Alps--アルプス再び--
その1

 16 Jul.〜 9 Aug.1994


シャモニの町並み

プロローグ
 エベレスト、デナリと立ち続けに敗退をした僕は、一から出直すべくアルプス行きと決意した。
 目的は、「純粋にアルプスでクライミング能力を鍛えること」・・・にすれば、よかったのだが、エベレストで実現できなかった、パラグライダーの夢も捨てきれず・・・。
 クライミング+頂上からのパラグライダー。このテーマは、やはりソロでやるべきだろう。
 目標をウォーカーもしくは、マッターホルンのヘルンリ稜に定める。
 そうこうするうちに、だんだんと、行く人数も増え・・・、なんとなく中途半端に現地集合現地解散、延べ5名のアルプス行きとなったのである。
 できあがった計画書も3大北壁(いまや死語?)にドロワットはもちろん、プトレイ山稜にマジュールにドリュのアメリカンダイレクトと、みなの行きたいところを書き連ねたものとなり、スネルの神田さんに「アルプスを舐めるなよ・・・」とお叱り?を食うくらい鼻息のあらい物となった。
 出発までわずかとなったある日、Aツアーの添乗員でシャモニに行っている友人から「7〜9月のモンブラン山群のシャモニ側は、パラグライダー禁止」との連絡が入った。
う〜ん。いってみるしかないか・・・。

7月16日

イソ太郎さん、同い年のタカハシと伊丹空港で待ち合わせる。
それぞれ、ソロに必要なギアやパラパントなどを含めると膨大な装備となったが、何を血迷ったかお気軽旅行モードでほとんどの荷物をあずけようとしたものだから、オーバーチャージを要求される。
いそいそと機内持ち込みの荷物に移そうとすると「困ります、困ります」攻撃が始まった。
紳士な?3人だったため、最終的には8Kg分のチャージを払うことと相成った。6万円なり・・・。

 
7月17日
バンコク経由でパリへ。
イソ太郎さんに荷物がなかなか出ず、少々あせるも、なんとかタクシーでリヨン駅へ。
ドゴール空港にて リヨン駅にて・・・荷物でか〜

夕方には、シャモニの到着。
懐かしい・・・。スネルスポーツで、東京から来ているN氏と合流し、PP裏のアパートに転がりこむ。
アパート内でくつろぐ ギアを並べるイソ太郎さん
 
7月18日 晴れ
スネルで買い物・保険の手続きをし、午後ガイヤンの岩場で遊ぶ。
夕方、オラージュ。久しぶりの雨とのこと。
7月19日 雨
フランス山岳会でパラグライダーのことを確認するが、7月〜9月の間は、モンブラン山群でのイタリア国境からシャモニ側は、パラグライダー禁止とのこと。定期的にヘリコプターが巡回?するため、その邪魔にならないようにとの配慮のようだ。ジョラスの頂上からイタリア側に飛ぶことも確認するが、ダメとのこと。
イタリア側なのになあ。
7月20日 雨
そろそろ体がむずむずするが、天気は仕方がない。
7月21日 晴れのち曇り
プランプラにパラグライダーのテストフライトに向かう。
タカハシがハイキングついでに付き合ってくれる。

赤い針峰群側は、自由に飛べるようだ。
多くのパラが舞っている。
少々緊張気味にフライト。
プランプラのテイクオフポイント 我輩の愛機ジェネ

なれることが目的なので、15分ほどで、プール横にラインディング。
後続のパラ ドリュをバックに

明日の天気を期待して、N氏、イソ太郎さん、タカハシ、僕の4人でフレジェールへ。
7月22日 晴れのち雨
N氏と僕、イソ太郎さんとタカハシのぺアでブレチェール西壁へ。
7時取り付き。

岩小屋にて ブレチェール取り付きにて
氷河の後退が激しく結構苦労してシュルントをわたる。
ミディ方面 フォローするN氏
雲行きが怪しくなってきたので、16時下降開始。
リードする我輩 懸垂下降するタカハシ
よく分からんルートを適当に登り、下降では雨にたたられ、あげくに下りのロープウェイに乗り遅れて、歩いて谷に降りるハメに。
23時45分、シャモニ着。
長い1日だった。

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