雨上がりの夜空に



{5・・・片時雨〜かたしぐれ}



「・・・なんやねん、アイツ・・・」

無音のBOXでは既に5分が過ぎようとしていた。

「何で帰ってけえへんねん・・・」

正直、最初は少しホッとしたのだ。きわどい所まで追い詰められていたあの瞬間には。
しかし、そうなってしまったらしまったで、残念なような
チャンスを逃したような気がしてくるのだから困ったものだ。

「あーーもう、何やっとん・・・」

痺れをきらして立ち上がると、ガチャッとドアのノブが回された。

「和葉遅い・・・・・げっ・・・!!」

雨よけをつけたぞうりのつま先がBOX内に進入する。

「ふうーん、わりと広うてきれいやないの、ここ」

完全に凍りついている平次の前を優雅な身振りで横切り、羽織っていた雨用のコートを取ると、
懐から茄子紺色のハンカチを取り出して、きちんと纏められた髪の生え際にあてた。

「はあ、梅雨はいややわあベタベタして・・・冷たいモンでも飲まな居られんわなあ、
冷コーたのんでや、平次」

徐々に体内で上がった温度がようやく平次を解凍した。

「な、なんでアンタがここにおんねんっ!!」
「へ?三國君らに会うたから・・・一緒やないん?言うて。」
「三歩譲って、まあ聞いたんは良しとしようやないか・・・せやけど何でここに来る必要があんねんっ!」

感情の赴くまま抗議の叫びをあげる息子に、母はちらりと鋭い視線を送った。

「ふーん、来たらアカンような事しとったん・・・・・・」
「な、何を言い出しよんねん!」
「しっ!」

ぞうりのつま先が軽く平次のむこうずねを蹴った。

「てっ・・あ、和葉」
「おばチャン、頼んできたよ冷コー。」
「お前、ドコ行っとってん!」

子供じみた八つ当たりが、屈託の無い表情で覗き込んだ幼馴染へと飛び火する。

「へ?電話に出とったんやん、その後メール返して・・・平次見とったやん、アタシが電話受けたん」
「あ、・・・いや、その・・・」

口ごもる言葉を高らかに掻き消す明るい声。

「さあて、なに歌おかなあー」
「アンタは帰れやっ!家の事せなアカンのちゃうんかい」
「ええやないの、アタシかてカラオケしたいんやもん」

少女のように拗ねるその姿も息子にとっては何の効果もない。
しかし、隣の幼馴染はウキウキとつりこまれている。

「えー、おばチャンなに歌うん?!」
「えーっとなあ・・」
「お前も一緒になって調子乗らすなや!」

これじゃすっかりツッコミ役だ。

「ほんなら・・・・」

静華はすいっと手にしていた扇子を息子に向ける。

「アンタが、帰ったらええやないの」
「なっ・・・・・」
「そのかわり、ご飯は無しやね」

平次はあまりの言葉に鞄を手にして立ち上がった。

「ああ、帰ったるわい!飯なんどこぞで食うて・・」
「ほな、帰りしなここの代金払ろてってや、下のお兄ちゃんに言うたあるさかい 」
「なんやねんそれ!」
「あーあ、可哀想になァ。ここの代金払ろてご飯食べたら、その財布スッカラカンやもんなあ・・・平次。」

少し開いた扇子を口元に添えて余裕の微笑みを浮かべる静華に、
上手というのはこういう関係を指すのかと、和葉は感心してしまった。
平次はとうとう諦めたように鞄を放り出すと、ドカッっとソファーに腰掛けた。

「そうそう、聞き分けのええコはお母ちゃん好きやわあ」

自分がどうしたいのか良く判らないまま、フラストレーションに翻弄されて
すっかり調子が狂ってしまい、平次はため息をついた。
曲目選びに余念の無い女二人。
しかも和葉と来たら、自分といる時よりはるかに楽しそうなのはどう言う訳だ。面白くない。
そりゃあ、昔馴染みのおばさんで、小さい頃から何くれと無く可愛がられてきたのだし、
女同士の気安さって言うのもあるだろう。
自分だって、この二人の性格に良く似たものを感じるときもある。
しかし・・・・面白くない!

