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名演2009年1月例会 劇団スイセイ・ミュージカル公演 

 だれもが歌ったことがある『ドレミの歌』一度は映画や舞台で観たことがある『サウンドオブミュージック』

 脚本は、第2次大戦前夜、ナチスに侵略されつつあったオーストリアで、侵略に抗い、家族の絆を深めてたくましく生きた『トラップ・ファミリー合唱団物語』(自叙伝)がもとになっている。

 1938年、古都ザルツブルクで、退役軍人トラップ大佐は、亡妻の残した7人の子供たちと暮らしていた。大佐は子供たちに歌を禁じ、厳しい規律を強いていた。そこへ修道女の見習いだったマリアが、家庭教師として派遣される……。
 
 映画公開より6年前の1959年、ブロードウェイで初上演された。
 翌年、現地でこのミュージカルに出会い、その夜、感動のあまり明け方までかかって『ドレミの歌』の日本語歌詞を書きあげたのが、ペギー葉山。
 2007年から修道院長の役として舞台に参加している。日本でも上演の歴史は長いが、ドレミの作詞から48年を経て、今回はじめてこのミュージカルに加わったわけである。その意気込みと深い思いは並たいていではない。愛と包容力にあふれる修道院長が、マリアを励ますために圧倒的な歌唱力で歌う『すべての山に登れ』
 稽古場でも、ペギー葉山がこれを歌うたびに、まわりの人が涙ぐむという。
 映画では、同じ役をペギー・ウッドが演じている。(奇しくも同じ名前。Woodは木だから、苗字まで近い)

 今回の上演にあたっては、マックス役の吉田要士が翻訳した。言語の特質上、日本語になおすと上演が5〜6時間にもおよぶ量になる。それを、的確な言葉で表現し、台本をおこしたのが演出家の西田直木。
 たとえば「鬼がでるか、蛇がでるか」「真心で考えて」
 英語の台本からはとても想像できない、しかし、言われてみるとそれしかない、はまり言葉で、これを周りの人は西田マジックと呼んだそうである。

 さて、ドレミの歌。マリアと子供たちが、はじめて心をかよわせる場面。劇中では、こんなふうに始まる。

マリア 言葉のはじめは
子供  A・B・C
マリア 歌のはじめはド・レ・ミ
子供  ド・レ・ミ
マリア ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ 

 宝物のように一音ずつ大切に発語される、A、B、C。くっきりと世界より音が立ちあがる、ド・レ・ミ。
 これは感動的な場面だ。「光あれ、と神が言った。すると光があった」という、聖書の冒頭、世界のはじまりを想起させる。
 マリアは言う。「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドは道具なの。一度この音を覚えてしまえば、どんな歌だって歌えるの。全部の音をミックスするの。聞いてみて」子供たちは7人。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの7つの音だ。(実在のトラップ家にも子供が7人いた。その後マリアが3人産んで、12人家族となった)

 ドレミの歌で子供たちは言葉=歌を取り戻す。生き生きとした感情や思いを表現する道具を取り戻し、マリアと心をかよわせる。
 映画では壮大な山を背景に、高原、街の中、自転車に乗って、馬車に乗って、庭で薔薇のトンネルで、と、場面が変わっていくところである。
 舞台では、スイセイオリジナルのダンスナンバーで、歌って踊っての圧倒的なシーンとなる。

 つかめない月の光、砂にとどまらない波、といわれた天真爛漫なマリアと、世界を構成する一音、一音、かけがえのない子供たちとの大合唱。いきおいあまってマリアはポンポンと子供たちの頭を叩いていく。木琴に見立てて、音をだしていくのだ。
 「強く叩いちゃったりしないように、気をつけて、そっとやってますけどね」と、マリア役の中村香織。
 みんなの心がかよいあい、一体となって世界にひろがっていく音と思いを感じてほしい。

 大切なのは人を愛することだ。人と心をかよわせることだ。そうすれば、いかに人がかけがえのない命であるかがわかる。そのかけがえのない命を、蹂躙することなど断じて許されるべきではない、とわかる。

 平和を基本理念とする劇団スイセイミュージカルに、これほどふさわしい物語はない。ここには、愛、勇気、平和、希望、夢がいっぱいに詰まっている。


 実在のトラップ家

1926年:マリア21歳。トラップ家の家庭教師となる。
1927年:マリア、トラップ大佐47歳と結婚。
1933年:1929年のアメリカに端を発した金融恐慌で、オーストリアでも銀行が倒産。トラップ家は預けていた財産を失う。
1935年:ヴァスナー神父、トラップ家の子供たちに歌を指導。
1936年:ザルツブルク音楽祭。神父の指揮のもと、マリアと子供たちの合唱団が優勝。人気を博し、ヨーロッパ各地でコンサートを行う。
1938年:オーストリアがナチス政権下のドイツに併合される。一家はナチスへの協力を拒否。神父とともに汽車と船を乗り継いでアメリカへ渡る。ヴァーモント州ストウに移り、56年まで各地でコンサートを行う。(1月例会運営サークル K・N)


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最終更新日 2009/01/16