Letters to Webmaster 2010
佐 藤 明 達 前略 このたびは拙稿の載った「WEBだより」第8号をお送り下さいまして誠にありがとう存じます。〔中略〕 ★上原貞治氏の「山片蟠桃の大宇宙論と地球外生命論」について 日本思想大系64『洋学 上』、岩波書店、1976、p.463の頭注に、William Whiston, Astronomical Lecture, 1728, 2nd ed. という本の名が挙がっています。また有坂隆道氏は日本思想大系43『富永仲基・山片蟠桃』、岩波書店、1973、p.199の頭注に「太陽よりの輻射量について、ウィストンの『天文学原理と宗教』に、ここと同じ数値がみえる」と書いていますが、原本はAstronomical Principles of Religion, Natural and Revealed(自然宗教および啓示宗教の天文学的諸原理。出版年不明)であろうと思われます。(渡辺正雄監訳、『OU科学史I―宇宙の秩序』、創元社、1983、p.354) 高橋至時が「増修消長法」(1798)中に載せた「贈麻田翁」は、図と共に全文が日本思想大系65『洋学 下』、岩波書店、1972、p.432に載っています。 その一部を現代語訳しますと、 「先日司馬江漢が来て、以前お見せした西洋新窮理書の中に、衆星は太陽であるという説が載っていると申しました。これはかねて私の懐いていた考えと一致し、西洋人が既に同じ考えを持っていることを嬉しく思いました。またこの間、下総守殿〔伊勢桑名藩主松平下総守忠和〕からお借りした蘭書に左のような図があり、この西瓜を積み重ねたようなものはそれぞれ中心に恒星があって動かない様子を描いたものと思われます。これまた小生の説に一致し、いよいよ私の考えの誤りでない証(あか)しと安心致しました。」 彼は更に「前説之通ニテハ、天体ハ今見候太陽天之如きものを数十万種重ねたるものト相成候間、扨々広大無辺成事ニ御座候」と述べています。 ★「魚の口はどこにある」について p.22の図は中野繁著『星雲星団の観測』、恒星社厚生閣、1978、p.231にあります。P.23上図は鈴木敬信著、『スズキ星座図譜』、恒星社厚生閣、1970、p.125にあります。ただしこちらはポジで背景が黒いから見やすいです。ジョン・ハーシェルのスケッチは反射鏡を用いたためか図が裏返しになっています。「魚の口」のスケッチは、 A. Hirshfeld and R. W. Sinnot (eds.), Sky Catalogue 2000.0, vol.2, 1985 p.xlviiに、Fish’s Mouth. Dark nebula. In M42, northeast of the Trapezium, at 5h35m.4, −5°23′(2000.0):WS2, page34 スミスのA Cycle of Celestial Objects は「天体ひと巡り」という意味ではないでしょうか。 ★「虹の赤外線の温度測定法」について 村上陽一郎編、『近代熱学論集』(科学の名著13)、朝日出版社、1988にハーシェルの論文の訳があります。 赤外線はハーシェルの前に発見した人がいたようです。 上原氏はいつも興味深いテーマを取り上げられるので注目しています。今後が楽しみです。暑さには強い筈の小生も、連日の酷暑にはへたり気味です。お礼かたがた雑感を記しました。 (以上、2010年8月18日付) (以下、別便で頂戴したお便りです) 前便に少し追加させていただきます。 ★ハーシェルの6年前に赤外線を発見したのは、James Hutton(1726〜97)です。渡辺正雄前掲書pp.158−166を見て下さい。 ★ホイヘンスはトラペジウムの発見者ですが、1656年、彼の描いたオリオン星雲のスケッチ(中野繁 前掲書p.229)には「魚の口」が立派に描かれています。 ★R.バーナムは、オリオン星雲の中心部についてこう書いています。 ホイヘンス領域(Huyghenian Region)として知られる中心部は非常に込み入っており、表面輝度が高いため高倍率でもよく分かる。