ハーシェル紀行
2003年ハーシェル・ツアー報告(1)


松尾正恵

  3月28日(金)パースに出発する朝10時、ロンドンのローヤル・アストロ・ソサエティのヒングレー司書とアポイントメントが取ってあった。

 大通りピカデリーの歩道から建物のゲートをくぐると、大きな内庭があり、左手に入り口があった。来訪を告げると、内に招き入れられ、同司書が出てこられた。親切でサービス精神旺盛な紳士です。ていねいに、図書室全体とハーシェルや高名な科学者の肖像画の飾ってある会議室研究室などを案内して下さった。私には、日本に関係の深いというジョン・ミルンの本を出して下さった。頁をめくると、日本家屋の潰れた写真。「濃尾地震だ」と思った。でも教科書でおなじみの断層が出てこない。田の畦道のカギ状に曲った写真も、谷のずれ等の写真が出てこない。その代わり、車夫やアイヌの人達の写真が載っている。

 1891年という数字が出た。覚えておこう。ヒングレイさんに宿題を頂いたような気がして帰国後、地震の池上良平先生から頂いた「震源を求めて」−近代地震学の歩み−(平凡社)を開いた。ミルン先生のことが出ている、出ている。

 ジョン・ミルン(1850-1913)、英国リバプール生まれ、日本政府に招かれ来日する時、ロンドン→北欧→シベリア→モンゴル→中国→日本と7か月かけて1876年(明治9年)3月はじめ東京着。はじめは工部省工作局と工学寮で地質学と鉱物学を教え、明治19年に帝国大学工科大学に移る。函館出身のトネ夫人と結婚、日本滞在は19年間で、1895年(明治28年)英国へ帰国。イングランド南部イギリス海峡に面したワイト島に日本から持参した地震計を設置し、地質観測所を開設。63歳で亡くなるまで観測した。ミルンを地震学へとむかわせたのは、1880年(明治13年)2月22日の横浜地震だった。

 ヒングレーさん、楽しい一刻、いやロンドンと東京と二刻を、有難うございました。


2003年ハーシェル・ツアー報告(2)

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