大変ながらくお待たせ致しました
レイル・ストーリー7、只今発車します


 ●消えた天王寺線

JR西日本天王寺駅の南の外れには、かつて南海電鉄の「天王寺線」という路線の電車が発着していた。
電車はたった1両での運転、路線延長は天王寺-天下茶屋間2.4kmという短いもので、大都市大阪の中では汐見橋線(その話については
こちらを)同様、いやそれ以上にローカル線の雰囲気に満ちていた。
この天王寺線が廃止されたのは平成5年3月31日のことだったが、それは南海が地下鉄進出を試みたという事実に終止符を打つためであったのかもしれない。

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天王寺線は南海の黎明期である明治33年3月26日に開通した古い路線だった。南海の本線は言わずと知れた難波発着だが、当時大阪南部に私設の鉄道路線が次々と開業しており、現在のJR西日本大阪環状線の東半部や関西線(大和路線)を建設した大阪鉄道(初代)や関西鉄道との接続を目的に、本線の天下茶屋から分岐して天王寺に至るものだった(天王寺線開通直後の明治33年6月6日に大阪鉄道は関西鉄道に合併している。のち再び設立された大阪鉄道は現在の近鉄南大阪線)。

早くも翌明治34年10月5日、南海と関西鉄道の直通運転が実現する。運転区間は南海の住吉と関西鉄道の大阪だった。…ということは、南海と今の大阪環状線は直通運転していたということになる。
ただし当時は南海も関西鉄道も電化されていなかったため、蒸気機関車の牽く列車が直通していたという。

天王寺線は明治40年11月11日に電化され、続いて昭和6年8月20日には複線化される。関西鉄道は国有化され今の大阪環状線東半部である城東線となったが、南海沿線から城東線を通って梅田方面への足として、天王寺線は重宝された。

しかし時代は戦争に…。太平洋戦争末期の昭和20年3月13日の大阪大空襲で、天王寺線は路線の破壊こそ免れたものの、途中の曳舟と大門通の2駅を焼失してしまう。その後も途中駅の復活は出来ず、南海の電車は多くが被害を受け、しかも電力の供給もままならないという有様。そこで当時ライバルだった阪和線同様、電化路線なのに国鉄の蒸気機関車の応援を受けることになった。そのために天王寺線が活躍する事になり、今度は天王寺-和歌山間に国鉄のC58蒸気機関車の牽く列車が走ったとか。

ようやく終戦を迎えたものの、南海の電車・施設はなかなか復旧せず国鉄列車の応援はなおも続いた。ようやく昭和24年6月21日、途中に阪堺線乗換え駅として今池町駅が出来あがり、この頃には国鉄からの応援も終わっている。

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戦前から大阪市は「市営モンロー主義」とまで言われた位、市内中心部の都市交通を市電を中心として一手に賄ってきたが、戦後の落ちつきを取り戻した頃から限界が見えはじめ、既存私鉄路線を活用した改善案が浮かび上がってくる。
昭和33年の都市交通審議会の答申では、私鉄路線の地下線での延長という形でメスが入れられる動きとなり、これを受けて建設が決定したのが大阪市地下鉄6号線、今の堺筋線天神橋筋6丁目-天下茶屋間である。堺筋線には阪急と南海の乗り入れが予定されたが、当時大阪市を含めレールの幅、電圧、さらに集電方式の全てが異なっていた。最終的には南海の地下鉄堺筋線乗り入れは出来なかったが、ずっと後に南海自身、それに天王寺線が地下鉄堺筋線に絡んでくることになる。

かつて直通運転を行っていたはずの国鉄城東線は、西成線の西九条から天王寺までを結んだ路線が昭和36年4月25日に開通して一体化、「大阪環状線」が出来あがり、東京の山手線に続いての大都市環状運転が実現した。それまで城東線・西成線は茶色の旧型電車ばかりが走っていたが、今度は東京の中央線と同じオレンジ色の新型電車が走るようになった。もっとも開業当初は新車だけでは足りず、旧型電車をオレンジ色に塗り替えて一部の列車に使っていたという。また西九条駅の改良工事が間に合わず、全列車西九条始発着の運転だった。西成線の末端部分は桜島線となったが、現在はUSJ輸送のため「ゆめ咲線」と名乗っているのも有名。

