第120号(2003年4月)ヘッドライン
- 七宝作品「ハーシェルの望遠鏡座」をめぐって
今号の「注目記事」です。
- 7フィートハーシェル鏡の複製(1)
金属鏡の復元に取り組む協会会員・大金要次郎さんからの投稿です。協会と協会員の活動のページに収録しました。
- J. パーシヴァル=ウォーターフィールドさん死去(1921-2002)
同氏は協会と関係の深いエリングワース夫人の実兄で、ご兄妹はJ. ハーシェルの七女マティルダ・ローズのお孫さんです。
- 英国政府観光庁「バースに新しいスパがオープン」
3月のハーシェル・ツアーで訪ねられるかもしれません。
- 故シムズさんのレポート
1995年に亡くなったA. シムズさんがアイルランド天文協会の機関紙に執筆されたレポートの一部を、奥様から頂戴した資料の中からコピーしました。
- サンシャイン・プラネタリウム閉館を発表
東京で唯一の大型プラネタリウムとなっていたサンシャイン・プラネタリウムが6月1日をもって閉館することを発表しました。
- 虎ノ門天文会館収支報告
虎ノ門天文会館の2002年の収支と2003年末までの収支予定が報告されました。
- 21世紀を生きるハーシェル(1)
ハーシェル家子孫であるシャーロットさんご一家の写真が掲載されました。
今号の注目記事
七宝作品「ハーシェルの望遠鏡座」をめぐって
飯沢能布子
私の七宝創作「ハーシェルの望遠鏡座」(2001年8月〜2002年3月)にまつわるエピソードを述べさせて下さい。
ハーシェルの望遠鏡座はいうまでもなく、1781年3月に天王星を発見したウィリアム・ハーシェル(1738-1822)を記念してその発見場所の近く、つまり、やまねこ座とふたご座との間に1781年、オーストリアの天文学者ヘル(1720-92)が設定しボーデ(1747-1826)が星表つき星図書ウラノグラフィアに発表した星座です。ハーシェルの望遠鏡座はもう一つあって、それはおうし座とオリオン座の間に置かれた小望遠鏡座ですが、どちらも現存していません。私は「おうし座」作品(1997年作)に天王星と共にデザインとして取り入れています。今回の作品は上記ボーデ星座のハーシェル望遠鏡座によっていますが、私はここに、英国王ジョージIII世お抱えの天文学者で音楽家であったウィリアム・ハーシェルの両面を顕す創作として、肖像と楽器をデザインに加えています。
ところで同作品が一応の完成をみた頃、ちょっとしたハプニングが起きました。2002年夏、東京個展のテーマは「カロライン・ハーシェルの8彗星」でした。展を前に、お祝いのメッセージがシャーロット・ハーシェル・ファーガソン夫人から協会を通じて届きました。このカードを手にした私は、プリントされている名画を見るなり「シャーロットがこの絵を選んだ理由は?」と先ず驚きました。J. M. W. ターナー(1775-1851)が1802年に発表した「風下の岸の漁師たち Fishermen upon a Lee Shore」で、ターナーが海洋画家の名声を確立した作でした。
なぜ驚いたのかというとその第一はそのカードが届くのと前後して「白鯨と絵画」と題した八木敏雄氏の興味深い論文に接して、ターナーのメルヴィルにおける影響を示すことは「白鯨」第23章「風下の岸 The Lee Shore」に・・・と言及されたのを思い出し、はっとしたのです。しかし問題は偶然の一致だけではありませんでした。第二の驚きはその中身、つまりH. メルヴィル(1819-91)の「白鯨 Moby-Dick」(1851年作)にハーシェルの望遠鏡が引用された一節を、奇しくも発見したのです。
この小説が気になり、第23章を、念のため下巻にも目を通していると、まさしくレンズの一点に集められる光の如く、ぴたり目が止まったのは、第74章「抹香鯨の頭」…仮に彼(鯨のこと)の眼がハーシェルの大望遠鏡のレンズのように大きくても…[田中西二郎訳注によると、1820年にジョン・ハーシェルが製作した大レンズのことをいう]と当時、この大望遠鏡は世界中に有名で知れわたっていたのでしょう。又、作中にはくじら座や星座、星座神話もよく書かれています。おかげですっかり気宇壮大な思想の海洋文学「白鯨」の虜になってしまい、アブリッジ版を含め出ている訳書を次々と読破しました。
このハーシェル云々の原文がほしいと友人に問い合わせた時のこと、「この大作の中で、ハーシェルの部分を発見されたのは、小惑星の発見に匹敵する様な気がします」と添え書きされたメールで送られてきました。900頁にさらっと目を走らせての事ですから、これは大変面白い考え方です。シャーロットさんからのメッセージが、これほど奥深いものだったとは!
時としてこのようなハプニングが起きて、制作面に於いてもいっそう興味深い出来事にこれからどれだけ出会うことでしょう。(2003年1月記)