2002年4月1日
増刊号
長男が小学校を卒業した記念に旅行に行きました。それぞれが忙しくてなかなか休暇がとれない我が家で家族旅行をするのは久しぶり(前回はメイちゃんとであった2年前)。今回は沖縄を旅先に選びました。前線の南下で沖縄地方はすっぽり厚い雲に覆われていて青空を見ないまま旅を終えましたが、子どもにとってはとても貴重な体験となったのではないかと思っています。
米軍の基地に挟まれた国道を通り抜けて西海岸に向いました。金網には「米国海兵隊施設」と書かれた看板がいたるところにあります。→ 車だと通り過ぎて気づかないようなところに壕跡がありました。→
悲風の丘 
「南風原陸軍病院壕」↓
←あさがお?ひるがお?沖縄のどこにいっても紫色の花が咲いていました。
日航アリビラのビーチ→         壕 24号→
←首里城 ←3日間食べ続けた 
  「沖縄そば」
薄味、これが健康の秘訣なのかも。
沖縄民謡→ 琉球の獅子、シーサー。ユニークな表情の獅子も。→
←平和の礎(いしじ)。沖縄戦で犠牲になった人の名前が刻んであります。 ←この壕の上にひめゆりの塔があります。学徒動員でたくさんの女学生が戦死。
編集後記

伊丹空港からわずか1時間半。沖縄本島に行ったのは初めて(夫は2回目)。子ど
もに見せたいところがたくさんあったけれども2泊3日ではちと無理ね。
米軍が攻め入り軍人だけでなく多くの沖縄住民の命が奪われた沖縄戦。戦跡の多い南部を中心に旅した。丘から見下ろす普天間飛行場や嘉手納基地。米軍の基地に囲まれた国道を通り一日目は読谷に向った。
国道沿いは日本のどこにでもあるお店が並ぶ。屋根のシーサーが家を守り、国際どおりの郵便ポストの上にもシーサーがいた。
グラスボートから海中を覗いてみた。さんご礁と熱帯魚にキャーキャーと感激!
海中道路の海岸は風がきつく寒かった。島と海がとってもきれいだったけれども子どもにとっては風景ばかりは退屈だったよう。
ガラス工場も見学。ガラス製品のできる不思議を感じた。
ひめゆり記念館の中では女学生時代に病院壕で兵士の側について軍のために働いた女性が当時の様子を語っていた。多くの亡くなった女学生の写真に囲まれた館内は重たい空気が流れていた。
長男は館内の説明文をじっくりと読んで周っていた。海がきれいなだけではない沖縄。悲しい歴史を背負った沖縄。彼もそれを感じただろうか。
いつかまたゆっくりと訪れてみたい。

                                                             
たんぽぽ
沖縄旅行記 2002年3月23日〜25日
創刊号へ