藤井亜衣
3月25日、大学院の卒業式は雨、しかし翌26日は好天に恵まれ、イギリスに向け、木村精二代表、松尾正恵先生とともに成田を出発。降り立ったヒースロー空港は、緊迫しつつあったイラク情勢のため、普段の休暇に比べ混雑が緩和されているとのこと。3人のパスポートを見て、「Family?」と質問してきた入国審査官に対し、「Like a family!」とすぐさまお答えになった木村代表の傍らで、私はハーシェル協会の絆の深さに感動。
9時間の時差を足した長い初日は、ナショナル・イングリッシュ・オペラ「トスカ」で終了、翌日は、念願の王立天文台を訪れ、夜はロイヤル・バレエ「眠りの森の美女」を観る充実した一日でした。グリニッジでは、国立海洋博物館を見学し終え、1キロ程先の高台にある天文台を望むと、ちょうど午後1時を知らせるタイム・ボールが落下する瞬間に遭遇。1833年、フラムスティード・ハウスに設置され始まったこのシステムは、テムズ河を航行する人々が、時計をあわせたという当時の様子をそのままに伝えている。緑溢れるグリニッジ・パークで、ピクニック気分の昼食をとり、坂を上ってたどりついた天文台では、心地よい風を感じることができた。世界の本初子午線に立ち、エアリの望遠鏡を背に遥か遠方を眺め、しばらく感慨にふける。
イギリス滞在3日目は、日本からメールで連絡をとっていた王立天文協会のライブレリアン、ピーター・D・ヒングレー氏を朝10時に訪ね、約1時間館内やオフィスを案内していただきました。多くの貴重な資料をてきぱきと見せてくださるヒングレー氏に、翌週またうかがう約束をし、ロンドンをあとに。
1時間半でパース・スパ駅に到着、松尾先生とホテルのまわりを散策した後、英国ウィリアム・ハーシェル協会会長フランシス・リング教授、木村代表と4人でパース図書館に向かった。7月に飯沢能布子さんが七宝作品を展示される場所を皆で見学した後は、ハーシェル子孫のエリングワース夫妻からアフタヌーン・ティーに招かれていました。お約束の4時を少し過ぎてフランシス・ホテルに着いた私たちを、夫妻は親切に迎えてくださり、私の横に座られた上品なメアリー奥様からは、「明日の年会でスピーチをされるそうですが、ゆっくり発音すると聞きやすいですから、落ち着いてね。」と優しいアドバイスをいただきました。御主人のリチャード氏は、私たちが次にオックスフォードを訪れることを知ると、母校マグダレーン・カレッジの美しいお庭について話され、また1940年代に滞在なさっていた四国の思い出も語ってくださいました。美味しい紅茶とケーキをいただきながら、5人で楽しいひとときを過ごしました。
ホテルに一度戻り、2日遅れで日本を出発した山本健一さん、藤井浩(父)とロビーで合流。5人そろって、7時半からの天文講演会に出席するため、ギルドホールに向かう。王立天文協会のJ. S. ベル・バーネル女性教授が、「宇宙の元素をいくつ挙げられますか?」という問いかけで始めると、40〜50名いた会場からは次々と手があがり、聴衆と一体感のある講演となった。終了後、スラウ天文協会アントニー・E・ファニング氏にお会いでき、今晩のうちに車でスラウまでお帰りになる直前だったにもかかわらず、私のカロラインへの想いを聞いてくださり、「僕にとっても、カロラインは恋人だよ。」と微笑んでおっしゃられたのが、とても印象的。その晩は、ホテルのルームサーヴィスで、乾杯、遅い夕食でした。
29日土曜、英国ウィリアム・ハーシェル協会の年会は、朝10時半からクィーンズ・スクエアに面したバース王立文学科学院の2階で行われ、25名ほどの出席者がゆるい弧をえがいて着席。リング会長の御挨拶、会計報告、博物館からの報告の後、木村代表が日本ハーシェル協会の活動として、大金要次郎先生の金属鏡と飯沢能布子さんの七宝作品について説明されました。続いて私も自己紹介をし、カロラインともう一人同時代の女性メアリー・サマヴィルをテーマに修士論文を提出し終えたこと、教育学専攻の博士課程で勉強を続け、彼女たちの生涯を日本で広めていきたいという思いを述べました。
年会後は、子孫のハーシェル=ショーランド夫妻とお話でき、ノーフォークにある御自宅のアーカイブに来年うかがえることに。2日前、ジョン氏に届いたばかりのカロラインの伝記「ハーシェルの絆」(著者マイケル・ホスキン博士のサイン入り)を手に持って、御夫妻と一緒に撮らせていただいた写真は、大切な宝物です。この日、私が左胸につけている生花は、淡いオレンジ色のカーネーションを、松尾先生が素敵なコサージュにしてくださったものです。エレガントな先生の細やかなお心遣いに、嬉しさでいっぱいになりました。