Rail Story 12 Episodes of Japanese Railway レイル・ストーリー12

 四つ橋線の謎 2 (後編)

すっかり地下鉄から見放されてしまった南海…。昭和59年11月27日には天王寺線の天下茶屋-今池町間が廃止となり、その跡地を地下鉄堺筋線の延長に明け渡すはめに。ところが行政サイドからの新路線計画が、その2年前に産声を上げていた。

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それは「なにわ筋線」と言われるもので、あの都心のローカル駅、汐見橋と新大阪を結ぶものとされたが、南海がこれに乗り入れ、当時まだ予定段階だった関西国際空港の都心アクセス路線としての位置づけだった。なぜか地下とは縁のなかった南海だったが、今度は逆の展開で、思いがけない地下路線進出という話だった。
平成元年にはこれにJR西日本が加わり、汐見橋・湊町(現在のJR難波)-梅田-新大阪間の路線が、都市交通審議会第10号答申で「平成12年までに整備されるべき緊急性を要する路線」と位置づけられた。また京阪の中之島新線も同時に答申され、両線は玉江橋で乗り換え出来ることが想定され、また鉄道と縁のなかった中之島西地区の再開発も同時に考えられていた。

ところが計画は進展せずやがて平成不況が訪れる。政府は公共投資で不況を乗り切るため、平成11年に運輸省(現在の国土交通省)により大都市をターゲットとした「都市鉄道調査」を発表する。この中でなにわ筋線は「翌年には着工されるべき」と、再び建設の必要性がクローズアップされたが…。

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平成6年9月4日、泉州沖に関西国際空港がオープンした。人工の島につくられたその空港は騒音の影響が殆どないため、日本初の24時間空港として大きな期待が寄せられた(ただし他にも24時間供用となっている空港はあるが、運用時間が制限されている)。そのアクセスとして南海、JR西日本が空港ターミナル直下へと乗り入れたが、空港へ渡る橋から先は両社が仲良く走るという珍しいものとなった。
この時南海には、鉄道車両の常識を覆すようなコンセプトの50000系電車がデビュー、特急『ラピート』で難波-関西空港間に走り出した。その容貌は「鉄人28号」と例えられたほど強烈なもので、端正なスタイルの電車が主役を務めた関西私鉄の歴史の中でも異色とも言えるだろう。特急『ラピート』にはノンストップタイプの『ラピートα』と、主要駅停車タイプの『ラピートβ』が交互に都合30分おきに走り出した。
いっぽうのJR西日本では京都-関西空港間に281系電車による特急『はるか』がデビュー、こちらは落ち着いたエクステリアデザインで南海『ラピート』とは好対照の結果となった。また伊丹空港同様リムジンバスも参入、海上という特性を生かし高速船も加わり、関西空港アクセス競争が始まった。

南海50000系『ラピート』 JR西日本281系『はるか』
南海50000系『ラピート』 JR西日本281系『はるか』

当初は予想通り老舗の南海が一歩リードした。
加えて両社は特急以外にも『空港急行』(南海)、『関空快速』(JR西日本)を走らせており、共に順調な利用者数の伸びが見られたものの、デビューから1年も経たない平成7年6月、『ラピート』は『はるか』に逆転を許し、翌平成8年3月以降は『空港急行』『関空快速』の分を含めてJR西日本が優位に立つ。

これはJR西日本が特急『くろしお』の新大阪直通運転のためにつくった天王寺駅構内の阪和線-大阪環状線の連絡線が『はるか』にも生かされたからだ。『はるか』は福島から梅田貨物線を経由するため大阪には停車しないというデメリットを除いても、新大阪・京都で新幹線や他の在来線との接続が可能、しかも外国人観光客をそのまま京都へ運ぶことが出来るのは大きなメリットだった。しかも新たに設備投資する必要もなかった。
またOCATが設置されたJR難波駅発着だった『関空快速』も、OCATの失敗もあり平成11年5月からは阪和線快速改め『紀州路快速』との併結運転に変わり、天王寺から大阪環状線を3/4周して京橋まで走るようになった。

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なにわ筋線がなかなか着工に至らない理由…それは前述の平成不況に他ならない。国際線・国内線のハブ空港としても期待された関西国際空港だったが肝心の国際線は便数が増えず、国内線も大阪国際空港(伊丹空港)が並行して使われているため今ひとつ伸び悩みが見られる。このため『ラピート』『はるか』共に需要の伸びは期待出来ないということもあるが、『はるか』が乗り入れる大阪環状線や梅田貨物線も、貨物列車が不況で本数が減ってしまったためパンクには至っておらず、JR西日本サイドとしては、必ずしもなにわ筋線建設の必要がないのである。それになにわ筋線が出来たとしても所要時間に大差はない、というのもその理由のようだ。『はるか』のJR西日本281系電車は、なにわ筋線の地下区間対応として製造されてはいるが…。

