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 ●リバーシブルな電車の謎

電車のドアの数っていったい幾つあればいいのだろう。JRの特急なんかは1両に一つか二つ。そうかと思えば山手線や京浜東北線などには六つもあったりするのが連結されている。

ラッシュ時の電車を考えてみると、乗り降りが早いほどスムーズで遅れも減る。単純に考えるとドアを増やせば良いが、そうなると座席が少なくなるのでラッシュ時以外では着席の機会が減る。こんな相反する条件を満たすためにドアの数は三つ〜四つというのが一般的なようだ。

昭和40年代までの京阪電鉄では、本線の電車のドアは特急以外三つというのが標準だった。しかしその後、時は正に高度経済成長期。ラッシュ時に増え続ける乗客をさばくためにはどうしてもドアの数を増やしたかった。京阪は1両あたりのドアを一挙に五つに増やした電車を計画したが、逆にそれが昼間の座席が少ないということになり、特にサービスが重視される関西ではヒンシュクもの…。だったらラッシュ時はドアを五つ使って、それ以外の時間帯はドアを三つに減らして使わない二つのドアのところに座席をつくればいいじゃないか!!という発想が生まれた。

京阪は戦前から本線と京津線直通用の特殊構造の電車「びわこ号」を開発したり、戦後はエアサスの実用化、電車用テレビの実用化、自動座席転換装置の導入など、技術では先駆者的役割を果たしていた。今度はリバーシブル電車の開発だ。

特にこの頃の京阪本線はまだ架線電圧が路面電車と同じ600Vだった。というのは、当時京都市内の四条、七条で京都市電との平面交差が残っていて、京都市電の電圧は600Vだったためにそれに合わさざるを得なかったのだ。前にも書いたとおり、京阪本線は今では1500Vだが、当時の600Vでは電車の増発、増結に限界があって、それでドアの数を増やす…という策も必要とされた訳だ。

そのリバーシブル電車は昭和45年にデビューした5000系だ。7両編成の全車が五つドア。朝夕のラッシュ時は五つのドアを使って乗客をさばく。日中はドアを三つにして残る二つのドアは締め切りにし、車内では天井に吊るされていた座席がスルスルと降りてくる。

日中使うドアは三つ

なんとこの座席が上から降りてくる!!

日中使うドアは五つのうち三つ

この座席が天井から降りてくる

この5000系という電車はリバーシブル機構を生かして、急行や準急などの優等列車を中心にデビュー。数度のリニューアルを経て今でも元気に活躍中だ。

ちなみにこのリバーシブル機構は京阪が特許を取得したもの。座席を降ろしたドアは安全装置が働いて開かない。ラッシュ時にドアを五つ使うと冷房の効きが悪くなる点も懸念されたが、冷風の拡散装置という東芝とのこれまた特許製品で克服した。

ずっと後になってJR東日本が山手線にドアを一挙に六つとした車両を連結したが、こちらの車両の座席は増やすとは逆の「減らす」という発想で製作された。ラッシュ時は座席を壁にそのまま折りたたんで収納してしまい、オール立席にしてしまったのだ。サービスの低下は車内に液晶テレビを設置するというもので補った。京王線や営団地下鉄東西線、日比谷線にもドアを五つにした電車が登場(ただしリバーシブル機構はない)、小田急はドアの数は従来通りの四つとしながらも、幅を標準の1m30cmから2mに広げたものをデビューさせた。

京阪と同じ関西でも平成7年には阪急神戸線、宝塚線にラッシュ時だけ座席を収納して全部立席とする車両が登場した。しかしラッシュ時と言えども座席がないのは関西ではあまり評判が良くなかったようで、その後の増備は見送られているという。山手線に導入されたJR東日本の六つドアの電車が好評で、のち京浜東北線や総武線にまで及んだのとは対照的だ。また小田急のワイドドアの電車も確かにラッシュ時には良かったものの総合的な評判は芳しくなく、しばらくしてドアの開閉幅を狭くするという改造を受けている。京王の五つドア車は最近四つドアに再改造され、営団地下鉄の五つドア車も所期の結果に満足したのか、最近の新車は再びもとのドア数に戻ったようだ。


京阪の技術と発想は、素晴らしいものがあります。さて、文中に出てきた京都市電は以前は平面交差だけでなく、京阪のレールと繋がっていたことがありました。その理由は…

次はそのレール繋がりの話です。

【予告】線路は続くよどこまでも その2

―参考文献―

鉄道ファン 1971年3月号 新車ガイド わが国はじめての5扉車 京阪5000系 交友社刊
私鉄電車ガイドブック6 京阪・阪急 誠文堂新光社刊
関西の鉄道 1999爽秋号 京阪電気鉄道特集PartV 関西鉄道研究会刊

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