Even if... 「話がある」と、久しぶりに電話が来たのは日曜日の夕方だった。 ちょうどいい、こっちも話があんねんというオレの返答に、飲みに行こうと誘ったのはキミだった。 電話を通して聴こえるその声も、「じゃあ後で」というその言葉も、昔と何も変わらなかった。 それがオレの気持ちを後押しした。 出かけようとしたとき、さっきまで晴れ渡っていた空が突然泣き出した。 静かに降り注ぐその雨は、つま先から、指先から、じんわりと沁みてきた。 徐々に体が冷えてくる。 それでもオレはキミに会うべく、雨に煙る街へと急いだ。 左ポケットに入れた想いを握り締めながら。 「ゴメン、待った?」 後ろ側から、鈴と響く声が聴こえてきた。 「イヤ、今来たトコ」 「そう? もう半分くらい減ってるみたいやけど?」 オレのグラスに触れながら、「ピーチ・ツリー・フィズ」と、甘ったるいものを頼んでいた。 「ガキ」 「ええやん。平次は強いの飲みすぎやで」 琥珀色の液体が入ったショートグラスを、自分の方へと引き寄せた。 「でもこれ、キレイやなァ・・・」 「あん? 氷が溶けてウィスキーの琥珀色と混ざってくトコ、か?」 「そうそう! ようわかったなァ?」 「お前の考えそうなことや」 「平次には何でもお見通しか・・・ハイ、返すわ」 テーブルにグラスを置くキミの手を見て、オレは息を呑んでしまった。 照明が低く落とされた店内で、一際輝く小さな光が目に止まったのだ。 えっ・・・? 何や、その左手に光ってるモンは・・・ 「それ・・・」 オレの視線が、キミの薬指へと集中していた。 「あ、うん、そうなん」 右手で優しく指輪に触れながら、コクン、とキミは頷いた。 「話って、それか?」 「そうなんよ」 ふふ、と、照れながら俯きがちに微笑むキミ。 そのキミの左手に、煌々と輝く清らかな光。 オレじゃない、他のオトコとした約束。 小さな石に込められた眩しいほどの幸せが、オレの心臓を鷲掴みにした。 体中の血管が切れそうだった。 スツールに腰掛けているというのに、足元から崩れ落ちそうな感じがした。 「・・・あ、そか」 搾り出すように出たのは、そんな間抜けな言葉だった。 「いつ・・・なんや?」 「うん?」 「式」 「ああ、結婚式? 来月」 「来月? エライ急やな」 「海外転勤のな、内示が出てんねん」 はっ・・・? 息が・・・息ができない。 呼吸が止まる。 心臓が、握り潰されていく――― 今、何て言うた? 「海外、転勤?」 「そ」 「相手の、か?」 「うん。ニューヨーク」 「ニューヨークて、あのニューヨーク?」 「他にどこがあるん? 自由の女神、エンパイアステートビル、メッツのニューヨークやで?」 呆れたような、でも笑みが零れてしょうがないような、そんなキミの顔。 幸せで幸せでたまらない。 キミの全身からその気持ちが溢れている。 何がそんなにおかしいねん・・・! キミが腰掛けているスツールを、思わず蹴っ飛ばしたくなった。 「お前なんぞがアメリカでやってけるんか?」 「失礼やなァ。ちゃーんとやってけます」 「英語できるんか?」 「そりゃ平次と比べたらでけへんかもしれんけど、でも簡単な会話くらいやったらできるし 向こうで少しずつ覚えて行けばええことやん」 「食べ物かてちゃうねんで? 食意地なお前には大阪の味がないと耐えられへんやろ?」 「そうでもないねんで? ニューヨークやったら日本の食材も結構手に入るし、旅行とちゃうからね 材料買うて来て家で作ったらええことや。せやからお好み焼きもたこ焼きも食べれるし」 「せやけど・・・・・・」 オレ、側におらんのやで・・・・・・? 「大丈夫やて」 「・・・・・・」 「そんなに心配せんでもええから。な?」 オレが口を閉ざしたのは心配してるからと勘違いしているらしい。 まるで慰めるような話し方をする。 首をかしげて、こちらを少し覗き込みながら。 「・・・何かあったらどうするんや? 向こうはこっちと比べモンにならへんくらい事件多いんやで?」 何かあっても、すぐに駆けつけてやることでけへんのやで? 傍でお前を守ってやることでけへんのやで? オレの本心など知ってか知らずか、「自分の身くらい自分で守れる」と笑って答えるキミ。 胸の前でやる小さなガッツポーズ。 泣き出しそうになった。 「それにな、平次」 「・・・・・・あん?」 「あの人が居てくれるから、何があっても大丈夫って思えんねん」 「・・・・・・」 「なーんてな」 ふふ、と口元から零れおちるキミの気持ち。 変わらない。 変わらないその笑顔。 照れながら、はにかみながら、本当に幸せそうに笑うその顔は、子供の頃のそれだった。 それなのに。 それなのに、その笑顔の理由が違う。 オレに向けられた笑顔じゃない。 キミを幸せにしているのはオレじゃない・・・・・・ 卒倒しそうだった。 