2010年度活動報告 旭山レポート
「終わり良ければすべて良し」
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観測史上初という猛暑の夏であった。 黒部も9月初めには記録的な渇水に見舞われたということであったが、イワナ達は元気に過ごしておりました。 8月・9月と2回入山しましたが、まとめてレポートいたします。 旭山 久
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[第1回]8月12日〜15日
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残念ながら、今年も多くの参加者が集まるには至らなかった。が、今年は辻田さんが初参加してくれた。辻田さんは某航空会社の社長である。 還暦はもう数年前に超えられていると思うが、自転車乗りが趣味で足腰は強靭である。 今回は放流にもなみなみならぬ意欲を燃やしてくれており、心強い限りだ。
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還暦+α
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さらに、辻田さんは数年前に自ら操縦桿を握り、富山空港からクマ隊長御夫妻を北アルプス遊覧飛行、そのまま大阪へとエスコートしているのだ・・。
ここは何としてでも遊覧飛行への招待状を手にしなければならない!そんな野望も抱きながらの出発となった。 しかし、おりしも台風の通過中!?クマ隊長は「上に行ってみなけりゃわからない。」と、のたまうので強行突入するが、樹林帯を抜けるころから風雨ともに強まり、太郎平の小屋に着いた時には、薬師沢方面は増水のため通行止めとなっていた。
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強行突入 |
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仕方なく、太郎泊となり、放流は早々に断念せざるを得ない状況となった。太郎のイケメン若旦那に「ここで泊るのは珍しいですね」と言われたが、十数年ぶりのことである。 カッパの森となった乾燥室に濡れた衣類を干したら、宴会の開始である。 というより、それ以外にすることはない。 遭対協の人や山岳警備隊も仲間に引き入れ、ほどほどに楽しんで1日目は終わって行った。
クマ隊長と姉さんは自炊室で、2次会を楽しんだ様子で、姉さんには若干ダメージが残っている感じ。 しかし、太郎で足止めを食ってしまった以上、高天原まで行かなければ、遅れは取り戻せない。 何としてでも、高天原には、行かなければならないのだ。 それは、今回のミッションが、放流以外にもう一つあるからだ。
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「岳の額」?
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昨年、長男の岳が昨年黒部に来たことを書いた作文が「ざぶん文化賞」なるものを受賞し、その副賞として、いただいた額装文をコピーして、薬師沢と高天原の小屋に飾ってもらう約束になっているからである。 背負子にリュックと額を2枚くくりつけて歩くのは、肩が痛く不安定だが、それもミッションである。
薬師沢の小屋には荷物のデポと、トイレのために立ち寄る。 K子ちゃんに飲み干されないよう、酒は持っていくことにした。 額1枚と荷物が少し減ったが、スタートが薬師沢でなく、太郎だった分、大東新道の登りがキツク感じられる。 というより、体を動かさない職場に転勤になり、運動不足とオーバーウエートになっていることが、最大の要因であることは間違いない。
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黒部の特徴 |
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途中、沢の水を利用してソーメンを楽しむ。 クマ隊長の厚切りチャーシューサンドと共に、辻田さんは感動していたが、まだまだ遊覧飛行をしてもらうまでには、いたらないようだ。 しかし、あれだけの雨がふったのに、翌日には全く何もなかったかのように、平水に戻るのも黒部の特徴である。
今回はイワナを集める時間が無かったが、イワナの定着状況は、少し確かめたい。 息子岳のフライデビューもさせたいので、様子を見に出かける。 自分とデュークおじも竿を継ぐが、結局息子にキャスティングを教えるのと、ポイントを示すだけで終わってしまった。
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フライデビュー |
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それでも、フライフィッシング初挑戦の小学生に、釣れるのであるから、やはり黒部は大したものである。 会に入った目的そのものであるが、今や日本でザイルなどを使わずに入れる川で、素人にも簡単に釣れるだけの魚影のある川は、皆無に近いであろう。 この状態を維持していきたい。 そのために、微力であるが頑張っているのが我々、「黒部源流の岩魚を愛する会」である。
夜は小池さんたちと、しばしの語らい。今年はドイツから留学中のフロイラインが、アルバイトで入っていた。 月末から、傾いた小屋の修復工事が開始されるということで、9月は遠慮したほうがいい旨の話があり、高天原内のチョークストリームに放流する計画も、来年以降に延期とした。
しかし、来年は床と屋根がフラットになった、高天原の小屋に生まれ変わるということで、楽しみのような寂しいような複雑な感慨を抱いた。
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修復工事が |
