ハーシェル紀行
ケープタウン


 喜望峰、すなわち大西洋を南下した船がついにアフリカ大陸の南端を回ってインド洋を望む、喜びの岬を控えた町がケープタウンです。南向きに大西洋に突き出たケープ半島の付け根に位置し、北側には植民地時代以来の古い港があり、南側にはナイフで水平に切ったような形の山頂を持つテーブルマウンテンがそびえています。豊かな景観と自然に恵まれた南アフリカの「母なる町(マザーシティ)」です。

 大航海時代の15世紀末に初めてヨーロッパ人が到達し、17世紀後半に航海の中継基地としてオランダの東インド会社によって開発されました。1814年にオランダ領からイギリス領となり、ジョン・ハーシェルの南天観測の舞台になりました。1869年のスエズ運河開通により港湾都市としての立場は相対的に低下しましたが、現在も南アフリカ共和国の立法府所在地、産業の中心地として重要な地位にあります。

フェルドハウゼン邸と20フィート望遠鏡
 ジョンが1834年にケープタウンに到着してオランダ人から借り受け、後日購入したフェルドハウゼン邸は17世紀に遡る由緒ある地所で、科学者としての名声を得ていたジョンの邸宅には貴賓の訪問がたびたびありました。

 1992年にはジョン・ハーシェルの生誕200年を記念するシンポジウムが開催され、日本ハーシェル協会の会員も参加しました。


 「ケープタウンでのハーシェル・シンポジウム」もご覧ください。


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