待っていた天使
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次の日の朝、学校に行く前にオバチャンから電話があった。 オバチャンは、小さい頃から平次が学校を休むときは、必ずアタシに電話をくれる。 だから今朝電話がなったとき、何となく予想していた平次の欠席が確信に変わってしまうようで ちょっとだけ、受話器を取るのに躊躇ってしまった。 「服部ですけど、和葉ちゃん? おはようさん」 よく聞きなれたオバチャンの、いつもの明るい声が聞こえてきた。 オバチャンは大好きだけど、朝の電話は少し淋しい。 これから今日一日、学校では平次に会えないことを知らされるわけだから。 「平次、昨日遅くに帰って来てな、今朝もお天道様と一緒に出て行ってもうてん。 あら絶対、事件に首突っ込んどる証拠やわ。 制服も部屋にあるし、携帯に電話しても出ぇへんし・・・。 せやから平次、今日はたぶん学校には行かへんと思うのよ。 いつもいつも和葉ちゃんに迷惑かけて、ホンマ堪忍な」 やっぱり・・・と落胆する気持ちに押されながらも、アタシはオバチャンに感謝した。 平次が学校に来ないのは淋しいけど、とりあえず家に帰ったことがわかったのは嬉しい。 「ううん、迷惑やなんて、そんなことない。それよか平次、ちゃんと寝たん?」 「どやろなァ。お風呂には入った跡があったんやけど・・・。 ホンマに、事件に顔出すなとは言わへんけど、学校サボってまで行くのはアカンわ。 帰ったらよう言わんと・・・」 電話の向こうで、怒ってるんだけど心配しているオバチャンの様子が、容易に想像できた。 オバチャンは口ではいつも厳しいことを言うけれど、それはとても筋の通っているものだった。 そして厳しく言うのも、相手のことを思う気持ちからだというのが、よく伝わってくる。 だから、平次も本気ではむかったりはしない。 アタシはオバチャンに「行ってきます」と告げて、玄関のドアを開けた。 案の定、平次は学校には来なかった。 アタシはアイちゃんとお昼を食べた後、今日も公園へと足を運んだ。 9月も終わるというのに、今日はとても暑い。 もし待ち合わせ場所が公園じゃなく、日影ができにくい河原だったとしたら、この暑さの中何時間も いることは、かなり厳しかっただろう。 東屋があって良かったなぁ・・・と思いながら公園に入ると、その東屋に一人の男の子がいた。 一瞬見ただけで、平次じゃないとわかる。 どんなに遠くからでも、たとえそれが後姿でも、アタシは平次を見つける自信がある。 平次だけは、絶対にわかる。 だから、東屋にいるのが平次じゃないとわかった時点で、そこにいる男の子が誰かなんて 全く興味がなくなった。 とりあえず、その男の子からはなるべく離れて座ろうと思って、男の子がいる場所と 点対称になる位置に、アタシは腰掛けることにした。 腰掛けるとき、その男の子が一瞬視界に入った。 男の子は携帯を折りたたんで、ジーンズのポケットにしまいながら腰を上げた。 ああ、もう帰るのかなと思い、何気にその男の子を見た。 「あれ、もしかして昨日の・・・?」 アタシの声に、その男の子がこっちを見た。 中腰のままこっちを見た男の子は、昨日ここで会った男の子だった。 もう会わないだろうと思っていたので、ちょっとだけビックリした。 「もう帰るん?」 特に他意はなく聞いただけだけど、何だかその男の子は慌てたように口を開いた。 「あ、いや、何か座りっぱなしは疲れたなーと思って、ちょっと立とうとしただけ」 てっきり帰るんだろうと思っていた男の子は、またベンチに腰掛けた。 確かに長時間座っとると腰に来るもんな、と、アタシはその男の子に相槌を打った。 でも、あんまり興味のなかったアタシは、今日出た宿題をしようとバッグに手をかけた。 「土曜なのに、制服なの?」 プリントの1枚目を、半分くらい終えたときだった。 不意に彼が声をかけてきた。 アタシは一瞬、何かへんな感じを受けたけど、「私立やから土曜もあんねん。せやから、制服」 と、その男の子の質問に答えた。 「・・・あれ、東京弁?」 アタシが何か変だなと思ったのは、男の子の話し方だった。 蘭ちゃんやコナン君が話すのと、同じ話し方をしたのだ。 「ああ、俺、おととい引っ越してきたんだ」 東京? と聞くと、昨日みたいにその男の子は、コクンと頷いた。 「そうなんや。アタシも東京に友達おんねん。東京のどのへん?」 アタシは、昨日の夜に蘭ちゃんと長電話したこともあって、東京からやって来たという その男の子に、何だか急に親近感を持ってしまった。 昨日、ちょっと恥ずかしいところを見られてしまったけれど、男の子はそのことは話さなかった。 「何してたの?」って尋ねられたら、本当のことを話せばいいだけなんだけど 何となく、ここで平次を待っているのは、平次とアタシのヒミツにしておきたかった。 だから、あんまり自分のことを聞かれないようにと思っていたら、ほとんどアタシがその男の子に 質問をするような会話だった。 結構長い時間、話していたかもしれない。 アタシは時間が気になって、自分の腕時計を見ながらその男の子に尋ねた。 「なァ、そう言えば、こんなに話してて時間平気なん?」 時計を見てみたら、思っていたほど時間が経っていなかった。 