もう何も考えられなかった。 限界だった。 ただ遠くで流れているジャズが、ビル・エヴァンスに変わったのだけが妙に印象的だった。 「なぁ、平次」 かろうじて腰掛けているオレに、キミの声が小さく届いた。 相槌を打つ気には到底なれず、ただ黙っていた。 「自分の気持ちはちゃんと言わなアカンよ」 「えっ?」 ドキッとした。 オレの気持ちが見透かされているんじゃないか、そう思えた。 「平次は不器用やからな。本当の気持ち、なかなか表に出さないやん? でもホンマは優しいトコとか、人の気持ち察っせるトコとか、そーいう平次のええトコ ちゃーんとわかってくれる人に出会えたらええなァ・・・」 そんなん、お前だけでええのに オレのこと、ようわかってくれんのはお前だけでええのに 他の誰かなんていらんのに・・・・・・ 「そういう人に出会えたら、今度はちゃんと自分の気持ち、言うんよ? 言わないでもわかる、なんて甘えたらアカンで? ちゃんと言葉で伝えることもしてや。な?」 答える代わりに、グラスを静かに置いた。 「人の心配してるヒマなんてあるんか?」 「へっ?」 「まあ捨てられんように、せーぜー猫被っとるんやな」 「もー! 人がせっかく真面目に話してんのに、何やの?」 「お前が真面目になったせいで、外、雨降ってしもたやろ? 似合わんことすんなや」 「ホンマにもう、今まで見たいにちょくちょく会えなくなるってゆうのに、相変わらず減らず口やわ。 たまには優しい言葉のひとつもかけられへんの?」 「他のオトコのモンになるヤツに、優しくなんかしてられへんわ」 「えっ・・・?」 キミの視線が止まった。 オレの右顔を凝視してる。 君が居るのが右側でよかった。 左側だったら完全にバレていたかもしれない。 オレの左側はキミの指定席だった。 「顔の左側は、本心の顔なんやて」とキミが言ったのはいつだっただろう。 「右側は建て前が表れるんやて。せやから平次の左側にいたら、平次の本心がわかってええなぁ」 なんて言っていたキミ。 でもだからって油断はできない。 気持ちを気づかれないように、顔の右側にも出ないように。 そうすることで精一杯だった。 そんな動揺が表に出ないように、グラスに手を伸ばして残った液体を流し込んだ。 「悪いけど、オレ、仕事あるから帰るわ」 「ちょー待って? 平次、仕事上がりやろ? 明日かて非番やって言うてたやん」 「明後日までに揃えておかなならん書類があったん思い出したんや」 「そんなん別に今日やなくても・・・・・・」 「スマンな。急ぎやから。送ってやれへんけど、ひとりで帰れるか?」 「それは・・・迎えに来てもらうから平気やけど・・・・・・」 「そーか。ほんならな」 顔の筋肉を無理矢理動かして、なんとか笑顔を作り出した。 意識を総動員して、歩くことに集中した。 「平次・・・・・・」 振り向かない。 絶対に振り向かない。 振り向いたら叫んでしまう。 暴れてしまう。 泣き出してしまう。 「体には・・・気ィつけてや」 優しく諭すようなキミの言葉。 振り返らないまま、軽く左手を上げて見せた。 そしてその手をポケットに収め、雨の降る街へと足を向けた。 銀色に光る想いを握り締めて―――――― どんなに悔やんでも、もう遅い。 キミがオレの隣で微笑んでいるのが、当たり前だと甘えていた。 何も言わなくてもわかるだろうと思い込んでいた。 言葉にして伝えようとしなかった。 20年以上続いていた歯車も、点検しなけば錆び出し壊れる。 あの時狂い出した歯車を、懸命に直そうとしたのはキミだった。 見て見ぬ振りをしたのはオレだった。 その報いがこれだ。 このありさまだ。 もう、元には戻れない。 どんなにキミのことを想っていても、どんなにキミのことを愛していても やり直すことはもうできない。 降りしきる雨が、オレの体を包んでいた。 熱いものが頬に伝わる。 嗚咽が漏れ出してくる。 今だけは泣かせて欲しい。 雨よ、どうかオレが泣き止むまで降りつづけてくれ。 俺が泣いているのを隠してくれ。 左ポケットに入っている指輪が、君の手に収まる日は、もう、こない。 和葉 和葉 和葉 ――――――――――― 翔眞さまからのリクエスト「ダークな平次」ということでしたが あの、あの、ごめんなさーーーーーーーーーーい!!!!! ちっともリクになってませんデス・・・・・・(冷や汗) ダーク、ダーク、ダーク・・・・・・く、海月にはムリですー! どーしても甘いモノしか書けないその未熟さは、自分が一番感じています。 ハハハハハ・・・(虚しい空笑い) そんなわけで? このページのどこかにこのお話の続きがあります。 甘々な最後をご希望の方は、探してみるのもご一興? イヤ、このままでいいという方はお戻りくださいませ〜。 |