明るい光塊が複雑に凝結したさまは「いわし雲の出た空」か、霜細工(frost-work:ガラス面にできる霜模様)で描いた模様に似ている。この明るい領域の真北にあってしばしば「魚の口」と呼ばれる暗い突出部は、中心の8等星によって照らされたM43という切り離された光塊を星雲の主部から分離している。(拙訳) (Robert Burnham, “Burnham’s Celestial Handbook.” Vol.2. p.1324. Dover, 1978;斉田博訳「星百科大事典 改訂版」p.503. 地人書館, 1988) ★Hutchinson’s Splendour of the Heavens, 1923, p.553 にはハーバードカレッジ天文台で観測したオリオン星雲のスケッチがあります。おそらくボンド父子によるものでしょう。p.890 では次のように書かれています。 低倍率かつ出来れば倒立像で見ると、星雲は明るいホイヘンス領域(中心部に与えられた名称)から拡がるにつれて淡くなる扇形に見える。かなりの高倍率でよく見えるこの領域は星雲の他の部分よりずっとくっきりしていて、8センチ以上の口径だとムラのある斑の構造を示す。…θに続くのは著しく暗いくさびで、見たところ星雲の明るい物質中に打ち込まれたように見えるが、多くの人はこれは暗黒物質を示すものと信じている。大望遠鏡はそれと明るい星雲とのコントラストを著しく際立たせてくれる。それはしばしば「魚の口」と呼ばれる。 この名称は当時の青少年に天文学への興味を植え付けました。物理学者のFreeman John Dyson(1923−)も本書を懐かしく回想しています(David W. Swift 編、桜井邦明・桜井美樹訳「宇宙人探索のパイオニアたち」、 共立出版1992 p.360)。本書の図版は山本一清編「図説天文講座」全8巻、厚生閣・恒星社(1937〜42)に多数転載されました。 〔中略〕 ★野尻抱影氏(1885−1977)は著書で次のように述べます。 全天で肉眼に見える星雲は、アンドロメダ座の螺旋状大星雲と、此のオリオン座の無定形星雲―学者によってはこれを魚形星雲と呼ぶ。さう言へば、マンボーといふ魚に似てゐます―とだけです。(「星座巡礼」研究社 1925 p.11) 小さい望遠鏡をこの星雲に近づけて行くと淡い月しろのやうな明るさがして来て、銀の蝙蝠(こうもり)のやうな光の大塊が現はれ、その頭部に四重星θが、トラペヂウム(不等四辺形)と呼ばれる形に四粒の真珠をきらめかせてゐます。その形から不定形星雲と呼ばれ、また口を開いてゐる魚にも似てゐるため、魚形星雲とも呼ばれます。(「新星座めぐり 冬の巻」研究社 1947 pp.57−58) 野尻氏はオリオン星雲全体を魚形星雲と呼んでいて、「魚の口」がホイヘンス領域の形から来ていることに気付いていないようです。 なお私はオリオン星雲の愛称は「こうもり星雲(bat nebula)」がふさわしいと思っています。 ★吉田源治郎著「肉眼に見える星の研究」警醒社 1922, p.80とp.81の間にオリオン星雲の写真がありますが、その裏には オリオン星座のフイゲンス界域の中央部は、原始星床の巨洞の覗き口である。私達は、此処から宇宙の深みを垣間見る。凡ての想像力を超えた一つの空隙を覗き込むのだ。おゝ其形容を絶した壮観に私の心は躍るよ。例えば、それは一つの空洞の入口から―燦爛たる星雲の内部の深みを透し見することである。此空隙は恐らく肉眼に見える最大の美象だ。見よ!光の殿堂が、柱と円柱と廻廊とペーヴメントが宇宙の深みの深みに在るのだ。然も真珠の輝きを以てそれ等の素材は各々類ひもなく盛んな光明を盛ってゐるではないか。 と書いてあります。彼は魚の口を「天空の穴」と見たのでしょう。Barnardは天の川の写真を調査して1919年、182個の暗黒星雲のカタログを発表しました。 (以上、2010年7月27日付) (管理人より…毎回的確な情報をありがとうございます。前号に掲載した宮澤賢治と「魚の口」の話題に関連して、さらなる詳細が判明しました。)
