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私は去年(1999年)の9月まで、プーロフラメンコ
(純粋な)を目指して踊っていた。コンチャ・バルガス
やフォアナ・アマジャのような、ヒターノ(ジプシー)
の力強いフラメンコにとても憧れていたし、今まで習っ
てきた先生も、友達も、そういうフラメンコを目指して
がんばっていた。だからプーロを目指すこと自体に疑問
すら感じなかった。そんな私のフラメンコ人生を変えた
のは、ラ・トレアのクルシージョ(短期集中講座)だっ
た。
ラ・トレアは、昨年99年に大阪 El Flamencoで弟の
ラ・トレオと一緒に踊っていたバイラオーラ(踊り手
)だ。このグループはファミリア(家族)の絆がとても
強く、アイレのこもったすばらしいプーロフラメンコを
みせてくれた。私は彼女の力強い踊りに魅かれ、7月か
らクルシージョを受講した。クルシージョといっても、
毎週1時間のレッスンを3ヶ月ちょっとかけて受講するわ
けで、レッスン時間は短いものの、付き合う期間はそん
なに短くはない。私はスペイン語が少ししゃべれたので、
アパートからスタジオまでの送り迎えもしていたし、
ファミリアのフィエスタ(パーティー)に招待されたり、
レッスン以外でも親しくお付き合いさせてもらった。ジ
プシーのファミリアとこれだけ長い期間じっくりとしゃ
べれたのはとても楽しかったし、勉強にもなった。そし
て同時にジプシーの持つ「血」と日本人である自分の
「血」の違いを肌で感じた。
トレアはムイ フラメンカだが、舞踊家ではない。彼女は
ジプシーの「血」で踊るから、舞踊家の様に身体をたく
みに使って踊る必要はないのだ。彼女は立っているだけ
で見ている者の心をとらえ、はなさない。
私はこの頃からフラメンコに対する考えを真剣に悩むよ
うになった。自分はジプシーでもなければスペイン人で
もなく、スペインで生まれ育った環境もない。日本人で
ある私がはたしてプーロフラメンコを目指して踊ってい
いんだろうか?ヒターノ(ジプシー)になりきろうとし
ていいんだろうか? 時々、ヒターノになりきろうとして
踊っている日本人を見て、すごく疲れることがある。た
だの自己満足で終わってしまっているように感じる。自
分はそうはなりたくない。人が私の踊りを見て、楽しく
なったり、元気づけられたり、何かいいものを得られる
ようなそんな踊り手になりたいと思う。
ここで私はひとつの結論に達した。私は日本人である
「自分の踊り」を目指そう、と。なんでこんな簡単なこ
とに今まで気付かなかったんだろう?世界中に一人しか
いない自分を表現できるのは自分しかいない。ヒターノ
ではない私が「自分の心」をフラメンコでどう表現でき
るか?それには、テクニックが必要だと自分は思う。
もしかしたら数年後にはこの考えは変わるかもしれない。
しかし今の私には、表現力を高める為の身体の使い方、
パーカッションのようにリズムを刻むサパテアードなど
を身につける必要がある。魅せる為のテクニックがない
と、魂は宿らないと、フラメンコを習い始めて6年目に
やっと気付いた。
こうして私はフラメンコ人生の大きな転機を迎えたのだ。
2000.09.07.
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