コトバ表現研究所
はなしがい92号
1994.3.1 

 『先生あした晴れるかな』という映画の題を見たとき、正直いって「ああ、また教育ものか」と思いました。いわゆる教育映画はがっかりするものが多いのです。まったく期待しないまま試写会に出かけました。ところが、感動しました。見てよかったと思いました。なにしろ帰りには圭二役の倉片陽介くんにわざわざ握手を求めてしまったほどです。

 ある場面では涙もこぼしましたが、そこに魅力を感じたのではありません。この映画には主人公はいません。清純な加藤千尋先生(渡辺梓)も主人公と思えません。登場人物たちの生きている状況が主人公なのです。あるできごとについてだれかが意見をいいます。別の人はそれに対して反対の意見を語ります。そんな対話を通じて教育の問題をさまざまな角度から考えさせてくれるのです。

映画『先生あした晴れるかな』

 小学五年生の同級生三人の家庭はそれぞれ現代の家庭を代表しています。米山圭二の母(范文雀)が夫と別れて二人の息子と暮らす家には愛人も出入りしています。圭二は夜遅くまでデパートに勤める母の帰りを待ちながらさみしく毎日を過ごしています。桜井太の母(岡本麗)は偏差値いっぽんやりで子どもを育てて、毎日車で塾の送り迎えをしています。羽賀克彦の父(江藤潤)と母(萩尾みどり)は「のびのびと自由に育てたい」という方針のもとで育てたので、子どもの塾通いをしぶしぶ受け入れています。どの家庭もとりたてて特別な家庭ではありませんが、そこから現代の問題が見えるのです。

 子どもたちをしめつける社会の姿は、おとなたちの語るコトバから見えてきます。その代表がイッセー尾形の扮する塾教師です。生徒たちを前に、「中学入試で人生のすべてが決まる」と滑稽なほどまじめに語るのですが、観客にとっては笑顔もこわばるほど恐ろしいことです。

 現代の教育問題は根が深いもので、学校が悪い、先生が悪い、親が悪いなどと早急な結論をつけて解決のつくものではありません。この映画では、教師も親も子どもも、どの立場が正しいと絶対化されてはいません。現代の社会はこれぞといった権威のない時代です。教育の世界でも問題は複雑で、どこから手をつけたらよいのか困ってしまうほどです。

子どもの勉強と「勇気づけ」

 そんなとき、今すぐ家庭でも学校でも実行できる教育の方法を教えてくれる本を読みました。すずきダイキチ『どうすれば子どもはやる気になるのか―子どもの勉強「勇気づけ」「親子共育」の実践』(一光社一三三九円)です。すずき氏は出版社の社長ですが教育の本を出版するうちに強い関心をもち、ついにプロの教育者になってしまいました。

 この本で紹介されているのは、親と子を同時に対象にした通信教育「マイセルフ・ホームスクーリング」の理論と実践の記録です。子どもは自主学習と自主管理による算数・数学の学習をして、親自身も子どもとのかかわりで育ってゆくという教育です。

 全5章のうち、第1章では子どもたちの「やる気」がなぜ失われたのか、第2章では現代社会と子どもたちとのかかわりが語られます。第3章のラジオインタビューでは、女性アナウンサーとの対話をつうじて、マイセルフの学習方法や理念がわかりやすく語られています。

 子どもたちの「やる気」が失われた原因の第一は親による「やる気」くじきだといいます。子どもたちは、「ダメじゃない」「ちがうでしょ」「ちゃんとしなさい」などといわれつづけてきています。その結果が自信の喪失です。はしがきには、子どもの好奇心や意欲や行動力が発揮される条件の第一に「子どもが身体的安全と精神的安全を確保すること」があげられています。自信喪失の子どもたちには、まさにこの二つが欠けているのです。そのような子どもたちにお母さんたちが「指示、命令、小言、叱責の言葉」をあびせるのは「対症療法」です。

 では、どうしたらよいのでしょうか。そのような言葉に代わるものが「勇気づけ」です。これは、子どもをおだてることでも、ほめることでもありません。親が子どもの価値をありのままに認めることです。そのためには、親が子どもを、人間として人格として対等であると考える必要があります。しかし、ことばで平等や対等がわかっても、実際に親子の関係でそれを実行するのはむずかしいことです。

 これまで、わたしは「通信」で子どもたちの未来のためにおとなたちこそ変わるべきだと書いてきましたが、実行の方法については手探りの状態でした。ところが、家庭において今からでも実行できる方法が具体的に示されているのです。

 子どもをありのままに見るための基本は「正の注目」と「負の注目」です。多くのお母さんは、子どもたちのマイナス面ばかりとらえて、つい命令や小言をいいがちです。それに対して、著者がすすめるのはプラス面への注目です。親は子どもがあたりまえのようにできていることには、あえて注目しないものです。しかし、子どもが親の手を借りずにできるようになったことはすべて価値あることです。そこに目を向けて認めることが正の注目なのです。そして、それを口に出して語ることが子どもにとって「勇気づけ」になるのです。

子どもと親の「共育」

 わたしがとくに感動したのは、後半の子どもたちと母親たちの成長の記録でした。第4章は「マイセルフ」の教育を通じて成長した子どもたちの記録です。初めは親のすすめでいやいや始めた子どもたちが、計算のプリントを徹底的にやりつくして自信をつけてゆきます。いじめにあって不登校だった中三の女子が自信をもって育ってゆく姿も感動的です。また、第5章で母親自身が通信教育の手紙を書くことによって自分自身を成長させてゆく記録は、親と子がまさに「共育」し合うことがわかります。

 わたしは、この本に登場した子どもたちや母親たちの成長の姿に、まるでドラマを読むような感動をおぼえました。記録として収録された手紙から人間の生き生きした姿が想像できるのです。この教育成果は、第一にマイセルフの教育システムそのものの効果によるものでしょうが、これを考案して実践してきた著者の教育への情熱と愛情の支えがあってこそのものと思いました。


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