ハーシェルたちの肖像
ウィリアム・ハーシェル


音楽家としてのウィリアム・ハーシェル

早川智

 音楽家としてのハーシェルの足跡をたずねるとき、私たちは彼の活躍した時代的背景を無視することはできません。

 バロック音楽の終焉は一般にバッハの死んだ1750年とされ、一方モーツァルトやハイドンを中心とするウィーン古典派の成立は1770年頃とされています。彼の作曲家としての活動はちょうどこの谷間の時期といえそうです。

 啓蒙思想が時代の思潮を支配し、ヨーロッパはかつてないほどに世界主義的 cosmopolitan となり、この流れの中では音楽も国民様式を越えた普遍的な音楽言語たらんといった理想が生まれたのです。同時に聴衆もそれまでの王侯貴族から市民へとその中心が移ります。そうして、公開音楽会が催されるようになり市民の音楽的要求も従来のきわめて洗練された宮廷音楽よりは明快で旋律的なものへ、また楽器もバロック時代のチェンバロ、リコーダー、リュート、ガンバなどから、ピアノやフルート、クラリネットなどへと替っていきました。同時代のドイツのマンハイム楽派のシュターミッツやカンナビッヒ、イタリアのオペラ・ブッファの作曲者であるパイジュルロやチマローザの作品はかなりはっきりした古典派への指向を示しています。

 彼らの作品に比べるとハーシェルの作品は、通奏低音パートや所々にみられる対位法的な動きなど、バロックの名残りをより多く留めています。が、旋律の親しみやすさや和声の明快さなどまぎれもない古典派の特徴もみられます。

 一般に天文ファンの音楽的嗜好としては、ファンタスティックなものを好む人と論理的構成のより明快なものを好む人がいるようです。

 彼の場合、作曲の勉強のために「数学」や「光学」を勉強したことからも想像できるように後者であったような気がします。

 彼にとって音楽は天文学とともに神の創り給うた数学的原理の支配する美しい体系であったのではないでしょうか。それゆえに、この2つの間の頭の切り替えは比較的容易であったかもしれません。

 その点においても、彼が天文の上での多忙により彼自身の様式を確立する前に、作曲から遠ざかったことは大変残念に思います。

日本ハーシェル協会ニューズレター第3号(1984年7月)から転載


ウィリアム・ハーシェルのCD

  • Pieces d'Orgue de William Herschel(ウィリアム・ハーシェルオルガン作品集) Dom, CD 1418 1992年
     ハーシェル同様、天文学者でもあるフランスのオルガニスト、Dominique Proust氏の演奏。プルースト氏は英国ハーシェル協会の2001年度講演会で「天球の音楽〜ピタゴラスからボイジャー2号まで」と題して講師を務めた。収録曲は「フーガ第1番ニ長調」など11曲。
  • Enchanting Harmonist - A soiree with the Linleys of Bath(魅惑の音楽家−バースのリンリー一家との夕べ) Hyperion, CDA 66698 1994年
     ハーシェルと同時期にバースで活躍しライバルと言われた音楽家、トーマス・リンリーを中心に取り上げたCD。ハーシェルの作品は「ソナタニ長調作品4の4」の1曲のみ。演奏はInvocation、Timothy Robertsのハープシコードおよび指揮。
  • Sir William Herschel - Music by the Father of Modern Astronomy(ウィリアム・ハーシェル−近代天文学の父による音楽) Newport Classic, NPD 85612 1995年
     ハーシェルの「オーボエ協奏曲ハ長調」など3曲とハイドンの交響曲1曲を収録。演奏はThe Mozart Orchestra、Davis Jerome指揮、Richard Woodhamsのオーボエソロ。

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