レイル・ストーリー

大変ながらくお待たせいたしました。

気分も新たに発車いたします。ご乗車ありがとうございます。


 ●東武浅草の謎

東武鉄道(以下東武)を語るには、国際的観光地の日光を舞台とした熱い戦いから話さねばならないだろう。

戦前より世界的に有名になった日光は戦後まもなくの頃から、長い時間の航海に代わり飛行機に乗った外国人観光客が多く訪れるようになった。また戦後の日本の復興により国内観光の需要も再燃し始め、それら国内外の観光客を日光へ誘致しようという争奪合戦が、かつての国鉄と東武との間で繰り広げられたのは有名な話。

東武が日光行き特急電車をデビューさせると、国鉄は実用化なったばかりの準急ディーゼルカーを送り出し、続いて日光線を電化して特急なみ装備の準急電車『日光』がデビューさせた。
東武はこれに対抗、近年まで特急『けごん』『きぬ』としても活躍したデラックスロマンスカー
(略してDRCと言った)1720系のデビューにより、この争いに終止符を打った。車体のスタイルが当時の国鉄特急「こだま」の151系をリファインしたものなのは否めなかったが、冷暖房完備、リクライニングシート、喫茶コーナー、ジュークボックスのあるサロン室と、当時の最先端を行く設備が売り物で、高速性能もかなりのものだったという。

国鉄がデビューさせた準急『日光』(157系)は、その装備を買われ新幹線開業前の東京と大阪を結ぶ東海道本線の臨時特急『ひびき』にコンバートされ…というより当初からその計画もあって特急並み装備だったのだが…やがて乗客増によりこの特急は定期化され、電車には冷房が搭載されたが、本来の準急『日光』には戻れなくなってしまった。国鉄の準急『日光』はこれで失脚、東武の勝利となって現在に至っている。今の東武は後輩のスペーシアが今のスター的存在。

新幹線開業により職を失った『ひびき』の157系は、既に国鉄が日光の戦いから撤退していたこともあり、今度は伊豆方面に活路を見出す。のちの特急『あまぎ』だった。この列車は急行『伊豆』と共に観光・リゾート特急として親しまれ、今の特急『踊り子』さらには大胆な発想で製作された『スーパービュー踊り子』に続いている。

話がそれてしまった。脱線事故はいけません。

それで東武浅草駅の、日光への玄関口としての立場は既にゆるぎないものとして君臨する存在だ。かといって、この駅は特急ばかりが発車しているわけではない。ちゃんと普通電車も快速電車も発着している。

東武浅草駅の歴史は古く、昭和6年5月25日、松屋デパートの1階、2階部分を駅として組み込んだ複合ビルとしてデパートと同時に開業している(ちなみにこの建物は東武の所有で、松屋がテナントとして借りているのだそうだ)。

その古いのが災いしたと言うか、新築した頃の電車は2両編成程度の、のんびりしたものだったので問題は起こらなかったのだろうと思うが、戦後お客さんが急激に増えたのにこの駅は対応出来なくなってしまった。それで駅を拡張しようとしたが線路はホームを出ると直角に曲がって隅田川を渡る構造。ろくにホームも延ばせないし、そのカーブも半径98mと大手私鉄では破格の急カーブときている。

もともと4両程しか停まれなかったホームは、苦心の上どうにかこうにか6両対応にまで拡張したが、ホームはその急カーブ部分に一部掛かってしまった。

究極の先細りホーム

先端はもう…尖ってます

こんなに開いてます(絶句)

ホームの先端は見る見る細くなり、数十cm!!しかも電車とホームとの間はカーブもあって大きく開いており、うっかりよそ見でもしたらたちまち踏み外して、下にストンと落っこちる程の状況。(申し訳程度に「足元に注意」とホームには書いてはあるが…)

しかし…この東武浅草駅は今のところこれでどうやら機能している。というのもご存知のように東武伊勢崎線は北千住から営団地下鉄日比谷線にも直通しているからだ。都心直通というもう一つのルートが出来たことが、浅草駅の混雑緩和に一役買った(実際に北千住-浅草間の普通電車は日中ガラガラ状態)という訳で、この苦しいまでの、涙ぐましい拡張も意味を持つものとなった。そこに東武浅草駅の今日がある。
さらに平成15年3月19日には営団地下鉄半蔵門線の押上延長が完成、半蔵門線を介した東急東横線との直通運転が始まり第三の都心直通ルートとなったが、日比谷線では実現しなかった東武と東急の相互乗り入れが実現、南栗橋-中央林間を結ぶ100km以上の壮大な直通運転となった。

特急スペーシアはDRC『けごん』の時代から英語に堪能なスチュワーデスを乗務させ、外国人観光客に沿線の案内を行っていたが(一部車掌のみ乗務の列車もあった)、残念ながら平成15年3月18日限りで廃止されてしまった。近年東武の特急列車は途中主要駅にも多く停車するようになり、日光・鬼怒川・会津方面への観光輸送だけではないという需要の変化を受けているというのは事実。
しかし東武浅草駅は古くはなっているものの、これは今も変わらず東武の歴史を感じさせるものでもあり、ずっと浅草の看板の一つとして続いていってほしいものだ。


究極の狭いホームと言えば、阪神電車春日野道駅の事を思い出します。たしかにあの駅はもともと…

という訳ではないのですが、この電車は関西方面へ向かいます。

【予告】京阪特急テレビカーの謎

―参考文献―

鉄道ファン 1978年2月号 特集:私鉄のターミナル (株)交友社刊
鉄道ピクトリアル 1998年1月号 特集:旅客ターミナル 鉄道図書刊行会刊

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