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名演2007年1月例会 こまつ座公演 

作/井上ひさし 演出/鵜山 仁

 昭和二十年、原爆投下直前の広島を舞台に、芝居に命を賭けた俳優と、芝居の魅力に魅入られた庶民の物語。
 演劇を愛し、平和を願うすべての人々に、こまつ座が、総力を挙げてお届けする必見の舞台!

解説2をご覧下さい (070105追加) NEW!
1月17日(水)6時30分
  18日(木)1時30分
        6時30分
 
名古屋市民会館中ホール
          地図
あらすじ
解説1

キャスト・スタッフ

配役
関連サイトリンク
会費 月額一般 2600円 22歳以下 2000円  
   高校生以下 1300円
入会金  一般  2900円 22歳以下 2300円    
高校生以下 1600円
新入会の方は、会費と入会金が必要です。それ以外の入場料は必要ありません。  くわしい名演の入会方法はこちら
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あらすじ

 昭和20年の初冬、東京巣鴨プリズンに「自分はA級戦犯だ」と自首する初老の男がいた。長谷川清、元台湾総督にして海軍大将、天皇の密使という歴史秘話をもつ男だった。応対したのが針生武夫、元陸軍中佐にして、堪能な英語力と戦前の経歴を買われ今やGHQで働いている男。二人は終戦前の広島で特別な経験を共有していた。長谷川が気づく「・・・もしや君は」。と、闇の中から「すみれの花咲く頃」の歌声とともに、7カ月前、昭和20年5月の広島「紙屋町さくらホテル」が出現する。
 いましもホテルでは、明後日に迫った特別公演『無法松の一生』の上演のため、「新劇の団十郎」と異名をとる名優丸山定夫と宝塚少女歌劇出身の大スター園井恵子が、にわか仕立ての劇団員を相手に必死の特訓の真っ最中だった。
 その劇団員とは、ホテルのオーナー神宮淳子と共同経営者の熊田正子、劇団員に応募してきた浦沢玲子、そして宿泊客の文学博士大島輝彦。さらに神宮淳子をつけ狙う特高の戸倉八郎。
 神宮淳子はアメリカ生まれの日系二世で、スパイの疑いをもたれているのだった。長谷川と針生、戸倉までもその公演に参加せざるを得なくなる。
 終戦を間近にした非常時下の広島「紙屋町さくらホテル」。そこは「途方もない空間。懐かしくもいとおしい夢のような空間」だった…。


解説1

 「紙屋町さくらホテル」は丸山定夫・園井恵子らを中心とする移動演劇隊・桜隊が広島で被爆した事実と、天皇の密使長谷川清の歴史秘話を下敷きに描かれています。1997年10月22日、新国立劇場のこけら落としとして初演。2001年再演。2003年12月、こまつ座が演出・キャストを一新して上演、2006年に再演。今回の例会は新たな顔ぶれでの三演目となります。

 作者の井上ひさしは、この“桜隊”の物語を、あの厳しい時代でも、芝居への情熱を捨てず、新劇の礎を作った演劇人の賛歌としています。
 同時に彼らを死に追いやった戦争という愚挙とその責任を問う、新国立劇場幕開けにふさわしい作品です。

丸山定夫と園井恵子

 丸山定夫は1901年、5人兄弟の4男として愛媛県松山に生まれました。7歳で新聞社の主筆だった父を亡くし、銀行の給仕係をして高等小学校に通います。その後京都で新聞配達、福岡で家具屋の下足番なども経験、旅の一座から、1922年には、広島で誕生した「青い鳥歌劇団」に入団します。1923年に上京、東京公演中に榎木健一(エノケン)と出会い浅草オペラの世界へ。エノケンは「お前は新劇に行った方がいい」とすすめます。
 浅草オペラの楽屋に落ちていた創立趣意書を偶然見たことから。築地小劇場に参加、新劇俳優としての道を歩み出します。第1期研究生となります。1924年6月13日、築地小劇場誕生の時、その開場の銅鑼を叩いたのが丸山定夫でした。
 第2回公演『狼』で新劇俳優としてデビュー。以後草創期の新劇の多くの舞台を踏み、「新劇の団十郎」と呼ばれるようになりました。
 1929年、新築地劇団に参加。しかし、同劇団への弾圧は厳しく、芝居ができない状態が続きます。福田良一の名で、浅草の「エノケン一座」の舞台に立ち、1933年には、映画会社PCL(現東宝映画)に所属し、数多くの映画にも出演。そこで徳川夢声と知り合います。
 1944年には、文学座「富島松五郎伝」に客演し、杉村春子の吉岡夫人を相手に松五郎を主演。同年、徳川夢声、薄田研二らと共に、新劇ファンにも一般大衆にも受け入れられる新しい芝居の劇団を目指して、苦楽座を結成。1944年、「無法松の一生」を園井恵子と共に各地で巡演します。
 1945年正月に移動演劇連盟に加盟し、移動演劇隊桜隊結成。8月6日広島で被爆。16日に死去しました。
 
