待っていた天使
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9月最後の日曜日。 朝からすこぶるいい天気。 太陽が真上に近づく頃、8月の空より薄まった水色の下を、アタシは鼻歌を歌いながら歩いている。 目的地は昨日と同じ、平次と待ち合わせしているあの公園。 今日みたいな天気のいい日、二人でどこかに出かけられたらいい。 だから、そろそろ帰って来てくれると嬉しい。 日曜日の公園は、もしかしたら何かイベントをしているかもしれない。 そしたら東屋で待ってられへんかなぁと思っていたけど、意外にも人影はまばらだった。 そういえば、ここに来る途中、小学校で運動会をやっていた。 今日辺り、学校行事をやっているところが多いのかもしれない。 だから人が少ないのだろう。 ぐるりと公園を見渡してみると、反対側の出入り口にある遊具で遊んでいる親子連れと どうやら散歩に来ていたらしい老夫婦が、点在してあるベンチの一つに腰掛ける所だった。 2人はとても仲良さそうに、手を繋いだままでいる。 あんな風に、年をとっても仲良く一緒にいられたらいいなぁと思いながら、アタシはいつもの 東屋に向かった。 「昨日は、ごめん」 いつもの席で雑誌を読んでいたら、不意に上のほうから声が届いた。 「えっ?」と思って顔を上げたら、昨日の男の子がいた。 「・・・あ、昨日の。ごめんて、何かあったん?」 「俺、一人で爆睡してただろ? 宿題してたのに、迷惑だったよな」 真剣、というよりは神妙に近い面持ちで、その男の子とは謝っている。 「ああ、そんなこと。全然気にしてへんから、ええよ」 うっかり寝てしまうことなどよくあること。 だからそんなこと、気にしなくて全然平気やと微笑んだ。 それに、一昨日の夕方はアタシも恥ずかしい姿を見られているし、おあいこというものだ。 アタシが笑ったことに安心したのか、その男の子の顔にあった神妙さが薄らいだ。 「せっかくの日曜なのに、どこにも行かないの?」 男の子は、アタシの向かい側に腰掛けながら、尋ねてきた。 「ここに来てるやん?」 「ああ、ごめん、そういうことじゃなくて・・・」 「買い物とか、映画とかってこと? 今日はここに来たかったから、ここに来てん」 あ、アカン。 このままのペースだと、今日はアタシの方が質問に答える形になる。 一瞬、男の子が口を閉ざしたので、今度はアタシが尋ね返した。 「そっちも、どっかに行かへんの?」 「俺? 午前中出かけてた。で、さっき帰って来たところ。俺ん家そこのマンションだからさ」 「そうなん? アタシの友達も同じトコ住んでんねん。そっか、それで毎日ここに来てたんやね」 そういえば、何で毎日会うのかとちょっと疑問に思ったところだった。 東京から越してきたばかりで、この辺の土地感がないせいかな、と思っていたけど すぐそこのマンションだったら、ここに寄るのも不思議ではない。 一昨日は確かMTBを押していたから、通り道にしたりもしているのだろう。 そんなことを考えていたら、男の子は口元を少し上げながら口を開いた。 「そういえばさ、俺らお互いの名前、知らないよね。俺、陽太。徳永陽太」 「アタシは遠山和葉」 「和葉ちゃんかー。どういう字書くの?」 「平和の和に葉っぱの葉」 アタシは自分の名前を尋ねられたとき、和葉の和の字をいつも「平和の和」とこたえている。 それは、平次の「平」の字とセットみたいで、何だか嬉しくなってしまうから。 でも言われてみて初めて、お互いの名前を知らなかったことに気が付いた。 「ようた」という字はどう書くん? と尋ねようとしたとき、ティロリロリン、ティロリロリンと電子音が 小さく鳴り出した。 これはアタシの携帯の音じゃない。 ということは、徳永君の携帯の音だろう。 けれど徳永君は、携帯に出る様子がない。 早よ出んと切れてまうよ、と言ったら、慌てたようにジーンズの後ろポケットから携帯を取り出した。 少し困った顔をしていたので、たぶん何か考え事をしていて気づかなかったのだろう。 会話の邪魔になったら悪いと思って、アタシはおとなしくしていた。 「ごめん。俺、ちょっと家に帰る。和葉ちゃん、まだここにいる?」 電話が終わったらしい徳永君が、携帯を折りたたみながら聞いてきた。 「んー、多分おると思うけど・・・」 「そしたらさ、なんか飲み物持って来るよ。暑いだろ?」 「そんな、ええよ・・・」 アタシの返事を聞くか聞かないかのうちに、徳永君は立ち上がった。 急用だったらしく、立ち上がると直ぐに走って公園を後にした。 何だかよくわからない人だと笑いたくなったけど、まあいいやと思って、また雑誌に目を落とした。 何だか小腹が空いたと思って、携帯で時間を確認した。 デジタル時計は、もうすぐ14:00になろうとしている。 