「ほんなら・・・和葉ちゃんこれ入れて」
「え、おばチャン、こんなん歌いはるん?」
「おかしいかなぁ」
「そんな事無いて、こんな曲知ってはるなんて嬉しい、アタシも好きやもんこの曲!」

イントロが流れる。静華はマイクを取り上げた。

「ちょお待ったーー!」
「なんやの?」
「このBOXで歌うんやったら、決まり守ってもらわんとアカンで」
「決まりてなんやの」

いぶかしげな静華の表情に、和葉はまさかと平次を振り返る。

「全部、大阪弁で歌ってや、オカン」
「アホくさ、何でそんな事せなアカンの」

平次は大げさな身振りを交えて静華を見やった。

「―――あーさよか、できひんかー。オレらは横文字の訳までやっとったけどなあ」
「・・・え?・・」
「まぁ、しゃあないなー。いくら若作りしとったかて、もう40過ぎたら判断力も適応力も鈍るもんなァ・・・・」
「・・・・・・・・・」
「あァ、スマンスマン!年寄りに無茶言うたわ、オレ!」

失礼すぎる平次の言い草に、和葉は幼い頃から繰り返されて来た、
この親子のやり取りがまた始まったと確信した。

「・・・やったろやないの・・・!」
「ふ、できるもんやったらやって・・・・」
「♪〜まるっと予想は外れてもた、せやけどそんなん気にせんと、あァ〜自分らしぃにィ―♪」

張りのある声、正確に追いかけられるフレーズ。
そればかりか、着物であるにもかかわらず、振りまでつけて踊りながら歌っているのは、
その年寄り呼ばわりした相手。

「♪こんなもんなんや人生は、楽しんどかな損やん、ここにおるもん、ほらここにおるやろ、
アタシここに居ること、言うといたらんと忘れてしまいよるもん♪」

和葉は「うわあ〜」と歓声を上げて、手拍子まで始める。静華はうなづいて彼女 に軽くウインクを返した。

「♪〜せやけど、いつかはアタシらしい、ものごっつええ方法見つけたるわ〜♪ 」
完敗。
またしても返り討ちにあってしまった。もぅこうなったら、自分も好きにやるしかない。
しかし・・・

「次アタシー!これ!」
「ええなァ、あたしもその曲好きやわ〜・・・ハア・・・・ほんまに男って・・・」
「ええっ、おばチャンでもそんなん思うん?!」
「和葉ちゃん、女の味方は、やっぱり・・・女やよ」

ポンと、やさしいく和葉の両肩に手を置く静華。

「そーか・・・・そ、そうやよね!・・よしっ」

平次の背中に冷たいものが流れた。

「♪間違うてばっかりこんな夜、せやけど、傘はよう似合うてる、べそかいた顔隠して・・・♪」

澄んだ高い声、想いをぶつけるかのようなそのトーンに、
「そやったんかー・・・可哀想になァ」

静華がチラリと息子を見やる。もう、平次の顔は引きつったまま戻らない。

「♪〜この頃あのアホにやられっぱなしで腹立つねん、 もうええ、この際成長したるねん♪」
「そやそや!ええでぇ!」

最初から本当は分かっていたのだ、自分のウイークポイントであるこの二人に、
太刀打ちなどできない事くらい。あとはせいぜい遠くから大きな声で吠え付くしかない・・・。

「♪オレは一緒に居りにくい、誰の言う事も聞ィたれへん、
やかましい事言われても、オレの言う事変えられへんでー♪」

「なんやてーっ?」
「ようゆうてくれるなァ!!」

野次は自然に飛んでくる。

「♪せやて、オレは自由〜〜やし
しょうもないこの人生でいっちゃん大事にしとるんは、オレの自由〜〜・・・♪ 」

「こらァ誰に育ててもーたと思てんのーっ」
「そやそや、何様のつもりやー!」

只歌っているだけだった。それなのに、なんだか自分の肩に、世の中の男性全部への
不満が背負わされている気がして、平次はクラクラしてきた。
無理やり歌いきってソファーに倒れこむ。女二人はまだ楽しそうに笑いあっている。

(疲れる言う事知らんのか・・・・コイツら・・・)

と、ふと和葉が思い出したように笑いをやめた。

「そや、おばチャン、ご飯、おっちゃんの分はええの?」
「ああ、大丈夫大丈夫、たまには自分で作ったらええねん。」
「え?!」

アイスコーヒーに口をつけた静華に驚きの声を上げた和葉だったが、

「・・・いうのは嘘で・・・・うふ、心配せんでもええよ。
それに、今日は和葉ちゃんトコのお父さんも心配いらへんからね」

小さい頃から大好きだった極上の微笑に、目を輝かせた。
だが、ここに絶望的な表情を浮かべている少年が一人。
彼はひそかに願っていたのだ、いっそ父が早く帰ってきてくれればと。
しかし、最後の望みは断たれてしまった。
もう誰でもいい。同性であるというだけで救いを求めたい気すらした。

(あー・・・助けてくれ・・・親父ィ・・・・・)

ガチャッ

「静、ここやったんか」
「あら、早かったんやねェ、平蔵さん」

――――自分は知らないうちに超能力を身につけた・・・かも・・・。
そんな馬鹿げたことさえ頭をよぎった平次であった。




















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