入梅前の土曜日、今日は天気もよいしアウトドア・スポーツには最適である。今日は甲府〜韮崎を歩く予定である。距離的にはやや短いので、前回と同じようにはじめからちょっと寄り道を考えた。

はじめからちょっと寄り道

★武田神社入口付近 / 武田神社本殿 / 武田神社鳥居前から甲府市街方面を望む











特急あずさで9:30頃甲府駅に着いた。甲州街道は駅の南側を通っているが、まずは始めからちょっと寄り道して、駅の北側にある武田神社に立ち寄ることにする。甲府駅北口前から武田神社までまっすぐな道路が一直線にのびている。片道約2Km、往復4Kmほどの寄り道である。
今の甲府市街の発展は、武田信玄の父、信虎が永正16年(1519年)に石和から移って、ここ「躑躅(つつじ)ヶ崎」に居館を構えたのに始まる。現在の武田神社は、武田信玄を祭神として大正8年(1919年)に、その居館の跡に建てられたものである。例祭は、毎年4月12日に行われ、甲冑に身を固めた武田24将が神輿を供奉して市内を練り歩くそうである。

★甲府駅南側にのびるメイン通り / 国道52号線

甲府駅に戻り、今度は南側に向けて歩き始める。駅前から太い立派な道が伸びており、県庁をはじめ市役所、警察署など官庁が建ち並ぶ甲府市のメイン通りである。この通りの一本東京よりの道沿いに舞鶴公園がある。この場所には、かつて甲府城があった。この城は、江戸城防衛の要害地として重視され、徳川義直、忠長、柳沢吉保などが城主となったが、のちには幕府の直轄地となり、この状態が明治まで続いた。
私は当然、この公園に立ち寄るつもりだったのだが、通り過ぎてしまった。地図をよく見ないまま、このメイン通り沿いにあるものと思い込んでいたので、見つからなかったのである。気が付いた時点で戻ればよかったのだが、そのまま先を続けた。東から進んできた甲州街道旧道は、甲府警察署のところで駅前からのメイン通りと合流し、その少し先の相生交差点で右に曲がる。ここからは、広い国道52号線が旧甲州街道である。


★荒川橋付近から眺める富士山 / 甲州街道(国道52号線)風景 / 沿道のサイカチの樹(甲府市天然記念物)











広く、交通量の多い国道52号線を少し行くと荒川橋を渡る。ここからは、富士山がよく見えた。今日は富士山を眺めるには最適の天気である。この橋の先で道は二手に分かれ、国道の幅も通常の街道並みの幅となり、交通量もそれなりの量になる。街道沿いに大きなサイカチの樹があり、説明版があった。この場所は、昔は貢川の岸辺で湿った土地だったのでこのような樹が育ったのだという。樹齢300年ほどと推定され、甲府市の天然記念物に指定されている。(上石田のサイカチ)

★芸術の森公園・山梨県立美術館 / 同 文学館 / 芝生の丘越しに望む富士山











やがて、街道の左手に「芸術の森公園」の案内板が見えてきた。ここには、広い敷地内に山梨県立美術館、文学館があり、芸術の森公園となっている。山梨県立美術館といえば、ミレーの絵画の購入で話題になったのを覚えている。そうか、あの美術館はここにあったんだ。美術館の外観もいろいろなメディアに紹介されたせいか、初めてなのに見覚えがある。この日は、ミレーの絵画などの常設展のほかにエジプトのファラオに関する特別展をやっていた。ここにこのような美術館があるという予備知識がなく、ここで美術鑑賞をするという発想が湧かなかったが、今思うとせっかくそこまで行ったのだから、せめてミレーの絵画くらいは見てくればよかったと後悔している。広い公園内はよく整備されており、芝生の丘の向こうに富士山が程よく見えた。

★前方に南アルプス前衛の山々が見えてくる / 竜王新町信号(旧道はここで右に曲がる)

芸術の森公園を後に先へ進む。やがて中央高速が見えてくるが、遠くには南アルプスの前衛の山々がくっきりと見える。
中央高速の下をくぐり、さらに1Kmくらい進むと竜王駅前交差点につく。この交差点をさらにまっすぐ進むと、少し先に竜王新町の信号がある。甲州街道旧道はここを右に曲がる。この辺は道が少々込み入っているので、曲がる場所は十分注意しよう。
ここを曲がらずにまっすぐ行くと、国道20号線と立体交差したのち、釜無川にぶつかる。この信号から片道約1.5Km、往復3Kmほどの寄り道になるが、行程に余裕があればぜひお勧めしたい寄り道である。

