04藤本レポート 東沢谷釣行 04年8月26−30日


後で西山さんから詳細なレポートが届くと思いますが、藤本バージョン東沢谷釣行です。
武田さんが今月黒部に行くと言ってましたので、既に聞いていて色褪せたものとなってるかもしれませんが...。
武田さんにとっては長年の夢(?)、私と西山さんにとっては8年前に未練を残して去ってきた東沢谷への初挑戦と雪辱を期した釣行です。


8月26日〜30日のスケジュールで信州側の高瀬ダムからブナ立尾根を登って裏銀座縦走コースの東沢乗越からというルートで武田さん、西山さんとミエさん、私の〈老男若女〉4人のメンバーで行って来ました。

1日目は野口五郎小屋に泊まり、2〜3日目は東沢でキャンプして《釣り三昧》、4日目に同じコースを戻って来て烏帽子小屋に泊まり5日目に下山といった予定でした。
前回の印象から東沢谷での釣りは上流部の両岸を樹林に覆われてる区間が《狙い目》で、行くのであれば上流からと考えてました。
だったらブナ立尾根を登るのが一番近いだろうという森下さんからのアドバイスもあって今回はこのルートにしました。
ただ上流のこの区間は河原というものが殆どなくて、テン場はこの区間の上下のいずれかにと決めて出掛けました。

1日目 26日は早朝に七倉ダムのゲートで待ち合わせて予約してたタクシーに乗って高瀬ダムへ行き、先ずは標高差1200m・北ア三大急登ブナ立尾根の登りです。
20数年前に登った事がある武田さん以外は皆初めて。〈北ア三大急登のブナ立尾根を登る〉と聞いた時から、もう怖じけずいてたので半分登った辺りからは足がつってきて遅れだし、烏帽子小屋に着いた時は予想してた時間をかなりオーバーしていました。このため野口五郎小屋まで行くのは断念して、通過予定にしていた烏帽子小屋のそれもキャンプ場でテント泊に予定を変更。とまあ、私が足を引っ張って出端をくじいた初日となり、皆には申し訳ないなと思いましいました。が、山は素人同然の60のオッさんが夜討ち朝駆けで20キロを超えるザックを背負って登るとこじゃあない!私が想像してた以上にハードな登りでした。


2日目 27日縦走コースを歩きながら野口五郎まで歩いて真砂岳近くまで歩いたところでルートを変更、ガレ場の急斜面を〈五郎池〉目指して降りて行って池の近くの沢から東沢へと下って行きました。途中一人先行していた武田さんは、東沢谷との出合い近くで“熊さん”から3mという超至近距離で《表敬訪問》を受けたとか。
こんな事もあろうかと爆竹一箱を渡してたのに、何故かシェラカップでひたすら岩を叩いて我々の着くのを待ってたようです。
出合いは正にドンピシャ、狙い目の樹林帯。ただ思ってたよりも時間が掛かったうえもうバテバテ、大体どの辺か見当もつかなかない。

ともかくテン場を確保するまでは〈釣りはお預け〉、で記憶にあった樹林帯の下の広い河原を目指して下流へ向かったけど、行き着かないうちに...タイム・リミット。
やむなくテン場にと選んだところは二人用テント一張が精一杯で、持参した居住性抜群・余裕のUSAサイズ4人用テントはとても無理。といっても他に選択の余地など全く無い...。
もう無我夢中、総掛かりで小1時間程の整地作業に励んだ結果、何とか、やっとテントを設営。成せば成る!とは、正にこの事と思ったんですが、終わってほっとした
時には、もう夜の帳が...。
肝心の《釣り》はといえば、ロッドは一度も振る事無く終始ケースの中。こんな展開は全くもって予想外、甘くはありません!。


3日目 28日は樹林帯を抜けた上流にテン場を確保するまでは、竿は出さずに歩こう!と決めて溪を上り始めました。
昨日の合流点までは空しい気分で上り返し、更に少し上った左岸にテン場に出来そう場所を目にした時は、チックショー!と思ったが後の祭り。でも入山以来続いている好天気は慰めでした。
上がるにつれて溪も開けて明るくなり、遅れてた私が前を行く3人に追い付いたと思った時は...、西山さんはミエさんをレクチャーしながら、武田さんは重いザックを背負ったまま左手でケースを持ちながら...もう《予定なんてものは有っても無きが如し!》、《変わり目の早さは釣り師の身上!》で釣りモードに変身してました。
高瀬ダムを発ってからもう3日目ですから...。頑固と有言実行が売り?の私は遅れてばかりのうえ仕度するのが面倒だったでのでパス。
多少ペースは落ちたが、樹林帯を抜け出て河原に見つけたテン場跡にテントを設営して3日目の行動はお終い。落ち着いたところでイワナの刺身とそーめんで腹ごしらえ、初めて寛いだ気持ちで昼食を摂ったんじゃあなかったかと思います。一息ついたところで、さあ、いよいよ《釣り三昧》。