佐 藤 明 達 「WEBだより」第7号を有難うございました。 「WEBだより」p.13の図はKing の本のp.208にある図を、ちょうど反対側から見た形になっています。上部に箱型の木枠(やぐら)があり、ここに滑車があって鏡筒と平衡錘とをつないでいます。これはW.ハーシェルの40インチにはない工夫です。それにしても、経緯儀式架台(altazimuth stand)の木組みはどうして製作したのでしょうか。棒の長さは10メートル以上ありますが、継ぎ目が分かりません。 * " " 「ハーシェルの望遠鏡座」に関する上原氏との往復書簡、大へん興味深く拝読しました。 「フラムスチード天球図譜」(恒星社、1943)p.29には、ラカイユの南天星図が載っていますが、ここに描かれている望遠鏡座はヘベリウスの使ったような長大なもので、柱の上端の滑車に掛けた綱で支えられています。ラランドはこの新星座を1763年出版の Coelum Stelliferum に発表したようです(R.H.Allen, Star Names. Dover, 1963, p.14)。 天王星はおうし座132番星の南1°の辺で発見されました(佐藤明達、天王星の発見位置、 東亜天文学会発行「ステラ」第2号、p.20、1991参照)。図Bのその位置に文があります。小さくて読めませんが、ドイツ語で「URANIA. 1781年3月13日ハーシェルの発見した新惑星」と書かれているようです。しかしウラニアは Mousai の一人で、天文を司る女神です。これは天の男神ウラヌスとは違います。ボーデは1784年、過去の記録を調べて、1690年12月23日にフラムスチードが天王星を恒星と間違えて、おうし座34番星と名付けていた(名付けたのはラランドですが)ことを発見しました(斉田博著「近代天文学の夜明け」、誠文堂新光社、1982、p.73参照)。図Hに“Herschel”とあるのがそれです。 ミドルトン「天球図帳」(James Middleton, Celestial Atlas, 1843)にある「ハーシェルの望遠鏡」も図Fのと同じです(P. ウィットフィールド著、有光秀行訳「天球図の歴史」、ミュージアム図書、1997、p.116参照)。なおこの本のp.112にSamuel Reigh, Urania’s Mirror, 1823 から転載した「印刷室」の図があります。 私は「ジョージの琴」座由来について一文を草したことがあります(「天界」No.961, p.343, June 2005)。その際、原恵著「星座の神話」(恒星社、1975 p.272)に「ジョージU世」とあるのは「ジョージV世」の誤りではないかと書きました。すると新潟県の山田和俊氏が「D. J. Warner, The Sky Explored, 1979」の中のヴィーン天文暦(Ephemerides astronomicae ad meridianum vindobonensem calculis definitae, 1790:ヴィーンを通る子午線に基づいて計算した天文推算暦)でHellが新設した星座の表題に Monumenta aere perenniora inter Astra ponenda: Primum serenissimo Regi Angliae, Georgio III(高貴で最も清朗な英国王ジョージV世を永久に記念して、星の間に置く)とあるのを発見しました(「天界」No.977、p.653、Oct. 2006)。原恵氏もこの本を読んで、その後の改訂版ではジョージU世をV世に改めました(「天界」No,963、p.473、Aug. 2005)。山田氏のこの文に対する私の回答は「天界」No.964、p.537、Sept. 2005 にあります。 「WEBだより」p.20下の図を見ると、「ハーシェルの望遠鏡座」に属する星はψ2, ψ3,ψ4, ψ5 Aur, ο Gem などであることが分かります。ψ1 Aur は含んでいません。Camille Flammarion, Les Étoiles et les CuriositÉs du Ciel(星々と天空の名所)、Paris, 1882に載っている文の拙訳をお目にかけます。 「第104図(略)を見ると、ぎょしゃ座の東に非常に奇妙な形の天文器具があるのを認める。