Part.1
なんかえらそうな題名ですが、そんな大した事じゃあありません。
わたしもあと2年弱で30才。まだそんな実感ないんですけどね。
30ってどんな年齢なんだろう?
って考えると、「今の考え」と、ちょっと前、「20代前半の考え方」は違うんですよね。
20代前半の頃は、とにかく"誕生日がきて年をとる事がいや"だった、これ、本心。
もっと前、16,7くらいのときは楽しくてしょうがないのですが、10代後半は、誕生日がいやでした。
"いや"、といいますか、「あせっていた」という感じかなあ。
それが24、5才くらいから、誕生日が来るのがある意味「楽しみ」。
何で変わったんでしょう?
20歳前後のことを思い出してみると、まだ大学生で、将来の夢が溢れるくらいにあって。
その夢はちょっと無謀であったり、でかすぎたりはしましたが。
その頃はそういう風に、「夢一杯」で楽しいはずなのに、"年をとる事はいや"だった。
"若いうちになんとかしなきゃ"(やりたいことを、ということ)、とあせっていた・・・。
で、実際、21才になる頃に、その頃の「将来の夢」に直接つながる仕事をしていて、
"自分はこの世界で生きていくんだな〜"とかって、へらへら考えたりしてました。
果ては、"このまま仕事をしていったら海外にも行くだろうし、忙しいなあ"とか。
また逆に、
"こんなに勉強(机上のではないです)してきたんだから、これを生かした仕事をしないとだめだ"
というような、固定観念、強迫観念がありましたね。
で、その仕事が終わって、では大学を卒業したらどうしますか?というときに、また将来につながりができて。
まさに(ウハウハ)でした。
しかし。しかしです。
そんなときに病気になりました。
外出もままならないくらいひどい時期もあり、その、せっかくつながりかけていた仕事も、
自分から断らざるを、得ませんでした。
―ショックでしたねえ―
「ショックだった」言葉にしてしまえば、そんな簡単なこと。
たった一行で済んでしまうことだけれど、当時はもう、なんて言ったらいいか。
この世は終わった・・・っていうくらいひどい状態。
やりたいことが目の前にあるのに、体の都合でできない。
そのことが、こんなに辛いなんて。
でもまあ、そのあと社会復帰といいますか、就職してお仕事をしていたわけですね。
その仕事は大学で勉強していたことや、学生のころにやりたかったこととは、全然違うもの。
そんな時は、年をとる事がすごくいやで。
マイナス思考だったからかもしれない。
それで、"これじゃいけない"と、突然発奮して個展を開いたりしてて。
"じゃあ、こうやって仕事をしながらお金をためて、個展して誰かに評価してもらえるのを待つか・・・"なんて考えたり。
なのに、今度はなーんでもないときに、また、会社に通えない体調になって、退職。
あらまあ。ですよね、挫折だらけの時期でした。
しかし、そのあとの切り替えは早かったです。
仕事を辞めてからしばらくは、ぼーーーっとしていたわけですが、
その間に、病気や将来なんかに対しての考え方は「がらっと」変わっていきました。
なんというかそれまでは、
「私って不幸だわ私って不幸だわ・・・」「あの仕事をやるはずだったのに・・・」
って言う感じでマイナス思考だったのですが、
"これ(病気になったこと)も運命だし、上手に付き合って生きていこう"という風に。
ただ、自分でそう思っても、誰にもわかってもらえなければだめなわけで。
それで、この”M's town”を立ち上げて、病気のこともオープンにしました。それまでの友達にも詳しく説明したりして。
そうしたら、さらに「気持ちが楽」になってきたんです。それで、
(なんだ、もっと早くこうしてたらよかったな)とか思いました。
たくさんの人とも知り合えたし、分かり合えたし・・・。
病気や、それによってできなかったことについてもポジティブに考えるようになって、
前向きになった気がします。
そんな20代半ば。
不思議とその頃から「年をとる事がいやじゃなく」なってきました。
また、そうこうしているうちに、人生の岐路なのかもしれない結婚が決まり・・・。
仕事をしている頃は、なんだか変なあせりがあって、正直、(早く結婚したいなあ)とか、考えていたんです。
これはこのくらいの年齢の女性なら、だいたい考えることですよね。
でも今思うと、「社会的な常識」ってやつに支配されていたのかもしれません。
結婚が決まると、もちろん「PD花嫁。」に書いているように、「怒涛の日々」でしたので、病気を心配している暇もなく。
今にいたる、というわけです。
結婚して2年弱経った今、30才まで2年弱の今、考えているのは、
20才前後の頃は、"なんであんなに考え方が固かったんだろう?"ということ。
別に勉強してきたことをそのまま仕事にしないといけないわけではない、
絵だって、描きたいときに描きたいものを描けばいいのであって、描きたくないのに描くこともない、
そんな絵を見たって、人が評価してくれる訳ない、とかね。
それに、「普通」に生きる事が何でいやだったんだろう?そもそも普通って何だ?
「普通」に生きるっていうと、ちょっと語弊がありますが、言い方を変えると、
「無理に変な生き方をしない」という感じかなあ。
「そのときの自分合った、楽な(さぼるっていうことじゃなくて)生き方をすればいい」そう思います。
で、今のわたしは、自分に合った生き方が少しは選べるようになったかな?というところです。
けっこういいもんです。
(運命とでもいうようなものに)身を任せるっていうのは。
誰かの言葉を借りると「わるくない」ですね。
「わるくない」毎日を送ったら、それでいい、そう思います。
ああ、なんて柔軟に丸くなったんだろうか、わたし。。。あはは。
よく、友達や親や、いろんな人と話していて、
"でもあの頃と中身は全然変わってないんだよねえ"って言います。
最近発見しました。
「中身は変わっていない。」これは正しいのですが、
元の「中身」ができてからのいろーんな体験・経験なんかが重なってきて、
表面から見ると、昔とは全然違うものになっているんだろうな、と。
"年を重ねる"って言いますよね。
「年輪」とも言います。
外側から見る人には一部分しか見えていないでしょうが、
私が腹を割る人たちには、わたしのその「年輪」というものが見えていて、
それで"変わらないよねえ"って笑いあったりするんでしょうね。
年を重ねるってステキ。
こんな風に思えるのは、ステキに年を重ねた人にたくさん会って来たからかもしれないなあ。
つづく
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