登頂記


頂上稜線 仕立隊員撮影

10月12日、朝2時30分、頭の上に吊っていた腕時計のアラームが鳴る。
時計は白く凍り付いている。昨夜はあまり眠れなかったが、休養はできたようだ。
お湯をわかしてスープを飲む。

今回の登山は私自身、登頂にかなりこだわっていた。

登頂だけがすべてではないのはわかっているつもりだが、やはり登頂したかった。
今までのトレーニングや準備に費やした日々は、今日この日のためにあるのだ。
そう考えると気合は充分だった。
問題の天気だが、風がすこしあるものの、昨日ほどの強さではない。
雲は無い。体調もまずまず良い。よし、いける。

AM4:30、昨日、もっていかなくて後悔したゴーグルをはめ、
最低限の荷物のみをもって、7400mのキャンプ3を仕立、山田さんの順で出発した。
ほぼ同時に出発したイタリア隊、スペイン隊のメンバーも前後している。

まずはFIXの無い急斜面を1ピッチ登る。
仰ぎ見ると降るような星空。
このような景色を見るのはおそらく一生に何度もないだろう。
感慨深く眺める。
足を滑らせれば間違いなくとめることは出来ない斜面にアイゼンを利かせて登っていく。
斜面がかなり急なため、ところどころダブルアックス気味になって登っていく。

やがて一週間前に石井隊が張ったFIXのあるところまでたどりついて、ひと安心。
FIXにユマールをかませて登っていく。
さすがにここまでの高度になると息苦しいが、しかし気持ちはもう頂上にしか向いていないので、
あまりしんどさといったことは感じない。

FIXが終了するあたりで夜が明けてきた。位置的にだいたい昨日引き返した地点である。
先に出発した4人のヨーロッパ人はさすがに早く、はるか先を歩いているのが見えた。
そこから広大な雪の斜面の北壁側をトラバースするのだが、
昨日トラバースをした地点より若干上にあがった部分をトラバースする。
北東稜沿いに登るのならば、ここをさらに稜線目掛けて登るのであるが、
われわれは稜線上の強風を避ける意味からも、シルバータートル隊の小西氏の記録にあったように、
そのままトラバースルートをとる。
トラバースルートであるが、雪はところどころ深く、ところどころクラストしていて硬い。
ピッケルを左手に持ち変えて慎重に登っていく。
後ろを振り返ると何人かが登っているのが見える。

しかし、山田さんがまだ来ない。

心配になって無線をオープンすると、ときどき山田さんがC1の宮川さんと交信している声が聞こえる。
どうやら引き返すような雰囲気が感じられた。
その時点ですこし「どうしようか」と思ったが、天気も体調も良いのでそのままいくことに決めて斜面のトラバースを続ける。
一人だけど、もう行くしかない。
あまり判然としない雪の稜線を2回ほど超えると、
その先さらに雪の斜面がひろがっており、その先に頂上が見えた。

そこからは北壁の懸垂氷河の真上を行く形になる。
見えている頂上のすぐ右、稜線にあがれそうな部分が遠くに見えている。
そこが小西氏の資料にあった頂上直下のクーロアールであろう。
風も収まり、良い天気のなか、そのクーロアール部分を目指す。

AM11時頃、クーロアール手前で4人のヨーロッパ人とすれちがった。

4人は無事登頂したようだ。彼らのひとりと話をして、頂上に向かうルートを確認する。
クーロアールを抜けて左に行けば、すぐそこが頂上だという。
目測では1時間くらいで頂上までいけそうな感じがした。(実際には2時間以上かかってしまったが)
 近くに見えるがなかなか近づかないクーロアールに向かって重い体を運んでいく。
しかし、クーロアール手前は雪が深く、思った以上に進まない。
雪が踏んでも踏んでも崩れてくるといった状態であった。
悪戦苦闘を2時間程続け、頂上直下の稜線にでるところまでようやくたどりついた。

そこから雪庇上の部分を乗り越そうとするのだが、
左側の雪が崩れて、どうしても左足を乗せることができない。
で、何度が乗り越しに失敗し、何度かずり落ちているうちに時間はどんどん過ぎていった。

そうこうしているうちにここはいったいどこなのか、ということを忘れてしまっていることに気がついた。

「ちょっと待てよ、ここっていったい何処やねん?」
と独り言をつぶやいてみる。

高度で頭がぼけているのだろうか、ここは標高8000mを越すダウラの頂上直下、
なにか少しでも失敗したら生きて帰れなくなる、と思いかえす。
しかし冷静に考えてみたら、ここで引き返さないとだめなのだろうか?

いやこんなところで引き返すわけにはいかない。
帰りはロープが必要だと思われたが、無理やりピッケル一本を頼りにして稜線上に這い上がることに成功した。
帰りのことは考えていない。頂上の魔力なのだろうか。

稜線上は今までとはうって変わってすごい風であった。
風に吹かれながら頂上に向かって歩きだす。
南側は一面の雲海になっている。
しかし天気はあいかわらず良い。
背後はゆるやかな斜面となって下っている。

 北側の雪庇を気にしながら歩く。
しばらく行くとひとつのピークにたどり着いた。すぐ向こう側にはもうひとつピークが見えるが、高さはこちらと変わらない。
「ダウラの頂上は小さな双耳峰になっている」
と、出発前に盛岡の上野氏から聞いていたので、ここが頂上だろう。

時計を見る。13時37分。

なんの感慨も感動も無かった。
やはり一人だと寂しい。
風の音がゴーーっと響いているのみだ。

そして、ただ無事に帰れるのか?といった心配ばかりしてしまう。
風が強いのではいつくばってピッケルを刺した記念写真を一枚とり、
山田さんにトランシーバーで連絡を試みる。
しかし、バッテリーが冷えたせいか、トランシーバーはまったく反応せず、連絡ができなかった。
しかたがないのでそのまま逃げるように下山を開始する。
頂上から少し下ったところで石をピッケルでたたき割ってザックにつめこんだ。

そして行きに苦労したクーロアールの乗り越し部分はやっぱり帰りも苦労して、
なんとかピッケル1本を頼りに降りた。
ここがアタックを通じて一番怖かった。
緊張したせいか息が苦しい。

途中安定した斜面までたどりついたところでトランシーバーが直ったので交信する。
山田さんと交信でき、登頂後、下山中であることを連絡する。
連絡が遅くなったので心配をかけてしまった。
それからの下山は特に慎重に歩く。
すこし道を間違えて迷ったが無事FIXの終了点のところまでたどりついた。
C3と交信をする。

山田さんもひと安心といった様子だった。
もちろんこちらもひと安心。
岩の上にすわってシーバーを握り締め、交信しながら周りの景色を眺める。
夕闇がせまってきて息を呑むほどに美しい。
しばらくぼんやりと景色を眺めたあと、FIXをたどって慎重に下山を再開する。
やがて眼下にC3が見えてきた。
最後のFIXの空白部分には山田さんがFIXを張ってくれていた。
この最後のFIXは疲れた体にはとてもありがたかった。
そのFIXをたどり、16時45分、C3に帰還。

山田隊長が出迎えてくれる。

「今かえりました〜」と、おちゃらけて声をかけるが、
テントから半身を出した山田さんにココアを差し出され、
「ようがんばったな」と肩を叩かれた時、登頂した喜び、無事帰った安堵感、
そして山田さんに対する感謝の気持ちが一気に溢れ出し、涙が止まらなくなった。

仕立 記