朝ご飯が遅かったために、今頃になって少しお腹が空いてきたのだ。 近くにあるコンビニにでも行って来ようかどうしようか、考え出したときだった。 公園の近くで、大きなエンジン音が聞こえてくる。 聴き慣れたエンジン音。 もしかして・・・もしかして、平次のバイクじゃないかと思って顔を上げたら、入り口の前の道を 平次と色違いのバイクが通り過ぎて行った。 何や残念・・・と目を細めたら、今度は反対側の角から大型トラックが過ぎ去って行った。 その名残のように、公園の入り口付近にディーゼルエンジンの黒煙が漂っている。 アタシは視線を公園内に戻しながら、コンビニ行きをまだ迷っていた。 コンビニに行ってる間にすれ違いになる可能性がないわけじゃない。 でも、お腹の方は何か物を入れたくなってきている。 そんな風に、暫くの間あれこれ考えていた時だった。 何の前触れもなく、突然どかっとアタシの横に、誰かが腰を下ろした。 「待たせたなァ」 「わっ! ビックリしたー!」 隣に腰を下ろしたのは、他でもない、この3日間待っていた相手だった。 待っている間に味わった、いつやって来るかわからないロシアンルーレットのような緊張感と 平次がやってきたときの幸福感のことを考えると、何だかあっけない登場だった。 ちょっと拍子抜けといった感じ。 そんなアタシに構うことなく、当然のように隣に座った平次は、そのまま一つ大きな欠伸をかいた。 「あれ? でも、バイクの音とかせぇへんかったよ? 色違いのやったら通ったけど・・・」 「ああ、あれやろ。オレの目の前、宅急便の大型トラックが走ってたからなァ。オレのバイクの音、 たぶんそのトラックのエンジン音で消されてしもたんやろ」 「足音もせんかったよ?」 「芝生の上、歩いたからちゃう?」 ふぁーあ、と、大きな欠伸をしながら、平次は淡々と答えた。 何だかまだ、話し方が推理モードから抜けきっていないみたいだった。 コキコキと首を鳴らし、再び大欠伸をした後、平次はようやくアタシに顔を向けた。 「和葉、ちょっとだけ寝かしてや」 「寝るって、ここで?」 「そや。1時間・・・や、30分でええから、頼むわ」 「そら、ええけど・・・」 「ほな決まり。30分経ったら起こしてや」 言うが早いか、平次は縦長のベンチをベッド代わりにして、あっという間に昼寝を始めた。 その頭は、アタシの太腿の上にちゃっかり乗せている。 膝枕、30分もしたら痺れるやろな・・・という考えが脳裏を掠めたけど、気持ち良さそうに寝息を立てる 平次の顔を見ていたら、それくらいは我慢しようと思った。 それに30分と言ったけど、本当は初めに言った1時間、横になりたかったのだろう。 だから1時間経ったら起こしてあげよう。 空いてきてしまったお腹は、持ち合わせの飴で我慢しよう。 平次の寝顔には、それを一瞬で決断させるだけの魅力があった。 そんな魅力の持ち主を起こさないよう、アタシは姿勢を動かさないまま、雑誌の性格診断に 手をつけることにした。 左の腿に徐々に起こる軽い痺れが、平次が帰って来たことを実感させてくれた。 少しあっけない登場だったけど、アタシの傍で眠ってくれたことが嬉しかった。 目覚めたら、「お帰りなさい」と伝えよう。 「ただいま」と言ってくれたら、嬉しいな・・・。 「良かった、まだいて」 持って来ていた雑誌を一通り読み終わろうとした頃、ここのところよく聞く声が聞こえてきた。 「へっ・・・あ、徳永君。ちょ、大丈夫なん? 汗だくやで?」 「ああ、へーきへーき。ちょっと走ってきたからさ」 さっきいたときに腰掛けていた所に再び現れた徳永君は、額から汗が流れていた。 Tシャツも、首の辺りが少し濃くなっている。 これも汗のせいだろう。 でもそんなことはおかまいなしといった感じで、徳永君は手に持っていたものを差し出した。 「これ、おみやげ」 「おおきに。・・・せやけど走ってきたんなら、暫く飲まれへんね、このコーラ」 「あっ・・・そだね」 やっちゃったよ・・・と呟く徳永君に、アタシは思わずクスクスと笑い出した。 徳永君は、何だか力が抜けたように、ベンチにどかっと腰を下ろした。 そして暫くうな垂れていると、軽く溜め息をついてから再び顔を上げた。 「和葉ちゃん、今日も5時まで?」 「ううん。もう少ししたら帰るわ」 アタシがそう返事をすると、徳永君はえっと呟き、顎を少し上げた。 「あ、そうなんだ・・・。でもさ、何でいつも5時なわけ?」 今度はアタシが、一度瞬きをする番だった。 瞬きをした後、アタシは視線を下に降ろした。 視線の先では、平次が気持ち良さそうに寝息を立てている。 「やって暗なるし、ご飯も作らなアカンから。それに・・・」 「それに?」 「うん、ちょっとな・・・・・・」 平次と待ち合わせをしているから、というのは、やっぱり内緒にしておきたかった。 