Letters to Webmaster 2008
中 川 浩 一 拝啓 日々いかがお過ごしですか。私の方はあいかわらず〔…〕リハビリの合間を、読書とときおりの原稿書き(TVはみない)に使う毎日ですが、自宅書庫から娘に持ってこさせた岩波文庫から、全く思いもかけずハーシェルが顔をだしました。 それにしても札幌農学校一期生で、クラーク先生の愛弟子だった内村鑑三が明治20年代半ばでハーシェルの伝記を読んでいたとは全くのオドロキでした。「後世への最大遺物」は、明治27(1894)年のプロテスタント夏季学校での講義を、3年後に公刊したもの。熱心なキリスト者でかつ思想家の内村が、天文研究者の伝記を読んでいようとは、全く考えつかぬことでした。 ところで内村のいうハーシェルの伝記の原本はなにものでしょう。『ビクトリア時代のアマチュア天文家』第4章の注から考えると、2.(p.312) The Herschels and Modern Astronomy, London, 1895 かしらと思うのですが、内村は明治27年に伝記を読んでいたというのですから、1895年刊が正しいと、それ以前の本があったことになる訳です。お心あたりあれば教えて下さい。 内村はジョン・ハーシェルが20歳のころ、われわれが死ぬときには、生れたときよりも少しでも世の中をよくしておこうではないかと言ったことに感激し、人はかく生きなければならぬ、ハーシェルは南半球の星空を観測し、航海術の進歩に偉大な貢献をした、と評価しているのです。 私はハーシェル父子の業績がいつごろから日本の天文学研究者に広く知られる様になったか全く知りませんが、内村鑑三がジョン・ハーシェルの没後20年ほどの時点で知っていたという事実に、驚きを禁じえないのです〔…〕 今回お知らせしたことが新たな知見になるならと考え、うかがってみた次第です。 (08年5月22日受領) (管理人より… 内村鑑三によるハーシェルへの言及。これまでもチラと話題になることはありましたが、はたして内村鑑三はどこでそれを知ったのか?中川氏の問いかけに対して、管理人が調べた結果は「内村鑑三が言及したジョン・ハーシェルの言葉を追って」に 掲載しました。併せてご覧下さい。)
重 久 長 生 「お元気ですか。小惑星の8736番に、Shigehisa が2008年3月21日付けで命名されました。理由は永年の変光星の観測・研究と、『日本アマチュア天文史』の正・続編の刊行に貢献したということだそうです。 この星は1997年1月9日に群馬県大泉観測所の小林隆男氏が発見し、 仮番号1997AD7と付けられていたものです。 NASA JPL発表の軌道要素を添附します。 」 (管理人より… 重久会員より、素晴らしいお知らせが届きました。小惑星 Shigehisa の誕生、本当におめでとうございます!協会に対する多年の功績に対しても感謝しつつ、謹んでお祝い申し上げます。以下、管理人には少々難しいのですが、取り急ぎJPLのデータベースからの引用です。詳細は、http://ssd.jpl.nasa.gov/sbdb.cgi にアクセスし、右上の“search”ボックスに、“shigehisa”と入力し、PCの enter キーを押すと閲覧できます。) Orbital Elements at Epoch 2454600.5 (2008-May-14.0) TDB
Physical Parameter Table
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