ハーシェル紀行
スラウ


 ロンドン都心から約30km離れた田園の町で、王室天文官に任命されていたウィリアム・ハーシェルが国王の居城のあるウィンザーの近くに住まいを求め、のちにオブザヴァトリー・ハウスと呼ばれるようになった屋敷を1786年に構えました。ウィリアムの50歳での結婚、息子ジョンの誕生、カロラインの8個の新彗星発見はすべてこの町でのできごとであり、ウィリアムは1822年にここスラウの屋敷で最期を迎えます。

解体前のオブザヴァトリー・ハウス

 その後、ウィリアムの孫やそのまた孫がオブザヴァトリー・ハウスに住みましたが、第2次世界大戦後は都市化の波にさらされ、保存運動も実を結ぶことなく1960年代初めに解体されてしまいました。敷地にはゼロックス社の社屋が建てられましたが、1990年さらに富士通傘下のICL社のビルに建て替えられました。今では一枚の記念プレートだけがオブザヴァトリー・ハウスを偲ぶよすがとなっています。残念ながら現在のスラウの町並みにはハーシェル一族が暮らした当時の面影は全く残っていないようです。

 ウィリアム夫妻と、のちにスラウで世を去った孫たち(ジョンの息子アレキサンダー・スチュワート、娘イサベラら)はアプトン聖ローレンス教会に埋葬されています。


 「ミレニアムにちなんでウィリアム・ハーシェルに捧げられたステンドグラス」、デジタルアーカイブの「オブザヴァトリー・ハウスの思い出」もご覧ください。


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