まあ前回よりは多いにしても...苦労した割にはあまりにも少ない釣り時間になってしまいましたが、《夕まずめ》はこれからという4時前後。
西山氏とミエさんは下流から、武田さんと私はテン場から上流へと分かれて釣り始めました。上流組は先ず武田さんがテン場の前で27〜8cmを釣って上々の滑り出しだったのが、上がるに従って反応が渋くなり、テン場からそんなに釣り上がっていなかったのにイワナの生息限界を超えてしまったらしく遂には全く反応ナシ。フライはまだ充分見えてましたけど...。
上流組は武田さんが数尾位で私が4尾(骨酒サイズ3尾+木っ端1尾)、下流に行った二人はミエさんが釣ったという27〜8・1尾を手にして戻って来て、東沢谷の〈釣り三昧?〉はフィナーレ...。
その夜、焚き火でじっくり焼き上げたイワナの塩焼きと骨酒はキャンプならではの味、きっと我々の思いが詰まってたんでしょう、実に美味!!でした。


4日目 29日は入山以来初めて雨具を着る天気。たいした降りではなかったが、乗越までの登りは以前にも増してきつく感じました。
更に乗越からの縦走コースは懸命に歩いても3人には遅れていくばかりで、ひたすら〈孤独な山歩き〉、野口五郎の小屋に着いた時には、既に充分休んだ3人は出発するところでした。
そんな私のペースでは烏帽子小屋に着くのがだいぶ遅くなりそうに思ったらしく、小屋泊は止めてテントにしよう、先に行って着いたらテントを張って待ってるから後からゆっくり来てと言ってくれた時は、この皆の心遣いが嬉しくて本当にホットしました。
その後、時々は東沢谷へ行って釣りをしてるらしい小屋の人と話をしたら“沢へは《五郎沢》を下ると1時間程で行けるので日帰りで釣りして来れるよ、それに帰りも乗越まで登って来るよりは〈五郎沢〉を上るほうが楽だなぁ。”と言ってました。また“下流はまあまあだが中間は全くダメ、上流が一番良いんじゃあないかなぁ。”とも言ってました。
我々が《五郎池》から下った沢で人が歩いた跡のゴミを2〜3個所で目にしてたので、《五郎沢》と言ってるのと同じ沢ではと思いました。

野口五郎小屋から先は来る時に一度歩いて様子もわかってるので、北アルプスの大展望を一人占めにして悦に入ったり、初めて見るコマクサも多くの所で見たりしながら〈孤独な山歩き〉を楽しんで歩いたので、烏帽子小屋のキャンプ場に着いた時には6時を大きくまわってました。
後は夜の宴、東沢谷から解放されたのでリラッークスして、山は最後だから酒は全部片付けようと言いながら飲んでたところ(何故かまだ酒はたっぷり)、武田さんの“来年はもう1日休みを多くとって又来よう”...。〈東沢谷の呪縛〉ですね、これは。まあ、気持ちは痛い程よく分るんですが、...私は“パス!”。


5日目 30日最終日はブナ立尾根を下って下山。
テン場を後にしてからしばらくは、樹間を抜けて吹いてくる風(突風)を受けて気持ち良く歩いてましたが、次第にザックが肩にくい込んできて膝はガクガク、足はヨロヨロ、この急坂は登るのは勿論降りるのもハード。幸いこの日だけは《孤独な山歩き》は免れましたが、取り付きの〈最後の水飲み場〉に着いた時はもうフラフラ、高瀬ダムまでは半ば夢遊病者状態で歩きました。

下山後は先ず温泉で5日間の汗を流し、冷えたビールをゴクッ、ゴクッゴクーッ、プァーしながら久し振りの豪華しゃば飯。
さっぱりした後は折よく大町山岳博物館で開催してた森下さんの写真展を見て寛いだりした後帰途に着きました。
武田さんも中央自動車道で帰るというので、一緒に豊科インターで高速にのったんですが...、気がつくと途中までは一緒の筈のランクルが何処にも見えない???。
おかしいなぁと思って電話してみたところ、何と、“どうも反対の方向に走って来たらしい...。” 
ゲートを通る時に隣でチケットを取ってるのを見てたのに...???。〈イワナの祟り〉?と言える程釣ってるわけじゃあないのに...。

第一高速道路じゃUターンなんて出来っこない。どうしたものかなぁと思って走っているうち今度は雨、それもハンパな降りじゃない、断続的だけど先がよく見えなくなる様な豪雨(台風の影響らしいが、山にいる時でなくてよかった)。で我々が山梨に入った頃、気になってた武田さんから電話が入り“今やっと豊科に戻って来ました”。
本来ならば駒ヶ根辺りを走ってる筈、こんな状況じゃなければ笑いこげちゃうところでしたが、この時ばかりは本当に気の毒に思いました。
後は電話で“お疲れさま!お世話になりました!気をつけて!”と交わして帰ってきました。

とまあ、考えてた《釣り三昧》は《とらぬ狸の皮算用》、前回の《リベンジ》も見事《返り討ち》に...、苦労した割には実りが少ない、不完全燃焼に終わってしまった今回の東沢谷釣行でした。


非力な私が足を引っ張ってばかりで...皆さん、ごめんなさい!です。でも一つだけ存在を強調しておきたい事があります。
喫煙習慣の無い3人はキャンプをするというのにマッチ、ライターの必需品をお持ちになって来てない。ランタン、ガスバーナー、焚き火はどうするつもりだったんでしょう?
そんな事、武田さんに爆竹を渡した時には思いもよりませんでした。
帰ってきてから一週間も過ぎた頃です。神妙な顔してカミさんが言った事は“肝心な事を聞くのを忘れていたけど、魚は釣れたの?”...。

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