2007黒部レポート
小池さんに会いたいその一念で「岳」は黒部に挑んだ

「岳です」おさるじゃないよ!


 何だかんだで、去年は社教主事講習でひと夏を棒に振り、入山期間も4日しか取れなかった。高天原にすら足を伸ばすことすら叶わなかったので、レポートも満足に書かずに終わった。

 というわけで、今年こそはと意気込んだものの、今年も満足な日数を確保するのは困難だ。1度きり最大5日間を確保するのが精一杯であった。

 それより問題は、長男の初挑戦である。2度の山行が実現できるなら、そのうち1度を家族のために・・というのはいいが、年に1度の楽しみを家族サービスにしてしまうのもなあという気持ちもあるし、いつもいつも俺一人で山に入り、家族は嫁さんの実家というのもマズいかなあという気持ちもあるし、『岳』なんて名前をつけた以上、将来の歩荷にするためには、黒部を好きにさせなければという目論見もあるし、それでも足手まといを振り払って、山でリフレッシュしたいなあという気持ちもあるし・・。最終的には、小池さんと岳の約束を果たすため、そして本人が行く気になっている時に行ってしまおう。と腹をくくった。
 とはいえ、家族3人(嫁さんと長女は6年前に1度高天原まで行っているが)を連れて黒部に行くのは、何とも心もとない。

 こんな時、やっぱ頼りになるのは大阪の二人である。とにかく面倒見がいい上、なんと言っても無理にゆっくり歩いてもらわなくていい。前週も浜松まで出かけていたので、体力的にも経済的にも厳しいと渋る姉さんを無理やり口説き落として、何とか同行してもらうことに成功した。

日本の失われた原風景「父と子」


 8月18日、いつものごとく、折立で8:00過ぎに落ち合い、愛知大生の遭難碑に一礼して出発した。こっちが一足先に出るのもいつものことだ。途中何度か『岳』の泣きが入るが、五光岩のベンチで大休止をしている時に二人が追いついてくるのも、太郎の小屋で生ビールを楽しむのも、これまたいつものことである。

 第1渡渉までの直前、昨年、仲間内のD氏が『滑落!?』した場所を確認した。息子とはすでに何度か面識のあるD氏であるが、息子の中では、今回の山行で、D氏はすっかり『落ちた人』になってしまった。名誉毀損のそしりを受けるかもしれないが、林オジとともに、このレポート上でお詫びを申し上げたい。

 沢の小屋は、ほどほどの混雑でカイコ棚に案内される。今年も『ワタル』がいたので、息子の相手はしてもらえそうだし、俺が『ワタル』の相手をしなくて済むし、一挙両得である。

ボクが釣りました


 さっそく、息子に黒部のイワナなるものを釣らせるべく、下流のトロ場に向かう。フライロッドは振れないので、6mの渓流竿にテンカラ仕掛けでの挑戦だ。早速の第一投、奇跡的にナイスキャスト!底から浮かび上がってきたイワナが見事に毛鉤を咥える。「上げろ!」という父の上ずった声に息子も精一杯の合わせをくれ、フッキング!!義父(息子にとっては母方の祖父)が昔使っていた毛鉤をそのまま使ったので、大きなバーブ(かえし)がついたまま。イワナは力任せに引っこ抜かれ、息子の手の中に・・・。と、思いきや手元で、ナチュラルリリース。「黒部の突進王」と呼ばれた父も成し遂げなかった(ひょっとしたら、第一投で釣ったかもしれない・・!?)第一投、第一キャッチを逃しのである。その後、父のフッキングさせたイワナを取り込ませたが、結局自力では釣り上げぬまま初日が終了。自分で釣るよりも息子に釣らせることが遥かに難しいことを思い知らされた父であった。


ユーイチロー


 小屋では、昨年から小屋番になった高橋さんを初め、先々代の小屋番だった

須田さん、入会初期からいろいろ世話になった景子ちゃん、去年から俺を「師匠」と呼んでくれるユーイチローが迎えてくれた。入会して早10年、いろいろなハプニングもあったが、思えば遠くへ来たもんだ・・というか、仲間達と楽しくそして、沢の小屋で我儘に振舞う俺を見て、家族も、父に自分達の知らない世界があるということを自覚してくれたようだ。