大阪駅の近くを走る梅田貨物線
『はるか』『くろしお』などが通る「梅田貨物線」

すっかりJR西日本に水をあけられてしまった南海。『はるか』の快進撃を、ただ見ていただけなのだろうか。

南海のターミナルは難波である。かつて市電が走っていた頃は南海の電車を降りた乗客は市電に乗り換え、大阪市内へと向かっていた。また城東線(現在のJR西日本大阪環状線の東側半分)へ乗り換えるには、天王寺線を利用すれば良かった。
地下鉄1号線が開通した時は乗り換え先が増えたに過ぎなかったが、戦後になり城東線と西成線を繋ぐことになり昭和36年4月25日に大阪環状線が開通する。この時南海と大阪環状線の接点は天王寺だけだったが、昭和41年12月1日には新今宮駅が出来て両者の乗り換えは便利になった。

この間、南海は西横堀線建設に失敗、地下鉄堺筋線進出も成らなかった。しかし難波は地下鉄千日前線や近鉄難波線を迎え、相変わらず大阪ミナミの中心としての地位は変わらなかった。
ところが昭和62年4月18日に地下鉄御堂筋線我孫子-中百舌鳥間が延長開業。これは当初動物園前止まりだった堺筋線を中百舌鳥へ延長する予定だったものが、堺市からの熱烈ラブコールで御堂筋線に変わったものだった。結果、南海高野線・泉北高速線の乗客はここで御堂筋線に乗り換えれば大阪のメインストリートへ直結することになる。続いて平成5年3月4日、23年間動きのなかった地下鉄堺筋線動物園前-天下茶屋間が開通、終点難波まで行かなくても大阪市内へ向かうルートがこれだけ増えてしまうと、南海難波駅の乗降客数は減少傾向を見せ始める。

南海は『ラピート』の方針変更を余儀なくされる。停車駅を見直さないとますますJR西日本『はるか』との差が大きくなるばかりだ。平成15年2月22日のダイヤ改正で、それまで一部を除いてノンストップだった『ラピートα』は全列車新今宮、天下茶屋、泉佐野、りんくうタウンに停車、主要駅停車の『ラピートβ』は新今宮、堺、岸和田、りんくうタウンに停車することになり、列車の性格を変えた。『ラピートα』は運転開始当初29分運転がウリだったが、スピードよりも利便性が求められた結果とも言えよう。

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こうしてなにわ筋線は、当初着工予定だった平成12年を過ぎても全く建設に向けての動きがない。JR西日本は現状で事足りているし、南海も難波駅の地位や路線自体の状況が変わった結果、そのきっかけを失ってしまった。

なにわ筋線計画は、少しだけ形が出来ている。

JR難波駅の北端 なにわ筋線の可能性が…
JR難波駅の北端 この先、線路を延ばせるよう出来ている

大和路線の終点、JR難波駅は地下駅になって久しいが、ホームの北側の端はこの先線路を延ばせるようになっており、なにわ筋線への可能性を残している。本来なら特急『はるか』や『関空快速』が、ここから京都などへ向かう予定だったのだろう。

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かつて南海が、もう少し西横堀線に積極性を見せていたら、地下鉄四つ橋線は別の名前で存在し、南海の電車が地下を梅田まで走っていたはずだ。
堺筋線については南海にとって良い風は吹かなかったが、なにわ筋線計画は今でも健在だ。しかしこちらもバブル景気がはじけることがなかったら、建設の気運はとっくに高まっていたはず。そうすれば南海・JR西日本の電車が仲良くなにわ筋の地下を走り、市内交通の一環を担いながら関西空港アクセスの主流にもなっていたのには間違いない。もしかすると南海『ラピート』も、JR西日本『はるか』と同じく京都まで乗り入れていたのかもしれない。

そしてなにわ筋線は、あの汐見橋線や汐見橋駅をも大きく変えていたことだろう。南海と地下の縁はまだ遠い。


関西の私鉄路線を思い浮かべてみましょう。阪急、京阪、阪神、近鉄など、大手私鉄は全部地下区間があったり、地下鉄に乗り入れたりしていますが、南海だけは孤塁を守って…いや守らされているのが現実なのです。

ここで一旦関西を離れ、関東私鉄の話題を取り上げてみましょう。

【予告】 新宿駅の悲劇 (前編)

―参考文献―

鉄道未成線を歩く vol.1 1京阪・南海編 とれいん工房
鉄道ジャーナル 1999年9月号 速報:運輸省の「都市鉄道調査」 鉄道ジャーナル社
関西の鉄道 1997年 陽春号 関西空港アクセス別輸送実績を分析する 関西鉄道研究会

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