 園井恵子は1913年、岩手県生まれ。29年に宝塚歌劇に入団、葦原邦子と同期で男役トップスターとして活躍します。男役としての活躍だけでなく、三枚目役、老け役でも達者な演技をみせ、多くのファンがいました。
 41年に退団、42年、結成と同時に苦楽座に参加。彼女の名を高めたのが、43年、坂東妻三郎主演で大ヒットした大映映画『無法松の一生』(稲垣浩監督)の吉岡大尉夫人役でした。大映は専属契約を結ぼうとしましたが、園井は「苦楽座で舞台修行」の道を選んだといいます。
 自身の誕生日でもある、8月6日被爆。21日に死去しました。
 
 天皇の密使・長谷川清

 長谷川清は実在の人物です。1883年、福井県生まれ。少年の頃から英才の誉れが高く、当時唯一の県立中学を経て、海軍兵学校へ。卒業後、海軍の士官としての道を歩み、1923年から26年までワシントンの駐米大使館に武官として赴任。39年に海軍大将になり、40年から44年まで台湾総督を務めます。1945年2月、海軍戦力査問使に任ぜられ、天皇の特使として各地の海軍施設を査察。6月12日、天皇に海軍弱体の現状について率直な報告をしました。戦犯容疑で巣鴨に拘置されますが、47年に出所、1970年に死去しました。

移動演劇桜隊

 昭和16年(1941年)大政翼賛会のもと、国民の士気を高め、戦力、生産力増強のために、健全なる娯楽を提供するという名の下に、劇団を国家の統制下におくため、「日本移動演劇連盟」がつくられました。

 昭和17年(1942年)、丸山定夫、徳川夢声などが苦楽座を設立。園井恵子も加わり、昭和20年(1945年)に丸山の率いる移動演劇連盟桜隊として各地を巡演しました。

 昭和20年8月6日、爆心地から750mの堀川町の宿舎で被爆。居合わせたメンバー9名のうち5名が倒壊した宿舎の下敷きになり即日死亡。丸山、園井ら4名は爆風で庭に飛ばされ、原爆症に苦しみながら10数日後に相次いで亡くなりました。

 広島市内にある「さくら隊殉難碑」では、毎年8月6日にさくら隊を偲ぶ会が開催されています。(碑は広島市民劇場が管理しています。)

広島市民劇場ウェブサイト http://www5e.biglobe.ne.jp/%7EHirosima/
内に「さくら隊殉難碑」の解説があります。


<キャスト> 

長谷川 清
神宮 敦子
丸山 定夫
園井 恵子
大島 輝彦
針生 武夫
戸倉 八郎
熊田 正子 

浦沢 玲子

<スタッフ> 

演 出

音 楽

宇野誠一郎

美 術

照 明

服部  基

音 響

斉藤美佐男

振 付

衣 裳

前田 文子

歌唱指導

宮本 貞子

方言指導

大原 穣子

宣伝美術

演出助手

宮越 洋子

舞台監督

加藤  高

制 作

井上  都

高林 真一

谷口 泰寛


関連サイト

こまつ座ウェブサイト http://www.komatsuza.co.jp/

辻萬長さん公式サイト http://www.aktt.com/banchoo/

前田涼子さんブログ(piano 前田涼子)
 http://angedemusique-ryohko.seesaa.net/

横須賀演劇鑑賞会、2003年例会上演時の記録

桜隊原爆忌の会 http://www.photo-make.co.jp/sakura.html


 

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最終更新日 2007/01/05