これは『ハーシェルの望遠鏡座 le Telescope d’Herschel』座で、オーストリアの天文学者ヘル神父が、1781年3月13日天空のこの領域で天王星が発見されたのを記念して設置したものである。実際、この小さな星の群れは、発見されたころ天王星が通過したふたご座を侵略している。しかし、すべての天文学者の心の中にある偉大なウィリアム・ハーシェルへの思い出がどんなに華々しく、どんなに貴重であろうとも、天球上にこの 器具を付加することは星図を乱雑にするばかりで、決して役に立たない。それ故これに所属する星々をぎょしゃ座、ふたご座、やまねこ座に返却し、このデッサンを消してこの絵を単に歴史的記念品としてのみ考えることにしよう。」(p.162) 「更に使われていない一つの星座がある。他に支障を与えることなく構成された小さな星々が、エリダヌス座の領域に存在する。事情は前(ブランデンブルグ王笏の場合)と同様である。1789年ヘル神父が英国王ジョージV世に敬意を表して『ジョージの琴 le Harpe de Georges』座を作るために、エリダヌス座とおうし座から小さい星々を分離した。この王はウィリアム・ハーシェルを保護し、援助し、尊敬し、感嘆した。そしてある日、ラランドと科学の有用性と学者の社会的価値について会談し、大砲や砲弾を製造する製錬所に消費されるイギリスポンドを、大望遠鏡の建設に振り向ける方がよりよい使い方だと認識した。彼と同じくらいの良識を持って議論する君主はめったにいない。しかしながら、この王の星座が二重に使用され、天球を無駄に塞いでいることには変わりはない。」(p.513) 〔中略〕 御返事を書きそびれているうちに桜の季節がやってきました。御礼が遅くなったことをお詫びします。 (2010年3月24日付) (管理人より…(管理人より…毎回的確な情報をありがとうございます。前号に掲載した宮澤賢治と「魚の口」の話題に関連して、さらなる詳細が判明しました。) いつも、丁寧なお手紙をありがとうございます。頂いたお手紙の中で日本人と天王星に関する記述は、別項の末尾に「補遺」として掲載させていただきました。)
飯沢 能布子 新出発の日本ハーシェル協会WEBだより第7号をお送り下さりありがとうございました。協会事務局が2009年の総会で正式に角田様に引継がれた今号を契機に、協会の新たな活動への飛躍を願っております。私は途中からの会員ですが時の推移に感無量の思いです。今年度もよろしくお願いいたします。 さて、2月20日〜21日に札幌市の北二条クラブ(写真は雪晴れの会場)で道内外から星好きが集り、表記のようにことし第14回目の会合がありました。同会は“星の観察、観測、天体写真全般、宇宙についてなど、天文に関することなら何でも”と幅ひろく発表の場として交流を深め合い人材育成と天文普及がねらいです。 私はことし初の参加でした。自己紹介を兼ねて、テーマ「全天88星座の七宝作品」をレジュメと画像による発表の中で、ハーシェルをモチーフにした七宝作品、日英のハーシェル協会やハーシェル子孫の初来日と講演会を札幌でも開催したこと等の活動について幾つか紹介をしました。 作品は黄道の12星座と歴史的なハーシェルの大小の望遠鏡座やカロラインが発見した彗星、肖像や天文業績をテーマに扱った作品など20数点に対して質問も数多く寄せられ、七宝への関心がとても高かったのはうれしいことでした。 持ち時間が瞬く間に過ぎその後に記念撮影、第二部は深夜3時まで各々興味深い発表が続いたようです。 というのは、何分にも私は日頃の早寝習慣と吹雪の中のドライブでやや体調悪く1時過ぎに退室しましたが、さすが夜空に強い星ウォッチングの皆さんのこと翌朝爽やかに集合されてました。これからも様ざまな機会にハーシェル関係の話題でも交流ができることを願っています。たいへん意義深くまた楽しい二日間でした。
(2010年3月8日 受領) (管理人より…飯沢会員より最近の活動報告をいただきました。 美しい星と七宝、そしてハーシェルの話題で、北海道の寒夜も熱く過ごされたようです。ハーシェル関係での交流が、ますます盛んになりますように!)