景子ちゃん

 とりあえず、他のお客さんの手前、宴はそこそこにお開きにして景子ちゃんと星空をながめながら、宴会の延長戦。昔「ハム太郎」のイラストを描いてもらって大喜びしていた娘も今や中学生。すっかり思春期となり、お姉ちゃんとの会話も微妙な雰囲気だった。俺に同情しつつも、娘の考えにも理解を示してくれて感謝、感謝・・。


 8月19日、翌日は、相変わらずののんびりスタート。高天原までたどり着きさえすればいいのだから、あわてる必要も無い。出会う沢ごとに小休止、大休止をとり、ゆっくりを歩を進める。息子も初日に比べると、あきらめの気持ちも出てきたのか、泣きを入れることも少なくなってきた。ひょっとすると、俺が一番泣きを入れていたかもしれない・・。とにかく、運動不足と40歳を過ぎた体力低下をひしひしと感じる。

 高天原峠を越え、下ったところがI谷。我々イワナの会が発足当時から移殖放流を続けてきた「聖地」である。自分は大東新道経由で3回、源頭から1回の3回の放流に参加しているが、赤木沢や薬師沢H俣への放流と比べると、格段に手強い。イワナの会のメンバーも高齢化が進み、若いメンバーが増えてこないと、放流事業も継続が困難になってきそうである。

父走る!走る!


 とりあえず、親父達がこんな困難なルートをイワナを担いで上がってきたのだということと、その子孫がこうした環境で健気に生きているのだということを知らせるために、探釣に出かけようとしたところで、いきなりの雨。息子は名残惜しそうであったが、いったん高天原山荘で小池さんに到着のあいさつをしてから出直すことにした。

 2年ぶりの高天原であったが、相変わらず山深さを感じさせてくれるたたずまいで我々を迎えてくれた。嫁さんは安堵の声を上げ、息子はあの赤い屋根の

下に小池さんがいることに、少し興奮してきたようである。しかし、そこは小池さんの自宅ではないのだが・・。


 小屋の階段を登るところで、帳場にいた小池さんが我々の来訪に気づいた。そこに、岳の姿を見つけた小池さんは、いつもより少しだけ嬉しそうな、優しい目で我々を迎えてくれた。息子も、途中何度も「ヘタれ」ていたことなど、すっかり嘘のように、自分がたくましく歩ききったことを自慢げに話している。面倒だったが、息子を連れて来てよかったとそんな一時であった。


小池さんと香春さん


 雨も上がったので、兄さん・姉さんとともに探釣に出かける。息子は沢靴を持っていないので、渡渉はできない。橋より上流の方が歩けるスペースがあると思ったが、これが大間違い。釣竿片手に息子をおんぶしながら徒渉を繰り返す。とても釣りどころの話ではない。姉さんは橋より下流の方に行ってしまったが、兄さんは順調に探釣を楽しんでいる。一昨年は大増水により一時激減したようだが、順調に魚影が回復していることがうかがえた。息子も念願の黒部イワナを手にすることができたが、兄さんに撮影してもらおうと、カメラに向けて突き出したときに手からイワナが飛び出し、砂まみれになったイワナを大慌てでリリースしたのは、ご愛嬌というところか。いずれにせよ、必要最低限の殺生しかしないというスタンスを身に着けているのは未来の会員として、その資格を十分に備えているといっていいかもしれない。

 雨が強くなってきたので、小屋に戻る。姉さんは早めに戻ったようで、女子組はすでに温泉を堪能した後だった。一般のお客さんが引けた後、小池さん夫婦とこれまた馴染みのヤマちゃんと楽しい夕餉。穏やかに2日目の夜は更けて言った。

俺の胸にドーンと来いかな?

 8月20日、3日目、今日も快晴。結局男組は温泉にまだ浸かっていないので、まずは温泉。嫁さんが龍晶池に行きたいと言い出し、姉さんも「まだ行ったことがないから・・。」と賛同したので、温泉前にちょっと脚を延ばすことにした。一昨年、立石に向かった道への取り付きを兄さんとともに探しながら歩いたが、結局明確な場所は確認できなかった。しかし、そもそも道と呼べるようなシロモノでなかった気もするが・・。あそこを登るのも降りるのも考えただけで、気が遠くなりそうだ。


あーブユにやられた! 竜晶池


 龍晶池は想像していたよりこじんまりしたところだったが、北アルプス最奥ならではと思える素敵な場所だった。何枚も写真を撮ったが、下山後恒例の宴会をしていた時に、敬市さんが北日本新聞に掲載した写真がそっくりのものだったので、俺のセンスもかなりのものだと言ったけど、よく考えてみたら、あの場所に行けばみんな同じような場所から同じアングルの写真は撮るよなあ。それに、敬市さん曰く、池の左手前にある石を、画面のあの場所に入れて撮れるかどうかが、プロとアマの決定的な技術とセンスの違いなんだそうだ。確かに村中邸で呑んでいるときの敬市さんはともかくとして、敬市さんの撮る写真は素晴らしいと思うが。

