2005 第1回活動報告「曇り時々イワナのち鮎」 

 
いったいこれが何の「活動報告」なのか???少なくともイワナの会の活動報告とはいえないが、毎年恒例になっているので、とりあえず報告まで・・。

7月29日、天気予報は芳しくないが、ここまできたら日程を変更するのも難しい。翌日の入山に備え、とりあえず荷物を車に放り込み、富山に向けて出発する。今年は、夏休みに入っても、個人懇談やら嫁さんの入院やらで、ろくな準備もしていないが仕方がない。今年3度目となる釣行、果たしてどうなることやら・・。

7月30日、集合場所となる村中邸に6:00すぎに到着。大阪から3:00ごろに着いたという林オジは就寝中。吉田の姉さんはコーヒータイムを楽しんでいた。今回のメンバーはこの3人。昨年のイワナの桃源郷Z谷釣行に気を良くした我々は、同じJ川水系のW川に狙いをつけていた。できれば、沢を詰めて尾根の向こうでも釣りをしたかったが、村中さんの「早く降りてきて、鮎をやったほうが良いぞ!」という言葉に、この春鮎デビューした二人は少し(かなり?)心が揺らいでいるようだった。

 鮎釣りに出かける村中さんに追い立てられて、いつになく早い8:00過ぎの出発。パッキングを完了して沢伝いに歩き始めたのは、9:30頃だった。下流部は期待できないので、イワナが走るかどうかを確認しながらの遡行。1時間30分ほど歩いても姿は確認できない。そのうち、先行者の魚篭から落ちたであろう絶命まもないイワナを発見した。

一応、イワナの存在を確認し、なおも上流に向かうと、先行者であるエサ釣り師が2人降りてきた。とくに釣果を尋ねることもなく、挨拶だけを交わして見送った。時計を見ると、昼近く。川を休ませがてらの昼食にした。幸い、対岸の高台にテントをはれそうな場所も見つかったので、そこをベースに午後は釣りを楽しむことにした。


 釣りを始めると、エサ釣り師はこの手前で引き返したのか、イワナの反応は悪くない。どころか、丸々と太ったファイター揃いで、引きを十分に楽しめる。
今回絶好調だったのが林オジ。人がトラブっている隙には必ずヌッと現れ、「やってもええか?」といった直後には良型をゲットしている。俺が毛鉤を取り替えている間に、尺上は間違いないと思われるヤツをヒットさせたときには、思わず殺意が芽生えた(半分マジ)。 が30pにわずかに足りないのを確認したときには思わず「残念!」と心の中で舌を出していた。

しかし、続きはまだあった。もうそろそろ引き返そうということになり、最後の一投を投じると巨大な影が毛鉤に向かって突進。しっかりフッキングしたソイツは、淵の中をさんざん走り回った挙句、下の段へ。絶対に尺は下回らないと確信した俺は、オジに協力してもらい、何とかネットに収めてもらった。しかし、そいつも・・・。やっぱり尺には届いていなかった。ここに「泣き尺」コンビの結成と相成ったわけである。



 
7月31日、やたら酒の廻りが早く、いつになくあっけなく沈没した俺であったが、8時間の爆睡の後、のどの痛みで目が覚めた。出発前から体調不良を訴えていた姉さんに「風邪じゃないの?」と声をかけておいたが、自分もやられてしまったのか?なんとなく体もだるい。姉さんは、早くに休んだので、少し回復した様子。オジはもちろん絶好調だ。

昨日の最終地点を越えたところから、竿を出し始める。午前中の反応があまり良くないのは、北アルプスの谷に共通しているようだ。水温と関係があるのだろう。釣っている間はアドレナリンのせいかあまり体調の悪さを感じない。しかし、午後になって雨がぱらつきだすと、どうにも集中が続かない。姉さんの申し出もあり、とりあえずテン場まで引き返すことにした。

このまま撤退するか、天候の様子をみるかオジと姉さんが話し合っているが、テン場に戻ったころには、動く気力すら萎えていた。しかし、増水したら停滞を余儀なくされるのは目に見えているので、この際まずは車を止めてある広場まで撤退しようということになった。荷物は、こちらの体調を気遣い、オジがいつもの3倍くらいの重量を背負ってくれた。感謝!

 そんなこんなで車まで何とかたどり着いたが、今さらテントを張る気力もあるわけがなく、一気に下山。村中さんは夜勤だと知っていたので、二人のかつてのベースであった「サウナアルプス」へ。ささやかな(?)下山祝いをして、就寝。

 8月1日、7時の館内放送で起床。トイレで自分の顔を見てビックリ!むくんでパンパンになっている。やはり、体調が悪いということを自覚させられる。
下山しておいて正解。イワナは十二分に釣ったし。朝定食をしっかりおかわりして村中邸へ。
村中さんは、夜勤明けだというのにすっかり準備万端で我々を待ち受けていた。独身の頃に「お前は手を出しちゃいけない」といわれて以来、封印してきた鮎(注:オンナではない)に行かなければならない状況が整ってしまった。

村中さんはいつになく優しく、俺のための道具などを準備してくれている。どうしても、俺を鮎の世界に引きずり込みたいようだ。とりあえず、神通川に同行したが、午前中は見学を申し付けられたので、ぼんやりと皆の釣り姿を眺めていた。強い日差しの中、長時間水に浸かっているのは、何とも不健康そうに見える。

午後はいよいよレクチャー開始。「おとり」の扱い方や道具の使い方などを教わり、いざ本番だ。「おとり」の付け換えなど、何とも窮屈な姿勢を強いられるが、コーチが優秀だったのか、場所が良かったのかどうにかこうにか12〜13匹釣ることができた。しかし、「お前は手を出しちゃいけない」と言われて封印してきたほどの快感があったかと言われると、疑問が残る。自分で勝手に妄想を膨らませすぎていたのかもしれない。Hと同じことだろうか?

 夜は高原さんも合流し、宴会。次の日のためか、単に夜勤明けで眠かっただけか、いつになく程よい酒量で宴会は終了した。


 
8月2日、高原さんも加わり、5人で神通川へ。今日は朝からのスタートだ。高原さんは全身を「がまかつ」製品で固めている。オジに言わせると「がまラー」と呼ぶそうだ。思わず、噴出してしまった。とりあえず、同じ場所に入るが、やや増水気味で恐怖感がある。一日で鮎釣りをマスターしたように思っていたが、なかなかそう上手くはいかない。「おとり」を換えようとして逃げられたり、釣っている最中に「タモ」を流されたり・・・。とにかくつらいのは、へばった「おとり」を換えたい時に限って、バラしたり、小さかったり、腹にかかって内臓が出ていたり。なかなか難しいものだと思った。

 来年も「やるか」といわれたら、きっと断れないんだろうなあ。それってハマッタってことだろうか?

とにもかくにも、自分の釣った「鮎」を土産に第1回の入山は終了した。しかし、これって何の報告なんだろう???


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