待っていた天使





金曜日の昼休み。
友達とのジャンケンに負けて、自販機にジュースを買いに行こうとしたときだった。

「和葉、オレ今から出かけるから、出席ごまかしといて」
「はァ? ちょ、平次、どこ行くん?」
「事件や事件!」

そう言って、昇降口へ向かって走っていく平次。
その後姿を眺めることは、一体何回あっただろう。
いつもだったら、またー? と思って見送るんだけど、今日はそうも行かない。
アタシは平次の後ろを慌てて追いかけた。

「ちょ、平次、こら、待ってー!」
「待て言うて、待つヤツはおらんでー?」

アタシの声に反応しながら、平次は段飛ばしで階段を下りていく。
スカート姿のアタシは一段一段駆け下りるので、どんどん平次に引き離される。
このままじゃ、平次は行ってしまう。

「ちょ、ちょ、ホンマに待ってや!」

と、少し大きな声を出したアタシに、近くにいた他の生徒がビックリして振り返る。
でも、肝心の平次の姿はもう全然見えない。
待ってって言うたのに・・・もう・・・と、走って荒れた呼吸を整えながら
また届かなかった気持ちにがっくりきていると、昇降口から声が響いてきた。

「和葉、待てへんから、早よこい!」

アタシが出した声より一段と大きな声。
今度は昇降口の近辺にいた人全員が、平次の方に視線を送る。
アタシは苦笑しながらもその声に救われて、もう一度平次のもとへと走っていった。
スチール製の下駄箱に、平次が寄りかかるように立っている。
内履きはローファーに履き変わっていたから、本当は猛ダッシュで出かけたいくせに・・・。

何が待てへんのよ・・・待ってるやん・・・・・・

アタシは、顔が溶けそうになってしまった。



「で、何?」
「平次、今日の約束どないなってるの? 7時までには梅田に来れるん?」
「約束・・・? 梅田・・・?」

まさか、とは思っていたけど、やはりすっかり忘れていたらしい。
アタシがどうしても、どうしても見たかった映画が、今日から上映される。
2年間、待ちに待っていた映画が、ようやく上映されると喜んでいたアタシに
だったら初日に行こうと言ってくれたのは平次だった。
それなのに・・・

「映画・・・」
「あれ、今日やったか? ・・・オレ、1週、勘違いしとったわ。映画は必ず行くから、今日は堪忍」
「ホンマにー? ちゃんと映画、一緒に行ってくれるん? 花火も延び延びやのに?」
「は、花火・・・?」
「まさか、花火も忘れたんちゃうやろね?」

アタシは、ちょっと意地悪が言いたくなるくらい、落ち込みたくなった。
平次は映画どころか、花火のこともすぐには思い出せないようだった。

夏休みも終わる頃、商店街のくじ引きで貰った残念賞の花火。
打ち上げ花火もあるから、いつもみたいに平次の家でやるんじゃなくて
たまには公園で一緒にやろうって話をしていたのに。
あれからもう、1ヶ月が経とうとしている。
実力テストとか文化祭があったりして、それどころじゃなかったせいもあるけれど・・・

「アホ。ちゃーんと覚えとるわ。あれやろ、商店街で貰た花火やろ?」
「あ、覚えてたん?」

平次の答に、落胆してた気持ちがちょっとだけ浮き上った。
でもアタシの返事がイヤミっぽかったので、平次は少し呆れ気味な視線を投げて寄越した。

「オマエ、もう少し信じとれや・・・」
「信じとれって、いつも約束破るん、平次やろ?」

そうやったっけ・・・? なんて、とぼけてもムダ。
アタシは、もう数え切れないくらいの溜め息を、平次のためについている。
約束がダメになるたびに、心がイガイガしてしまう。
今回の映画も花火も、またお流れになってしまうのかなぁ・・・と思っていたら
ポン、と平次の大きな手が、アタシの頭に着地した。

「よし、それやったら和葉、公園で待っとれや。オレが帰ってきたら花火しよ」
「・・・ホンマ?」
「ウソなんかつかへんて。事件、すぐ終わるかどうかわからへんけど、待っとって。
あっ、せやけど、公園で待っとるのは5時までやで。暗なったら家で待っとけや。
そしたら迎えに行ったるから。とにかく、帰ってきたらまずは花火や。な?」

平次が、アタシを少し覗き込むように話してくる。
・・・アカン、そんな風にアタシだけをじーっと見て話す平次に、アタシは弱い。
反抗なんてする気も起きなくなる。
平次の淀みない瞳に、アタシはあっという間にKOされた。

「・・・うん、わかった。忘れへんでね?」

アタシの言葉に返事をする代わりに、平次は頭の上にあった手でアタシの鼻を摘んだ。

「いったーーーい!」
「まあ、お利口さんにしとれや」
「そのセリフは、そっくりそのまま返します」
「っああああーーー! もうこんな時間や。早よ行かな! ほななー!」

途端に平次は踵を返して、ダッシュで校門へと向かっていく。
こっちを振り返ることなく、真っ直ぐに走っていく平次。
その後姿は、アタシと話しているときの平次じゃなく、事件に挑むときの平次になっている。
これは、いつまで経っても変わらない。
アタシが「幼なじみ」から「彼女」になっても、変わらないところ。
でも、それでいいと思う。


いってらっしゃい。
出席はごまかされへんかもしれんけど、ちゃんと待ってるから。
公園で、待ってるから。















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