平次と話をしていると、思いがけないほど時間が経っていることがよくある。 だからよく、時間の感覚が鈍ってしまう。 でも今は、そんなに時間が経っていなかったので、ホッとした。 「俺は、引っ越してきたばかりだから、別に予定はないけど。そっちは?」 「アタシ? アタシは5時までここにおるから全然平気やけど」 「5時?」 男の子の質問に、アタシは素直に答えてしまった。 ああ、これでは平次との約束を、ちょっと話してしまったことになる。 うっかり屋な自分に心の中で舌を出したとき、アタシは宿題をしていたことを思い出した。 そうだ、まずは宿題を終わらせて、平次が帰ってきたらいつでも遊べるようにしておくことが先決だ。 目の前にいる男の子とは、それから話せばいい。 そう思ってアタシは、何か言いたそうな顔をしている男の子に向かって口を開いた。 「ほんならアタシ、さくっとこの宿題やってまうから、ヒマやったらまた後で話そ?」 「えっ・・・?」 「イヤやったらええねんけど」 「あっ、いや、そんなことないよ。全然。俺、家帰ってもヒマだし」 その返事に、アタシはありがとうの意味も兼ねてニッコリ笑うと、さて宿題宿題、と 自分の前に広げっ放しになっていたプリントと教科書に目を向けた。 世界史のプリントは、問題数がやたらとあるから、思ってるより時間がかかる。 でも世界史をやっていると、時間旅行をしているみたいで結構楽しい。 アタシは段々と宿題に夢中になって、申し訳ないけど男の子のことは、頭の隅に移動していた。 宿題が終わって時計を見ると、4時半を回っていた。 喉が渇いたなぁと思って、持って来たボトル缶に手を伸ばすと、東京からやってきたその男の子は 頬杖をついたまま、気持ちよさそうに眠っていた。 これは起こしたら悪いなぁと思って、アタシは話し掛けるのを遠慮した。 ボトル缶のキャップを、なるべく音を立てないようにそっと開けながら、温くなってしまったお茶を 飲みかけたときだった。 突然、バタン! という大きな物音がそばでした。 ビックリしてその音がした方を振り向いたら、さっきまで頬杖をついていた男の子が、テーブルに突っ伏していた。 きっと引っ越してきたばかりで、何かと疲れているのだろう。 起こして、「家に帰りや」と言ったほうがいいだろうかとも思ったが、寝てるのを起こすのは忍びない。 アタシは広げていた教科書やプリントを、静かにカバンの中に片付けた。 代わりに雑誌でも読もうかとも思ったけど、5時まではもう微妙な時間だったので、アタシは携帯を 取り出して、友達へメールを打ち出した。 5時を知らせるメロディが聴こえてきたのは、それからまもなくしてだった。 この辺りは、5時になると夕焼け小焼けのメロディが流れてくる。 平次、今日も帰りが遅いんかなぁ・・・と、暮れ出した空を眺めながら、アタシは携帯をしまった。 約束どおり、この後は家で平次の帰りを待とうとベンチから立ち上がったとき 目の前で寝ている男の子を思いだした。 「なァ・・・なァ、起きてや?」 アタシは、ちょっと悪い気がしながらも、気持ちよさそうに寝ている男の子に声をかけた。 初めは反応がなかったので、どうしたものかと思っていたが、もう一度大きな声をかけたら 「・・・ああ?」と男の子が声をあげた。 「あんなァ、起こして悪いねんけど、アタシ、もう帰らなアカンねん」 ちょっと遠慮がちに声をかけたアタシに、その男の子はぼーっとした視線を投げて寄越した。 「・・・えっ、今何時? 俺、寝てた?」 「もう5時やで。何やぐっすり眠っとったから、起こさへんほうがええかなと思っててん。 せやけどアタシ帰るから、一応声かけとこうと思て・・・」 アタシの話を聞いているのかいないのか、あんまりよくわからなかったけれど 家はすぐそこのマンションだと言っていたので、多分大丈夫だろう。 「ほな、アタシ帰るわ」と声をかけて、アタシは掌をひらひらと振りながら歩き出した。 何歩か足を進めたとき、「待って!」と、大きな声が飛んできた。 「あ、ほら、もう暗いし、送って行くよ」 「そんな、ええよ。うち、そんなに遠くやないし」 アタシは再び東屋の方を向き直りながら、男の子に返事をした。 「や、でもさ、大阪って危ないっていうし・・・」 男の子は、何だかとっても慌てたように、早口でそう言った。 言った後、片目を少し細めながら、黙り込んでしまった。 そのままこっちを見ている男の子の顔は、何だか心配そうな表情をしていた。 たぶん、本当に心配しているのだろう。 大阪は危ない所、というイメージがあるのは、よく耳にする。 でも、この辺りは住宅地なので、真っ暗な中一人で歩かなければ、そんなに怖くはない。 だからその男の子に安心してもらうように、アタシはもう一度口を開いた。 「大丈夫やて。そっちの方こそこの辺、慣れてへんのやから、気ィつけて帰りや」 「あっ、ああ・・・うん・・・じゃあ」 細めていた目を軽く開きながら、男の子は頷いた。 アタシは本当に大丈夫やで、という意味をこめて、笑顔を浮かべながらバイバイと言った。 くるっと踵を返して、先程向かいかけた公園の出入り口へと足を運ぶ。 太陽がかなり傾いていて、眩しい光をこちらに送ってくる。 アタシはその眩しさに目を細めながら、平次は今日も遅いんかな、ちゃんとご飯食べてんかな といろいろなことを考えながら、公園をあとにした。 |