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名演5月例会 テアトル・エコー公演

抜きの殺意』

5月17日(木)6時30分
  18日(金)1時30分・6時30分

愛知県勤労会館                  名演の入会方法はこちら

ら抜きの殺意 チラシ

 言葉について改めて考えさせられたり新しい発見があるのがこの『ら抜きの殺意』。タイトルに「殺意」とあるからといって、人が殺されたりするような血なまぐさい物語ではない。だいたい「ら抜き言葉」ぐらいで殺されたりしてはたまらない。もっとも「子供の泣く声がうるさい」といって殺人事件が起きる世の中である。「言葉遣いが気に入らない」という理由で殺意が生まれても不思議ではないが、ともかく、日頃何気なく使っている言葉に無関心ではいられなくなる芝居である。それに何より、とにかく面白い。日常会話には違いないのだが、言葉の「ヘン」な人たちが大爆笑を巻き起こす。
 他人の言葉遣いが気になる人たちにとって、特に「ら抜き言葉」はとてつもなく不愉快であるらしい。『ら抜きの殺意』に登場する熟年紳士、海老名氏もその一人。彼がアルバイトで働くことになった通販会社は「ら抜き言葉」を連発する若者をはじめ、尊敬語と謙譲語の区別のつかない女性社員、「チョベリバ」といったコギャル言語を使って若者受けを狙う社長とか、ほとんどそこは乱れた現代話し言葉の展示場。「正しい日本語」を愛する海老名氏にとっては地獄のような日々が続く。
 「このままでは日本語が滅びてしまう」とばかり、言葉の矯正に立ち上がる。だが、そういう海老名の態度は若者にとって「超うざったい」「ムカツク」だけ。かくして、言葉をめぐり新旧世代間の抱腹絶倒のバトル・ロイヤルがくりひろげられる。

ら抜き写真

 「ら抜き」とは、例えば「遠くを見られる」というのを「遠くを見れる」、あるいは「ご飯が食べられる」というのを「ご飯が食べれる」と表すこと。つまり、本来「ら」が入るべきところを省略しているから「ら抜き」言葉ということになる。個人的にはこの作品を知るまでは「ら抜き」が問題になっているなどとは考えもしなかった。言葉に対して無関心ということかもしれないが、せめて寛容であるということにしておく。だが世間には『ら抜きの殺意』に寄せられた感想や資料をみるかぎりでも、海老名氏のように「ら抜き言葉」に不快感もしくは敵意を抱く人はずいぶん多い。
 一方で「ら抜き言葉は、より言いやすい形に絶えず変化していく、あるいはそういう模索を絶えず行っているという特徴を持つ日本語の歴史的必然から生じたものの一部」だという指摘もある。「抜いても問題なさそうな言葉(文字)は抜いて省略してしまい、できるだけ短く表現しよう」という合理化精神の表われなのかもしれない。今では普通に使われている「牛耳る」という言い方も、正しくは「牛耳を執る」というのを誰かが簡略化して言ったことが広まって一般化したといわれる。「事故る」という言い方も一般化してきたし、「深刻な気持ちになること」を「シンコクル」と表すほうが普通になる時代も来るかもしれない。もっとも、いくら省略が進むとはいっても正月の街角で「アケオメ」「コトヨロ」などという挨拶が普通に交わされるとは思えないが。ともかく言葉は変化するものであることは間違いない。ただそれをファッションのようにすぐに受け入れるかどうかは個人の生き様や人間観に直接関わることであり、それこそ「言葉は人なり」である。自分自身が納得のいく「とびっきりの言葉」が見つかればいいなと思う。 (あつお)

作・演出/永井 愛

美術/島 次郎
照明/中川隆一
衣裳/竹原典子
音響/深川定次 
方言指導/萩生田千津子
舞台監督/小山博道 
制作/明石 誠       

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最終更新日 2001/04/26