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無事に「岳の額」も渡し、恒例の相撲大会も終わったので、薬師沢への帰路に就いた。 今日も天候が心配されるということで、雲の平を経由。 大東新道の下りを未経験の息子は残念がっていたが、峠では曇天も、雲の平山荘付近では土砂降りとなっていた。
新装なった雲の山荘で昼食をとる。 カレーもラーメンも本格的でうまかった。山荘は瀟洒な作りで、インテリアに詳しい兄さんと姉さんは小屋の若旦那の案内のもと、熱心に見学を行っていた。 オーディオ機器まで含めて、かなりの金と手間がかかっている気がした。 きっと、人気の小屋となるだろう。
五十嶋のマスターには申し訳ないが、これで薬師沢の小屋の混雑が解消されると、個人的には逗留しやすい。
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恒例の |
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結局、大雨で釣りにもならず、この日も早々に宴会。 夕方には薬師沢が大増水して黒部本流を押しとめる姿が見られた。 これでも、翌日には天候さえ回復すれば平水に戻るのだから、下界の川では考えられない。
いよいよ下山という最終日になって、やっと天候が回復した。 これだけ天候に恵まれないのも珍しいが、相手が自然である以上、それもやむを得ないことだろう。 辻田さんが釣りにも挑戦したいというので、第3渡渉で左俣の上下を少し釣る。 自分は右俣まで足を伸ばすが、大増水の後だからだろうか、魚たちは落ち着かない様子で神経質な反応だった。
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渓が渓デビュー |
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下りは、息子の独壇場。 とっとと走るように下山してしまった。 もはや息子にはかなわない。 中学生となる来年以降、少しは会の戦力になってくれるだろうか? 無理強いはできないが、会の活動に意義を見出してくれると嬉しい。
しかし、来年は弟の渓が渓(黒部)デビューの予定なので、今度はそちらが独り立ちするまでは、まだのんびり釣りを楽しむのは、難しいのかもしれない。
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お菓子の王女さま |
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今回も、自分の奥さんは、間食(お菓子)を十分楽しみ、辻田さんを驚かせていた。 それも山の楽しみ方の一つであろう。 我々もうまい酒を楽しむために、登っている節もあるから・・。 下山後は、しっかり隊長宅で反省会を開いたのは言うまでもない。
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ユーイチロウ |
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途中参加のユーイチロウは、彼女からの電話で、おちおち飲んでもいられない様子だったが、姉さんからフライロッド、クマ隊長からオールド・オービス「バテンキル」のリールをせしめていた。
こうして、テンカラの弟子が、フライフィッシャー化されてしまったが、自分も同じような道を歩んだから、それも自然な流れだろう。
もう少し、会の活動に参加できる日程の確保できる職に、ついてくれれば最高だったのだが・・。
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[第2回]9月24日〜27日
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「マジっすか?」
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「マジっすか?」
どうやら隊長は仕事で入山できないようだ。 先月隊長宅のカレンダーに「イワナの会」と書いてあるスケジュールに合わせて、日程を組んだのだが・・。
今回は辻田さんも、前会長も、エノさんも日程が合わない。 いつもの3人組で行くしかない。 23日からの入山に向け、22日の仕事を片付けた足で富山に向かう。
またしても、天候には恵まれないようだ。 途中、小千谷と上越あたりでは、土砂降りである。 12時過ぎに隊長宅に着くと、3時まで宴会。 朝6時ごろには、兄さんと姉さんも到着するが、停滞を決定。 疲れをいやして、翌日からの登山に備える。
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もはや無理! |
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午後からは誠男君が来たので、マージャン大会。 終盤姉さんに火が付いた。 隊長宅でのマージャン大会で、姉さんがあんなに強かったのは、初めての経験であった。
翌日はまずまずの天候。 オールドパー・グランデと、イモ焼酎を背に、薬師沢への道を急ぐ。 先月登っているのと、一日インターバルをおいた分、体はまずまずの調子。 折立の駐車場も驚くほど車が少なく、静かな山旅を楽しめそうである。 ほぼ、いつものペースで進む。 太郎の小屋まで4時間を切るのは、もはや無理な相談だ。
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オールドパーの焼酎割 |
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薬師沢には3時過ぎには着いたが、川に出る気力もなく宴会開始。 何人かの釣り人が戻ってきたので、翌日の放流魚集めの協力をオファーするが、みな下山する模様だ。 のんびり一日かけて魚を集めることにする。
夕食は背負ってきた栃木和牛のステーキを、小屋の面々と楽しむ。 喜んでもらえて何より・・。 兄さんとK子ちゃんは11時過ぎまで楽しんだようで、3Lのワインはかなり少なくなっていた。 あと2日の宴会に酒量が耐えうるのか暗雲が立ち込めてきた。 何せ、酔ってきた兄さんが、オールドパーの焼酎割りなんていう、アルコールの無駄遣いをしてしまうもんだからね・・。
