第7日目 (2004年4月3日 土曜日)  勝沼ぶどう郷駅〜勝沼宿〜栗原〜石和〜甲府

ぶどうの実るころに勝沼まで歩き、その後しばらく甲州街道にはご無沙汰してしまった。春になってから桃の花を眺めながら歩きたいというのも大きな理由の一つである。というわけで、甲州街道歩きの再開は、WEBで桃の花の開花状況を確かめた上で日にちを決めることにした。


★勝沼ぶどう郷駅周辺の桜 / 春のぶどう畑 / 道路沿いのワイン工場











桃の花も開花したという情報を確かめ、甲州街道歩きを再開した。勝沼ぶどう郷駅には9:30ころ到着した。この駅のホーム周辺には見事な桜が咲いており、一見の価値がある。駅前には何もなく、客待ちのタクシーがやたら多い。駅前からの広い道路をどんどん下る。道の周辺にはぶどう畑が広がっているが、今の季節はぶどうの木はまったくの丸坊主である。道路沿いにワイン工場があり、まだ早い時間なのに観光バスが止まりお客の姿が見えた。
勝沼は「ぶどうに選ばれた土地」だという。江戸時代には既にぶどうの産地として有名であった。前回見た大善寺の国宝薬師如来が手にぶどうを持っていることからもわかるように、勝沼とぶどうとのかかわりはかなり古く、大体10世紀ころまで遡るらしい。

★勝沼宿仲松屋 / 旧田中銀行社屋

駅前の広い通り(県道勝沼・塩山線)を30分ほど歩くと、旧甲州街道にぶつかる。国道20号線は少し手前で勝沼バイパスとして分かれていっており、この道は県道である。旧道を少し行ったところに、古い建物が見える。説明版があり、「勝沼宿仲松屋」の跡だという。2棟からなり、1棟が江戸時代後期、もう1棟が明治時代初期の商家建築だという。
その少し先に旧田中銀行社屋という建物がある。これは、内部の見学ができ、ボランティアの方の説明も聞くことができる。もともとは、明治30年ごろ勝沼郵便電信局舎として建築されたが、その後山梨田中銀行の社屋として使用された。裏には銀行時代に建てられたレンガ造りの土蔵も残されている。

★等々力交差点 / 交差点脇の常夜灯と奇妙な石造物

その後、旧道は特に目立つものもなく坦々と進む。上町交差点、町役場入口交差点と過ぎ、等々力交差点に達する。ここで、道は国道411号線と合流し、これから先は国道411号線となる。この国道411号線は、青梅から丹波山村、大菩薩峠、塩山を経てここで甲州街道と合流している。道の脇には、小さな常夜灯と何やら奇妙な石造物が建っていた。

★日川(ひかわ)沿いに広がる桃畑 (一宮町)











等々力交差点の先も旧道は坦々と進む。少し行くと旧道に日川(ひかわ)が近づいてくる。ここで旧道歩きを止め、川沿いの道歩きに切り替える。この川沿いには桃畑が広がり、桃の花が一斉に咲き始めているはずである。川辺に出てみた。はじめのうちは桃畑もややまばらで拍子抜けの感じがしたが、歩いているうちに次第に桃畑の層が厚くなってきた。桃源郷という言葉があるが、なんとなく想像できるような風景である。ここは勝沼のとなり町・一宮町である。

ちょっと寄り道

今日の行程には少し余裕があったので、はじめからちょっと寄り道を考えていた。旧道の上町交差点から左折して、釈迦堂博物館まで歩くことにする。6Kmくらいの寄り道だが、旧道自体には特に見どころもないようだし、ま、いいだろう。寄り道してから等々力交差点で旧道に復帰する予定である。

★遺跡博物館から一宮・勝沼方面を望む / 釈迦堂遺跡博物館 / 博物館の代表的展示品(水煙文土器) 











釈迦堂遺跡博物館は、盆地を見下ろす高台にある。ちょうど桃の花の季節で、あちこちにピンクのパッチワークが見られる。すぐ近くに中央高速道の釈迦堂PAがあり、ここに車を置いて見学することもできる。私も中央高速はよく利用しているが、これまでここを見学したことはなかった。
釈迦堂遺跡群は、中央自動車道建設に先立って昭和55年2月から56年11月まで延べ2万人以上の人が参加して発掘調査された。その結果、先土器時代、縄文時代、奈良時代、平安時代の住居や墓、および多量の土器、石器などが発見された。特に縄文時代のものは豊富で、全国的な注目を浴びたものである。行楽のついでにでも立ち寄って見る価値は十分にある。

★国道411号、日川橋 / 国道から笛吹川・笛吹橋を望む

日川沿いの桃畑から旧甲州街道に戻る。この道は、国道411号線となっており、車の交通量は多い。日川橋を渡り、右に大きくカーブしてゆくと、やがて広い河原が見えてくる。笛吹川である。先ほどの日川もこの川に合流している。
この辺りの旧道は、現在の国道とは少し道筋が違うようだが、かまわず国道を進み笛吹橋を渡る。

★笛吹川の様子(笛吹橋付近) / 甲州流・伝統治水工法「中聖牛」

笛吹橋を渡ってからは、川沿いにつけられた遊歩道を歩く。笛吹川は東沢渓谷に源を発し、これから少し下流の鰍沢町で釜無川と合流して富士川となる。
川辺を歩いてゆくと、奇妙な形をした木の造作物が並んでいるのが目についた。近くに説明版があり、甲州流・伝統治水工法「中聖牛」とある。富士川(笛吹川、釜無川)は昔から荒ぶる川で、武田信玄なども治水には力を入れていた。これは、昔から伝わる治水工法で「聖牛」という。これで川の流れをコントロールする「水制」の一種だという。確かに頭を上流方向に向けた牛のような形をしている。川の流れを和らげる聖なる牛なのだ。

★石和宿遠妙寺 / 石和町(石和駅入口信号付近)の街道

笛吹川と別れ、街道に戻る。道はかつての石和宿に入ってゆく。石和には以前からわずかばかりの温泉は湧いていたが、昭和36年1月に突然に大量高温の温泉が湧出、新興の温泉郷として評判になった。いまや、中心部は温泉旅館が立ち並ぶ一大歓楽街になった。
宿に入ってすぐの右手道路沿いに「うかい山遠妙寺」がある。これは、謡曲「鵜飼」で知られた寺である。殺生禁断の石和川で鵜飼をしていた男が捕らえられ処罰されたが、以来その亡霊に苦しめられていたのを日蓮が済度して救ったという話である。この後、交通量の多い国道を坦々と進み甲府市に入る。

★ちょっと寄り道・善光寺 山門 / 本堂

山梨学院大学の新しい建物を左に見て少し行くと、善光寺入口の標識がある。ここを右に曲がって800mくらいのところに善光寺がある。武田信玄が長野善光寺の本尊を移したもので、のち慶長2年(1597)には本尊は京都に移ったが、寺は変らず尊崇された。本堂、山門は寛政8年(1796)の再建。長野の善光寺を少し小さくしたようで、外観はよく似ている。
街道に戻り先を続ける。身延線のガードをくぐり、甲府の市街地に入ってゆく。30分くらい歩いて、ようやく甲府駅に着いた。ちょうどうまい具合に16:47発のホリデー快速、新宿行きに間に合い、車中の人となった。今日は久しぶりによく歩いた。


歩行距離  約20Km(釈迦堂への寄り道を含まない)   万歩計 38,000歩 (寄り道を含む)