ちょっと寄り道

★釜無川と富士山 / 信玄堤 / 聖牛











竜王新町の信号からまっすぐに20分ほど歩けば、釜無川に架かる信玄橋が見えてくる。長い立派な橋である。橋からは釜無川の雄大な流れと富士山の優美な姿を望むことができた。この辺一帯の川辺を信玄堤という。
南アルプスの北端、鋸岳付近に源を発する本谷と中ノ川が編笠山東方で合流して釜無川となり、甲府盆地の田富町で笛吹川と合流して富士川となる。富士川は、日本でも有名な急流であり、大雨の際にはたびたび荒れ狂った。この川の洪水を防ぐことは昔から大変なことだった。ここ信玄堤には、笛吹川でも見た「聖牛」がたくさん並んでいる。この「聖牛」は洪水の流れを弱めるために考えられた日本で有名な古い河川工法の一つで、戦国時代のこの甲州が発祥の地と言われている。「聖牛」は、大きさで「大聖牛」「中聖牛」「聖牛」に分かれ、ここにあるものは「中聖牛」だという。
ちょうど12時と時刻もよろしいようで、土手のベンチに腰掛けて昼食にした。広々とした川辺の風景、さわやかな風、最高の気分だ。そういえば、橋の周辺にホタルがでるので、その季節には橋の照明を落とすという大きな掲示板があった。川沿いの公園としてもよく整備されている。


★丸石の道祖神 / 新興住宅地手前の旧道の様子 / 新興住宅団地を過ぎた後の旧道の様子











川辺の風景を堪能し、昼食も済ませ、もと来た道を引き返す。もどり道は来るときよりも近く感じるものだ。程なく竜王新町の信号に到達した。ここで、うっかりして信号を通り過ぎてしまい、竜王駅前信号までいって気が付くというハプニングもあった。とにかくこの辺は道が縦横に分かれているので、細心の注意が必要だ。竜王新町の信号を右に曲がり、旧道に入る。いかにも旧道という感じのやや狭い道を少し行くと、道の右側に大きな丸石が台座の上にのっているのが見えた。脇に説明版があり、「道祖神、丸石神体径四五cm」とある。そういえば、奇妙な形をした石造物や、丸い石などが道端に立っているのを見かけることがあったが、あれもやはり道祖神だったんだ。
この先、旧道は中央線の踏切を渡りだんだんと登り道になる。坂を登りきって少し行くと、途中から新興住宅地(赤坂台団地)の中の拡幅されたまったく新しい道になってしまう。「あんずの旅日記」のあんずさんも書いていたのでそれなりに覚悟はしていたのだが、歩いていてやはり心配になった。歩きながら、途中で分かれる道はなかったかなと思い返しながら、地図とも見比べつつ進んだ。やがて、中央高速の双葉SA関連施設と思われるような建物が見え始め、ようやく左に分かれてゆく旧道らしき道が見えた。これが旧道だという標識類はまったくないが、確信をもって(やや半信半疑で)この道を進んだ。結果的には、これで間違いはなかった。

★旧家の土蔵が建ち並ぶ旧道の様子 / 道端の道祖神 / 旧道沿いの旧家











旧道をしばらく進むと道は鍵の手になり、沿道には立派な土蔵や門構えを持った旧家が建ち並ぶようになる。昔の面影を残したいかにも旧道といった風情である。この辺は下今井の集落である。こういう道を歩くと、ああここまで来てよかったなと思う。近くの道端に小さな道祖神が立っていた。これは、すぐにそれとわかるオーソドックスなものである。旧道の町並みはしばらく続き、やがてバスの通る道と合流して終わる。

★旧道は中央線のガードをくぐる / 旧道沿いの昔の面影のある旧家

道は中央線のガードをくぐり、その少し先で国道20号線とぶつかる。甲州街道旧道は20号線に出る手前で右に曲がり、線路沿いの道になる。少し行くと、道の左側に大きな「泣き石」というのがある。さらにしばらく行くと、道路沿いに昔の面影のある家が何軒か続いているのが見える。この辺は志田である。この少し先に志田の一里塚があったというが、今は何も残っていない。また、さらに少し先に芭蕉句碑が残っているらしいが見落とした。


★塩川橋から望む富士山 / 甲州街道旧道脇を走る「特急あずさ」

やがて、道は塩川を渡る。塩川橋から眺める富士山もなかなか立派だった。今日は一日中快晴で、街道のあちこちでくっきりと富士山を望むことができた。日差しは結構強いが比較的さわやかで、歩くには好適な日和だった。
塩川橋を渡った後、道は二手に分かれるが、右の線路沿いの道が旧道である。この道は1Km近く鉄道線路と平行して進む。街道の脇を中央線の特急「あずさ」が通り抜けていった。

★韮崎宿の町並み / 鰍沢横丁

道は韮崎宿に入ってゆく。宿に入ってすぐ、甲州街道から分かれて南に入る細い道がある。今見るとなんということのない路地だが、鰍沢横丁の跡だという。説明版が立っており、ここから「みのぶ道」が始まる。ここから釜無川の鰍沢河岸(幕末は船山河岸)まで通行の道筋となっていた。当時の河岸は富士川の舟運により大いににぎわったのである。しかし、明治36年鉄道の開通により、往時の活況は消えうせたという。
JR韮崎駅はもう近い。今日はここまで。駅に着いたのは15:40頃だった。

第8日目(6月5日 土曜日)  甲府〜韮崎


歩行距離  約15Km (寄り道を含まない)  万歩計 39,000歩 (寄り道を含む)