されたし。


付記

以上のように印象批評を並べておいたところ、 当のピアニストである斎藤雅広氏から電子メールが寄せられた (2001-06-23)。 斎藤さんはこのときのマチネにまつわる話題をいろいろ書いて下さり、非常に面白く読んだ。 お忙しい中このように一愛好者にメールを寄せてくださり、 斎藤さんには恐縮するとともに感謝している。 メールすべてを公開することも考えたが、きっとそのような話は斎藤雅広さん御自身のページで披露される(あるいは披露されている)だろうから、 今回は上記の「ためびき」に関するところだけ、斎藤さんからのメールを引用する。

さてさて今日メールしたのは他でもありません。非常に詳しくフォーレの 5重奏曲をとらえられているので、やはりお話をしておいた方が良いかと思って。 ご指摘の3楽章でフレージングの最後で待ったのは私の意思ではなく、 ムイエール先生とモグリアさんにヤイノヤイノ云われての事です。彼らが言うには、 この主題は子守唄で、 赤ちゃんをゆりかごで揺らすようにやらねばならない・・・んだそうです。
1回1回待つ事でその優しさを表現するのかどうかはわかりませんが、 毎回毎回リタルダンドをかけて弾くのがフランス風なやり方と教えられました。 聴いた事ないし私自身あんまり納得できなかったのですが、解釈としては面白い。 大体あそこはベートーヴェンの第9の模写だとか言われているのに (批評家が言っているだけかも)とても不思議ですよね。私も若かったし、 もっとそれがスムーズに出来れば良かったのかもしれませんが、 ピエールも険悪だったしなあ・・・・一応おもろい話なのでメールしました。 外来の1流アーティストとの共演が多いのですが、 ほんとにみんな常識外れの面白い事を考えてやってますよ。 最近はそれに巻き込まれる事なく、出来るようになりました。

この引用の前に、私が省略した部分がある。 それは演奏会当日のリハーサル風景である。省略部分を私が補足する。 「ムイエール先生」とは、 ヴィア・ノヴァの第 1 ヴアイオリンでリーダーでもあったジャン・ムイエール先生のこと、 「モグリアさん」は同じヴィア・ノヴァのアラン・モグリアさんのこと。 そして、ピエールとはヴィオラのピエール・フランクを指す。「ピエールも険悪だったしなあ」のくだりは、 リハーサルでムイエール先生とピエールがリハーサルで大喧嘩していて険悪な雰囲気だったことを受けての話である。 やっぱり、全文引用すべきだったのでしょうか、斎藤先生。

私は概略、次のような返事を斎藤さんに書いて送った。

わたしもあの解釈が最初で最後だったので、 びっくりしてそれが今でも続いているのです。 私のホームページでは斎藤さんの解釈のように書いていて、 これは正しくはないんではないだろうかとひっかかっていました。 5人の(あるいはグループと個人の)力関係を考えても、 斎藤さん一人の考えではないというのはむしろ自明なことだと今は思っています。 解釈として面白い、というのは確かにそうですね。 あの、弱起に聞こえてしまうリズムの取り方を考えると、最後で待ったをするのもありそうです。 一流の演奏家たちが常識外れの面白い事を考えたことを、 うまく受けとめて、反応する演奏者泣かせの面白い聴衆になりたいと思いつつ、 私は隠居してしまっています。

斎藤さんはまた、自身のピアノによる フォーレのピアノ四重奏1番とピアノ五重奏1番の CD の演奏についてどう思われるか、 と尋ねていた。私は、下にある感想とは違った書き方ですばらしい、ということをお伝えした。

この機会に、斎藤雅広さんのホームページを紹介する。いろいろな話題があり面白い。

http://www.masahiro-saitoh.com/

そのときのお話は斎藤雅広さんがご自身の下記のブログでも書かれている。"書いたその人"とはほかならぬこの私である。 ヴィア・ノヴァ弦楽四重奏団と共演(konnakaoka.exblog.jp)

さて話を元に戻す。 弦も曇っていたし、というのは私の感想だけれど、当てにはならない。 ちなみに K さんはサラリーマンだが、 十歳のころからチェロを高名な先生について習っていたということからわかるとおり、 ばりばりのチェロ弾きである。 バッハの無伴奏は当然のことながら暗譜しているということだった。 それでも「ヴィオラが変」というのは共通していたので面白かった。 このヴィオラ弾きはパンフレットに乗っていた人とは違っていたので、何かあったのであろう。 さして下手ではなかったが、 ヴィオラ独特の音色が四重奏団の中で宙に浮いていた、ということだったのだと思う。