広島大から来たウクライナ人留学生?と仲良くなる。 知人に元KGBがいるらしい。 やたら人懐こいので、この人もスパイ?と見えなくもない。 まあ、黒部で行うスパイ行為って、いったいどんなものだろう。
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ひやま君1号 |
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翌日は、他に釣り人もいないようなので、のんびりA沢から小屋までを釣り上がる。 今回の当たりは「ブラック・アント」のフライ。 兄さんオリジナルの源流イワナ用フライ「ひやま君1号」にもバシバシ出ました。
ピーカンの天気も風が強く、寒さもあって、一時集中が切れかかったけど、午後になって風が収まるとともに集中も高まり、放流には十分なイワナを集めることができた。
夜は、北海道鵡川産の本シシャモで宴会。 ついに酒切れ。 翌日高天原の小屋、その次には赤木沢に行くというヤマちゃんに放流を託して下山、ということも考えたが、ヤマちゃんも日程が厳しいというので、結局我々の手で放流することとした。 消灯で就寝。
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気温0度
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翌朝、デッキは真っ白!! 初霜だそうで、午前6時時点の気温は0度。
つい、10日程前まで猛暑・猛暑と騒いでいたのが、ウソのような気温である。
8時前には、真新しいオトリ缶にツインのポンプを搭載し、背負子にくくりつけて、いざ赤木沢へ。 渡渉の際にネオプレーンの部分を越えると、身を切られるように冷たい。 ゴルジュ帯では、しばらく前に出発した、学生の一団に追いついた。
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赤木沢へ |
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ヘルメットをかぶり、ハーネスにカラビナやエイト環などをジャラジャラつけた若者の横を、帽子に沢靴のみのロートルが、背負子を担いでジャブジャブ追い抜いていくのは、彼らの目には奇異に映ったに違いない。
しかし、ルートをある程度熟知していれば、かえってあんな重装備をしている方が危ない事もあるのだ。 しかし、そこはそれぞれの考え方であり、必ずしも間違いとは言えないのだが・・・。
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イワナが減って |
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野村さんの |
通過した時間の問題かもしれないが、赤木沢ではほとんどイワナの魚影を見ることは、なかった。 赤木沢への放流も久しぶりではあったが、イワナが減っているのも事実だと思うので、引き続き放流を試みたい。
赤木沢への放流は、先達であった故野村さんの遺志を継ぐものとして、イワナの会の重要なアイデンティティである。
大滝下に、集めたイワナの2/3を放流した。 数を増やすには十分な量だと思うので、2〜3年後にはきっと魚影が回復するだろう・・・。
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アイデンティティ |
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ペットボトルの水 |
いよいよ残った1/3を放流にかかる。 滝上から別の沢を詰め、尾根を一つ越えたところで放流する。 藪こぎを繰り返し、道なき道を行くので、途中何度も行き詰まり、ルート変更を行った。 ペットボトルの水を足したり、沢で水を足したりしながら、デュークおじこと兄さんが、無事に運びきってくれた。
吉田大成君が薬師沢の小屋番だった時に、放流を開始したものだが、その後、隊長や姉さん、川口さんと、何度か放流したものが、無事に命を繋いでいてくれた。 標高2400mの細流に、イワナの成魚を見たときは感動であった。
その後、切れ目なく、イワナの走る姿が見られたので、ずいぶん増えてくれたようだ。 ここは、どこからも登るのが困難で、イワナを釣ると言う目的であれば、本流で釣るだけで十分なので、人はまず入らないところである。 イワナの聖地としていきたい。
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命を繋いで |
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感動が |
疲労困憊の体で沢の小屋に戻った。
最終日は、K子ちゃんが腕によりをかけ、たくさんの美味しい料理とお酒でもてなしてくれ、楽しい宴会となった。 小屋番の赤塚君・アルバイトの加沢君にもずいぶん良くしてもらった。
8キロの脂肪が付いたせいで、オジから「むいたゆで卵」の様だと言われた顔にも、くびれが復活し、結果4キロの減量にも成功した。
酒が切れる頃なので、早々に下山するはずだとの、熊隊長の鋭い予想を覆し、とりあえず予定のミッションは果たしたし、納得のいく活動ができたと思う。
来年は、夏に高天原に放流し、秋にはまた赤木沢への放流を行おうと思う。 今年は日程が合わなかったが、日程さえ合えば放流魚集めを、お手伝いいただけそうな手応えもあったので、活動を拡大していければ大変嬉しい。
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ミッションは! |
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続く・・・
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