 息子にとっては初めての高天原温泉。まぶしい青空がなおのこと心地よさを引き立ててくれる。対岸にも天然岩を使って湯船がしつらえてあるのを兄さんが見つけ、そちらも試してみようということになる。大自然の中、裸・裸足のまま温泉沢を渡渉していく男3人・・。まさに、自然の貸切状態である。ぬるめの湯だったが、本当に快適、快適。

これが今回の目標、小池さんとの相撲


 温泉から戻ると、コーヒータイムを楽しみ、いよいよ出発の準備。いつものことながら、少しセンチメンタルになる。小池さんも仕事の手を休めて、見送りに準備をしてくれている。この期に及んで、今回の山行の最大の目的を言い出せず、もじもじしている息子の背中を嫁さんが押した。「岳、ちゃんとお願いしてみたら・・?」今回、息子は「高天原の小屋で、小池さんとまた相撲をとるんだ」と宣言していた。息子は4年前に総会に参加したときに小池さんと相撲をとってもらってから、会うたびに相撲をすることをせがむのをお約束にしている。下界とは少し違う「仕事モード」の小池さんに、相撲をとってくれと言い出すことに躊躇していたようだ。岳が申し出ると、小池さんは「よし、やるか」とにこやかに立ち上がった。「岳、負けたらひと夏ここでただ働きやで」と大阪の二人に声援にならぬ声援をうけ、相撲は二番、三番と続いた。

 いつものごとく、握手でお別れ。「岳、来年も来いよな。」と息子と握手する小池さんの姿を見て、本当に息子を連れてきてよかったなあと思った。いつからそこにできたのか、展望台とよばれる台から高天原を一望して、沢の小屋への帰路は始まった。

他のお客さんから「山渓家族」と言われました


 天候はよかったが、何せここは山である。快晴は長くは続かない。だからこそ、一般の登山者は暗いうちから出発し、天気のよいうちに展望のよい場所まで歩こうとするが、我々イワナの会は朝寝坊集団である。小屋をでたのは、当然9時を回っている。息子は何も知らずに展望のよい雲の平経由で帰ろう何て調子のいいことを言っているが、登りは結構キツイところがあるし、そこまで行ってガスってしまったときは、精神的なダメージも大きい。でも、慌ててもどる必要もないし、本人が納得するようにさせようということで、雲経由のルートを戻ることにした。以前はぬかるみなどがひどかったが、はしごが新設されたり、ルートが変更されていたりして、ずいぶん歩きやすくなっており、思っていたより時間も短縮された。晴れてさえいれば、別天地ともいえる眺望を楽しめるので、山好きにさせるにはこれ以上の場所はない。そういう意味では、息子が山嫌いにならないような、神様の配慮があったのかもしれない。

雲の平よりの下降

 沢に戻ると、早速の釣り支度、すっかり味をしめた息子が同行をねだるが、それを振り切って上流へ。なにせ、まだ満足にロッドを振っていない。これが、この山行中釣りを楽しむ最後のチャンスである。もはや息子にかまっている余裕などない。最後くらい『突進王』でいさせてくれ〜。

 8月21日、こうして、今年の山行も終わった。帰路ではD氏が滑落した現場に、滑落防止用のトラロープと注意書きが新たに設置されていた。われわれの入山前日にそこで新たな滑落事故が発生していたからである。息子は、その場所だけははっきりと危険箇所と記憶できたようである。

 恒例の反省会はそこそこに、兄さんと姉さんは未明に大阪への帰路に着いた。その後、俺は常願寺でオイカワにおちょくられ、上市のダイナムで宇宙人退治と地球防衛に失敗したが、それはご愛嬌ということで。
 注: パチンコ−ウルトラマンでバルタン星人に敗れた即ち負けた

 しかし、来年も息子と一緒の入山じゃ、満足に釣りもできやしない。何とか休みをこさえて、例のZ谷でも再訪しますかね。兄さん・姉さん。今度は村中さんも一緒にどうだろう。                 

(おしまい)

D乗越 その後遭難がありロープが張られた

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(C)黒部源流の岩魚を愛する会