(管理人より…シャーロットさんから届いたクリスマスメッセージによれば、2009年はご自身やご家族に個人的イベントの多い年だったようです。その精力的な活動の一端を抜粋してご紹介します。) 最も大きな出来事は、7月のリンカンシャーの州議会選挙でした。議席を守るため過酷な選挙戦を続けた後に、無事再選を果たしました。…今では4つの委員会、2つの審査会、2つのワーキンググループ、2つの学校理事、3つの評議会に属し、毎日忙しく過ごしています。 6月には私の70歳の誕生日を祝いました。それにしても、いったいいつの間に70歳になったのかしら? 6月の終わりには、女王陛下の園遊会に招かれました。娘のキャサリンに同行してもらったのですが、彼女が『バッキンガム宮殿までお願いします』とタクシーの運転手に頼むのを聞いたときは本当にドキッとしました。こんなことって、これまで夢にも思わなかったものですから! 8月は議会も休みなので、友人とサンクト・ペテルブルグまでの旅に出かけました。アムステルダムではゴッホ美術館を訪ね、さらにスウェーデン、エストニアのタリンの町を経て、サンクト・ペテルブルグへ。写真で見るよりも、いっそう素晴らしいところでした。 子供や孫たちもみな達者です。 このお手紙を書いている今、雪がはげしく降っています。そのため、州都リンカンで行われている公平課税ならびに予算案を検討するワーキンググループに出席することができ ません。こう書くと、なんだか大層な権力者のように聞こえますけど、皆、リンカンシャーの政治をどうにかしたいと思っている、ごく普通の人たちです。その仲間であることを私は嬉しく思います。 この雪とクリスマスカードを書くのが遅くなったせいで、このカードがお手元に届くのも遅れてしまいそうですが、良いクリスマスをお過ごしになること、そして2010年が素晴らしい年になりますようお祈りしております。 (以下、ペンで添え書き) 今年5番目のハイライト。5月15日に、私はハーシェルとプランク宇宙望遠鏡打ち上げのため、ヨーロッパの一角、ドイツのダルムシュタットにいました。打ち上げ自体はフランス領ギアナで行われました。すでに星雲の内部を写した最初の写真が送られてきましたが、これはとても美しく、きっと綺麗な七宝細工になりますよ!
(以下はタッブさんの奥様ジェーンさんからのメッセージの抜粋です。) クリスマスおめでとうございます。昨年のクリスマスは、バースにいる私の母方のいとこの一家と夕食を共にして楽しく過ごし、年が明けても10日までは万事順調だったのですが、この日、犬の散歩中に転んで左足を骨折してしまいました。夫のマイケルがその11カ月前に骨を折った時とそっくりの状況です!おかげで6週間もギプスをはめて、ふだんと同じように暮らせるまで、さらに12週間もかかりました。4月には結婚40年のルビー婚式を祝ったのですが、この事故のせいで、ごく内輪で昼食会をしただけで済ませました。 マイケルの足はもうすっかり良くなり、光害防止運動や、ハーシェル協会とハーシェル博物館の活動、それにバナーダウンとソールズベリーの自然保護区の管理をしたりして、相変わらず忙しく暮らしています。子供たちも皆それぞれうまくやっています。 イースターには姉のメアリーと義兄のリチャード夫婦がやってきました。メアリーがヒースローから発つのを送った後、私たちはリチャードをアッピンガムに住む古い同僚のところまで送り届け、そのまま近くに泊まりました。そして次の晩はオックスフォードに泊まり、イギリスの合唱音楽1000年とイギリスの望遠鏡400年を記念する展示会を見てから帰途につきました。 6月の末には、シオン・ハウス(テームズ川をはさんでキュー・ガーデンの向い側にあります)で望遠鏡400周年を祝いました。マイケルはこの行事のために、2台の望遠鏡を製作したのですが、いずれもガリレオより数カ月早く、トーマス・ハリオットが1609年に月を観測するのに使った機材を推定復元したものです。9月にはウィンボーンの近くで、マイケルの光害防止運動の仲間がプラネタリウムの10万人目の入場者になったのを祝うパーティーに出席した後、ナショナル・トラストが所有する館「キングストン・レイシー」で丸一日を過ごしました。 私はまだ2つの合唱団で歌っていますし、マイケルと共にホワイト・ホース・オペラの熱心なサポーターでもあります。毎週金曜日には、ドロシー・ハウス・ホスピスまで患者さんを車で運び、夕食の調理をしていますし、教会関係の活動にも熱心に取り組んでいます。 どうか良いクリスマスと平穏な新年をお迎えになりますように。 (管理人より… シャーロットさんといい、タッブ夫妻といい、イギリスの熟年世代の活躍には本当に驚かされます。これはぜひ学びたい点ですね。 )
(上掲のシャーロットさんとは「いとこ」の関係になる、ショーランドさん(ウィリアム・ハーシェル直系の孫、Sir William James Herschel のさらに曾孫にあたります)からも、協会宛てに以下のようなクリスマスカードを頂戴しました。)
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