註:このページを読んだ K さんから、フランスの弦についてのくだりなどについて 「私、本当にそんなこと言いましたか」と尋ねられた。 今となっては本当に K さんが言ったのかどうか私も覚えていないが、 書き付けると本当のような気がしてしまうのがこわいところである。

このページを読んだある方がメールをくださった。 「私も聞きに行きました。ヴィオラが浮いていたという 印象を私ももちました。」とのことでした。

ちなみに、Kさん曰く「SQ(弦楽四重奏団)の中で、あれだけうまいチェロ弾きはめったにいませんよ」。 たぶんCDにあるのと同じ、ルネ・ベネデッティ氏だったと思う。 私もチェロを弾くのである程度はわかる。 相づちを打ちながら「そういえばチェロ弾きというのはハゲが似合うね。 このルネ・ベネデッティもそうだけど、カザルス、 ロストロポーヴィチ‥」Kさんは苦笑していた。

今はフォーレの楽譜も充実してきて、 この第一番のスコアもDoverから買えるようになった。いつかは自分も参加して弾いてみたいものだ。

5. 五重奏曲再訪

先のTさんからの情報で、 1998年12月14日にイソ弦楽四重奏団がフォーレの五重奏曲第 1 番を弾くよ、というので行ってみた。
結論から先にいえば、完全な演奏ではなかったものの、十分楽しめた。 いろいろ聞いていると耳が肥えてしまって、理想の演奏を想像してしまって満足できないのかとも思う。
第1楽章は出だしのアルペジオの最初の4つの音が遅く、まるで助走をつけているようだった。こんなことさえ気になってしまう。
第2楽章はピアノの弱音に美しさがほしかった。
第3楽章は展開部が多少乱暴な気がしたが、全体としては調和が取れていた。
全体を通して破綻はなく、安心して聞くことができた。 しかし、どこか一個所でも突き抜けて来るところがなかったのが残念だった。 パートでは、チェロが美音なのに押しが弱い。 ヴィオラは逆に音が強かったが美しく響いて来なかった。
アンコールでドヴォルジャークのピアノ五重奏曲のスケルツォを奏していて、こちらはみなさん生き生きしていた。顧みて、フォーレの1 番は楽章間の対比が弱いことが大変なことなのだなと思った。

かなりあとで、2004年のある日、アマチュアの演奏があったので出かけてみた。 演奏日誌に記録した通り すばらしい演奏だった。アマチュアとプロフェッショナルの境はどこにあるのだろう。

6. 五重奏曲の音盤

斎藤雅広(p)、ザルツブルグモーツァルテウム弦楽四重奏団(SQ)

先に斎藤雅広の実演を聞いた、と書いた。 その後、彼のピアノで音盤が出ているのを見たので購入した。 聴いてみるとけっこういい。あのときの「どっこいしょ弾き」ではもはやない。 けっこうさっぱり弾いているところもあり、またねちっこく弾いているところもあるが、 私の好みとは合っている。

ローマ・フォーレ五重奏団

傾向は五重奏曲第2番と同様である。 どの楽章とも、最初弦は努めて冷静さをふるまっている。 その弦が次第に熱くなっていく。速さも増していく。 付点音符の配分もきつくなっていく。 ちょっと危ないのではないかと思いつつ、 情感豊かな演奏を聴くのは楽しい。

パスカル・ロジェ(p)、イザイ四重奏団

バランタン+ORTFについで、遅めのテンポをとっている。盛り上がりを重視するというより、 雰囲気と音の環境を大事に扱っている演奏である。 ただ、弦楽器のアクセントや強奏部が弱いのか、 ボリュームを下げて聴いていると自然なメロディーとして聞こえてこない。 また、第3楽章でちょっと不思議な和声が聞こえる。 それを除けばゆったり聴ける演奏である。

ジェルメール・ティッサン・バランタン(p)、ORTF 四重奏団

ここにあげた演奏の中で、もっとも遅いテンポで、穏やかな演奏。 音の質も厚くなく、うるさくない。薄味というとけなしているようでもあるが、 聞き飽きないことでは随一。

ジャン・ユボー(p)、ヴィア・ノヴァ四重奏団

こちらは快速を旨としてあっという間に進む。その分ゆとりがないので息苦しさを覚えることがある。 また細かなところでの抜けや乱れもある。しかし、重く感じることはない。 録音の質のせいか、高音が多少うるさく感じる。