これは、平次とアタシ、2人だけの約束だから。 そしてその約束をした相手が、今はここに来てくれている。 アタシの視線のすぐ先にいる。 太腿にかかる平次の重さを確認すると、顔の筋肉が自然に和らいでしまった。 「あ・・・あのさ・・・」 徳永君の声に、アタシは視線を上げだ。 何だか少し、戸惑い気味な表情を浮かべつつ、徳永君は話を続けた。 「和葉ちゃんは、なんで毎日ここに来てるわけ?」 「アタシ?」 「そう」 「今、何時?」 突然、平次の声が割って入った。 「えっ? 何?」と、徳永君は慌てたようにキョロキョロとした。 無理もない。 ここに平次がいることに気づいてなければ、何事かと思うだろう。 「和葉、今何時?」 もう一度、平次が同じ質問をして来た。 アタシは携帯を見た後平次に視線を落とし、「3時過ぎ」と答えた。 「何や、結局1時間寝てしもてんなァ・・・っあー、腹減った。和葉、何か食い行かへん?」 「平次、お昼食べてへんの?」 「昼だけやのうて、朝から食ってへんわ」 アタシは自分の空腹状態よりも、平次の空腹に少し驚いた。 いつもは、部活の後にみんなとラーメンを食べた後、家に帰ったら更に夕飯を全部平らげる平次。 アタシが食べきれないときは、必ず残りを引き受けてくれる。 逆に、平次が残すということは滅多にないし、アタシが平次の分も食べることはまずない。 それくらい、普段は人の倍ほど食欲のある平次。 その平次が朝から何も食べていないなんて・・・。 ・・・その理由はただ一つ。 推理に没頭していた、ということだろう。 事件のことになると、平次は他のことには目もくれない。 たからきっと、今日も推理に夢中で朝から何も食べないままここに来たのだろう。 そんなことを瞬間的に考えていたら、ちょっと違う答が帰って来た。 「誰かさんを待たせ過ぎて、婆ちゃんになったら困るよってな。早よ帰らなアカンなァと思っとったら 飯食う時間、なくなってもうたわ」 「えっ、アタシのために急いで帰って来たん?」 「さーなー?」 一瞬、アタシのために帰って来てくれたのかと思って喜んだのに、返ってきた答はイジワルだった。 平次ときたら、何のことかなーと言わんばかりに笑顔を浮かべている。 その様子が、何となく悔しい。 「何や、アタシのためにお腹空かせてるんやったら、お好み焼きでも奢ったろう思たのに」 「それ、ホンマか?」 その返事とともに、平次は勢いよく起き上がった。 起き上がると、アタシの方に向き直るようにベンチに跨った。 「ホンマにゴチ?」 「うん。その代わり、夕飯は平次持ち」 「そんなことやろと思ったわ。・・・よっしゃ、わかった。夕飯はオレ持ち。そうと決まったら 早よ食い行くで」 平次はアタシの手を引っ張りながら、ベンチを立った。 そしてどうやら立ち上がって初めて、テーブルの向こう側に座っている徳永君に気が付いたようだ。 立ち上がったままの姿勢で、平次は動作を止めた。 そしてそのまま、徳永君のほうを見下ろしていた。 少し、平次の目が細くなる。 「誰や? 和葉の知り合い?」 「うん。平次待っとる間に、知り合いになったん」 「へぇー」 向こう側のベンチに座っていた徳永君が、ぽかんとした表情で平次を見ている。 たぶん、徳永君のいる位置からはテーブルが死角になって、平次の存在がわからなかったのだろう。 アタシは平次のほうを見直すと、何だか視線が鋭くなっていた。 これはきっと、寝起きと空腹のダブルパンチで、機嫌が悪いのだろう。 アタシは慌てて背中を押した。 「ほらほら、平次、お腹空いとるんやろ? 行こう?」 「ああ」 平次の声が、オクターブ低くなっている。 これはやっぱり、ご機嫌斜めの証拠だ。 もう一度平次の背中を押すと、平次はこっちを振り向かないまま、自分の背中にあるアタシの 手を取って、そのまま自分の手と繋いだ。 そんなことはたまにしかしてくれない平次だったから、アタシは嬉しくて思わず握られた手に 視線を落とした。 そして平次の顔を見上げると、その表情はまだムスッとしたままだった。 アタシはそれから徳永君のほうを見て、徳永君に別れを告げた。 「徳永君、バイバイ」 「あ・・・うん、かず・・・」 なぜか徳永君の声が、途中で途絶えた。 その理由はよくわからなかったけど、とにかく平次の目がさっきより確実に鋭くなっているので これ以上お腹を空かせてはいけないと思って、アタシは「行こう?」と言う代わりに平次の手を ちょいちょいと引っ張った。 平次はそれに応えるように、繋いだ手に少し力を込めた。 そんな些細なことが、アタシは嬉しくて仕方なかった。 笑顔が自然にこみ上げてくる。 きっと、顔の筋肉が緩みっ放しなんだろうと思いながら、平次と一緒に東屋をあとにした。 |