17. 夢と現実と-その1-


夢と現実・・・なんて書きますと、

「ああ、理想と現実って違うのよね〜」っていう愚痴に聞こえますが、ちょっと違います。

私はわりとポジティブ思考。・・・でも1ページ目はネガティブだった頃のこともちょっと。


学生時代は、ご存知の通り県立高校〜美大でした。(中学時代は省く)

高校時代に舞台芸術に目覚め、大げさですが、

「私にはこれしかないわ!」ってな決意で美大を受験しました。

で、一応入れたわけですが、入ってみると想像となんて違う・・・!

私みたいに「これがやりたいから美大に来ました」って言う人はほっとんどいない。

みんな「なんとなく絵なら得意だから」とか、「勉強嫌いだし」という感じ。

もちろん3年4年になってきて就職・・・っていう時になるとそうも言っていられないのですが、

基本的にそんな感じの中で私だけ浮いてたのかな?(今だから思う・・・)

が、しかし、当時の私は「舞台をやるのよ、作る人になるんだわ!」っていう妙に目的意識の強い奴でした。

3年4年では専攻分けがあって、当然私は"シニックデザインコース"(舞台専門・
けっこう有名な舞台美術家の方が教授だった)を選びました。

加えて、3年の時に某劇団の「美術さん募集」に応募して、

あれよあれよという間に仕事もすることになりました。(結果的に無償だったけど)

劇団で舞台のセットを作る・・・これが最終的ではないにしろ、「夢」へのとっかかりだったので、

それはもう意気揚揚、一生懸命やりました。

数ヶ月間、劇団の方と舞台を作っていきました。(細かいことは省きます)

そして本番が終わり、「お疲れさま!」ということでそのまま徹夜で打ち上げ。

みんな楽しそう。

・・・・・?

私は・・・なんだか充実感がありませんでした。

「楽しかった〜」という仲間とは逆に、「こんなもんなの?」と。

しかも、体力的にものすごくきつかったんです、徹夜はざらだし。夜も遅い。

きついのに、無理して(ることにすら当時は気付かないで)、仕事してました。

ここで、「私には合ってないんだ」と気付けばよかったのですが、

まだ「夢」に浮かされていた私は、知り合った舞台監督さんに、

舞台美術家の方(すごく尊敬してた方)のところで働きたいと相談しました。

「もっと上に行けば、もっと何かあるだろう」と思っていたんです。

その"つて"がある。頼まない手はない。

その話は半ば決まりかけていた・・・はずでした。

そんなときに"パニック"発病です(当時はパニックだなんて思っていなかったのですが)

当然、ものすごく悩んだし悔しかったけれど、そのお話は断らざるを得ませんでした。



「私のクリニック」には書いていませんが、発病までの数ヶ月はこんなだったのです。

今思えば発病して当然と言えます。

許容範囲超えまくっていたんです。

「夢」に浮かされて、「現実的な体力の限界」に気付いていなかった。


ある教授が言っていました。

「好きなだけでは舞台の仕事は出来ない」

本当にそうなんだな〜〜〜。と、今なら思えます。

でも、当時は悔しいだけ。

悔しさが最近まで残っていたため、この事がクリニックのコーナーにかけなかったのです。

もちろん今でも舞台裏とかのテレビを見ると"ゾワッ"と来るのです。

好きなんですよ、結局。

今でもなにかきっかけがあって、できることなら舞台に関わりたいと思ったりします。



次は現実の方が優先、楽しい、というようなことを書く予定です。


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