Peter Orth(p)、Aurin四重奏団

フォーレの演奏スタイルには珍しい、熱血感動型である。良くも悪くも、メリハリをつけ、 付点をきびしくして、mp をピアニシモで弾き、mf をフォルテシモで弾く。 どの演奏より目が覚めること請け合い。ただこの演奏は、他の団体の演奏と対比することで初めて生きるのではないか、 とも思う。

ジャン・フィリップ・コラール(p)、パレナン四重奏団

こちらはゆったりめの演奏である。特に第2楽章の中間部は遅めで、 粘り気のある、夢想的な演奏となっている。 音は明晰で、丁寧である。 音程に甘いところがあるが、安心して聴ける。

ドーマス ( DOMUS )

バランス重視で、滑らかな演奏である。 弦、特にヴィオラの音色がよい。 弦に比べて少しピアノの迫力が欠けるが、聴きやすい。 (2010-10-02)

エベーヌ四重奏団+ニコラ・アンゲリシュ(p)

今まで聞いたどの演奏とも違う個性を出そうとしているように聞こえる。その個性がどういった点にあるのか、 私はまだわからないが、もう少し聞きこんだ上で結論を出したい。 (2012-02-10)

クリスティーナ・オルティス / ファイン・アーツ四重奏団(NAXOS)

リズムの揺らし方に特徴がある。テンポが一定していないことが私にとっては少し残念だ。 (2012-02-10)

シューベルト・アンサンブル(CHANDOS)

全体として基本に忠実であり、現代的な感性もある。

第1楽章は速い。この速さで各楽器の均衡がほとんど取れているのはおそるべきことだ。 ピアノは明るく聞こえ、弦もこれに応えて激情にかられて盛り上がる。 長い音を出すとき、フォルテピアノのようにアクセントを付けることからかもしれない。 再現部のあと第2の頂点を迎えるところはしっかり腰を落としていて、 末尾の静かな終結に至る。他の団体と比べて第1楽章のこの演奏は優っていると思う。

第2楽章はかなり遅く、第1楽章との対比を意識していると思われる。 この五重奏曲は、楽章間の対比を極力少なくしているという通説があり、これへの問題提起であろう。 実際聞いてみると、この遅さでも音楽が濃密に流れている。特に高音がしっかり聞こえるのがうれしい。 動きが出てくる中間部は拍子が 4/4 と 12/8 が混在するが、聴いていて違和感はなく、落ち着いている。

第3楽章は少し張りが弱くなったような気がする。ピアノの高音部の輝きがほしい。 弦も、今までが全体的に潤いのある響きだったのが、この楽章では乾いた響きに聞こえる。 奏法がスラーをつなげるのではなく、フレーズを短く、切っているようだからだ。 この楽章が、前の2楽章と違う性格であることを浮き立たせかったのだろうか。 それでも、さまざまなテーマのなかで、オクターブ跳躍のテーマ、 いわゆるウリッセのテーマを奏でる楽器は力強く、大団円に向かっての盛り上がりは聴かせるものだった。 (2013-09-21)

エリック・ル=サージュ(p)、エベーヌ四重奏団

第1楽章は遅めに入る。これは私の好みだ(2014-03-20)。
第2楽章はふつうの速さで、微妙な速さの揺れが心地いい。ただ、この楽章では拍が4つ割と6つ割が頻繁に交代する箇所があり、 その切り替わりの前後で各楽器が食い違うような個所があるようだ。 第3楽章は遅めだが、それが展開部の濃密な表現とよく合っていると思う。(2022-10-09

筆者未聴の音源

まとめ

わたしはこの曲の音盤で、聴いていられないようなとんでもない演奏に出会ったことはない。 それぞれの集団の演奏が、それぞれの迫り方で、フォーレの音楽のさまざまな側面を照らしてくれる。

ついでにいえば、斎藤雅広がフォーレが好きだというのは意外であった。 岡田博美も好きな作曲家の中でフォーレを上位に挙げている。これも意外だった。 岡田博美のフォーレについては、後で主題と変奏の実演を聴いて感嘆した。

特に、この曲の第2楽章の美しさを語ったブログを紹介する。
bar bossa vol.46(www.jjazz.net)
第2楽章の分析はこのリンクにある。
フォーレ ピアノ五重奏曲第1番 2楽章(admaestro.kamos.co.jp)
本曲を含むフォーレの主な作品の点数付け
フォーレ クラシック一口感想メモ(classic.wiki.fc2.com)

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楽譜の表示は一部 abcjs を用いている。

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MARUYAMA Satosi