ダウラギリへ向かったあの日から、早1年が過ぎ去りました。
ダウラへ思いが再燃したのが、2000年10月。
そして計画が具体化したのは、2001年2月のことです。
2000年から2001年にかけては、私にとって生涯忘れえぬ時期の1つとなりました。
2000年夏に、落石であっけなく逝った須藤さんの事故処理から追悼集の作成までの1年は、
仕事の忙しさも手伝って、まさに怒涛の一年でした。
その中でダウラギリの準備を行い、1名の登頂者を出して、
3名無事に帰ってきたことに対しては、自分を褒めてやりたいと思っています。
もちろん、クライマーとしての私は、満足なトレーニングもできず、
結果的にノーマルルートをポーラーで登ることになり、
自身が登れなかったこと・仕立君しか登れなかったことには、満足していません。
しかし、須藤さんの追悼集を通して、ダウラギリ登山を通して、
知りえた方々との出会いは、私達にとって財産であると考えています。
そして、何より私達3人にとって良い登山だったと思えることに幸せを感じます。
ただ、同じ志をもった者として東壁に向かった群馬隊の3人がもどらなかったことを非常に残念に思います。
3名のご冥福をお祈りします。
最後にお世話になった方々、ご協力いただいたすべての方々に御礼申し上げます。