ここまでずっと南海は難波を大阪のターミナルとしてきたが、大阪環状線の存在も大きく新たに相互接続を図るため昭和41年12月1日には新今宮駅を開業、特急以下全ての列車が停車するということになったが、これが今まで天王寺で国鉄線と接続していた天王寺線の運命を大きく変えてしまった。天王寺線の乗客は激減してしまう…。

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昭和59年11月27日、天王寺線は今池町-天下茶屋間が廃止され、天王寺-今池町のたった1駅区間だけが残ることになった。同時に天王寺駅は100m今池町寄りに後退、肝心の南海本線・高野線とはレールは途切れてしまう。しかしこれはただの廃止ではなかった。
日本万国博を目前にした昭和44年12月6日に天神橋筋6丁目-動物園前間が開通した地下鉄堺筋線だったが、それ以来路線を延長する動きはなく、終点が動物園前だというのが常識化していた。ようやく天下茶屋延長が具体化したのは、利用者の少ない南海天王寺線の今池町-天下茶屋間廃止により、その線路跡を利用して地下鉄を建設することが可能になったからである。

動物園前からそのまま道路の下を南進した堺筋線は、天王寺線今池町駅付近からは廃止された天王寺線の線路跡を掘削して南海本線天下茶屋駅へと進んでいく。ただし線路跡を利用した部分は複線だったとはいえ両側に民家が並んでおり用地は狭く、単線を縦に積んだ形、すなわち2階建てでの施工となった。ちなみに天下茶屋行きが上で北千里・高槻市行きが下だという。
南海天下茶屋駅付近の工事は、丁度その頃南海の手で行われていた高架化工事と並行して行われ、平成5年3月4日、23年余りの年月を経て堺筋線は全通した。この時南海の地下鉄進出は夢と終わったが、さらに自社の路線の廃止とその跡地に本来進出するはずだった地下鉄を通すことになろうとは、思いもよらなかったことだろう。

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南海天王寺線は地下鉄堺筋線全通から1ケ月と経たない平成5年3月31日、残っていた天王寺-今池町間が廃止された。線路跡は大部分がフェンスや仮囲いで仕切られた空地となっていて、フェンスの間から様子を見ることは可能だが、そこは草に埋もれたままだ。

天王寺駅付近

天王寺-今池町間跡

仮囲いの中は線路跡

天王寺駅付近

天王寺-今池町間跡

仮囲いの中は線路跡

今池町駅跡は道路となっているが、その部分だけが広くなっていて駅跡だというのが判る。その先天下茶屋までは再び空地となっているが、やがて線路跡は駐車場になり、最後は南海の天下茶屋駅へと進む。

現在の今池町駅跡

今池町-天下茶屋間跡

天下茶屋駅付近は駐車場に

南海本線の高架下へ

今池町駅跡

今池町-天下茶屋間跡

天下茶屋駅付近

南海本線の高架下へ

現在、関西の私鉄で唯一地下区間が無く、地下鉄乗り入れも行っていないのが南海である。もし地下鉄堺筋線に南海が乗り入れていたら天王寺線は天下茶屋からそのまま地下に潜り、堺筋線と直通していたであろう。天王寺線の運命は大きく変わっていたのかもしれない。


たった2.4kmの路線だった天王寺線の廃止でしたが、路線の長さに反比例して、こんなに複雑な話が絡んでいたのです。でももし南海の電車が地下鉄堺筋線を走っていたら…

次は京阪電車の心暖まる話題です。そして最終回となります。

【予告】萱島駅の謎

−参考文献−

鉄道ジャーナル 1981年5月号 特集●京阪神圏の鉄道(第1部) 鉄道ジャーナル社
関西の鉄道 1993年新緑号 南海電気鉄道の話題1 関西鉄道研究会
大阪の地下鉄 産調出版

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