コトバ表現研究所
はなしがい147号
1998.10.1 
 わたしが講師をする朗読グループの女性から「皇后がテレビで子どもの本の話をした」という話を聞きました。ずいぶん感動したようすでした。そのうちに親切な人が朝日新聞社のWebページに掲載された話の全文のコピーをくれました。A4用紙約五枚のコピーを持ち帰った夜、ちょうどテレビで美智子さんの英語版の話を聞くことができました。

 正直なところ、どんな政治的な意図があるか気になりました。皇室の報道では写真一枚まで細かいチェックを受けるのは常識ですから、講演ではどれだけ内容をチェックされることでしょう。こんな不景気で暗い時代に何を語るのだろうかと思いましたが、いつか話の内容にひき込まれていました。

 美智子さんの話は、九月二十一日にインドのニューデリーで開催された国際児童図書評議会(IBBY)世界大会の基調講演がビデオに録画されたものです。三年前から予定していたのが、インドの核実験という政治的な問題から行けなくなったのでビデオで送ったのだそうです。

 題名は「子供の本を通しての平和――子供時代の読書の思い出」というもので、テレビ放送で五十五分の内容でした。話の目的については、「自分の子供時代の読書経験をふり返り、自分の中に、その後の自分の考え方、感じ方の「芽」になるようなものを残したと思われる何冊かの本を思い出し、それにつきお話ししてみること」と述べています。

●美智子さんの読書経験

 紹介された本はすべて疎開中の小学校高学年のころに読まれたものです。話は小さなときに印象に残った「でんでん虫の話」から始まりました。それから紹介されたのは、倭健命(やまと・たけるのみこと)と、その后(きさき)である弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)の話、つづいて「日本少国民文庫」に収められた「日本名作選」と「世界名作選」、そして、ロバート・フロストの詩「牧場」でした。

 話全体には皇后というワクからはみ出た美智子さん個人が感じられましたが、神話の紹介については気になることがありました。荒れた海を静めるために、夫である倭健命の犠牲となって入水した弟橘比売命の行動について次のように語ります。

 「弟橘の言動には、何と表現したよいか、健と任務を分かち合うような、どこか意志的なものが感じられ」(中略)「愛と犠牲という二つのものが、私の中でもっとも近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた」

 わたしたちはかつての美智子さんが皇太子と結婚するまでのいきさつを知っていますから、この発言を美智子さんの人生と重ね合わせて考えたくなります。そして、また日本の女性の歴史的な立場を象徴する内容とも考えられます。

 わたし自身にも、似たような本との出会いがあります。子どものころ読んだミレーの伝記で、ありありと覚えている一場面があります。

 農家に生まれたミレーが幼いときから絵を描く才能を発揮して、村での勉強を終えてからパリに出ます。ある画商の店先のウィンドウの前に立って、都会で流行の絵を見物します。金持ちの趣味に合うような派手な裸体画を見てミレーは幻滅します。そこの表現に「かじりかけのリンゴを水たまりに投げ捨てました」という意味の一行がありました。今でも、水たまりに落ちたリンゴのイメージが、わたしにはあざやかに残っているのです。

 もしかしたら、それは子どものときに形成されたイメージではなく、大学に入学するために上京したり、何か新しいものに出会うたびに繰り返し自分の価値観を形成しなおして来た記憶なのかもしれません。わたしには、美智子さんの弟橘への思いも、同じように形成されたもののように思えるのです。

●「悲しみ」と「喜び」

 子どもたちと本との関わりで語られた内容では、本が人生の「根っこ」と「翼」をくれたということばが印象に残りました。しかし、全体が「悲しみ」の発見という沈んだ調子だったのが気になりました。

 最初に語られた「でんでん虫の話」が「悲しみ」の発見の原点です。あるときでんでん虫が背中のカラいっぱいに悲しみがつまっていることに気づきます。そこで仲間たちに聞いて回ると、みながみな同じように「悲しみ」を背負っていることを知らされるという話です。それに続いて、ケストナー「絶望」、ソログーブ「身体検査」など、どれも「悲しみ」をテーマにした作品が取り上げられています。また、それらの本が疎開中のもののない時代の少数の貴重な本であったことも強調されました。

 「悲しみ」や「苦しさ」の強調はうっかりすると、そこに感情を引きとどめてしまいます。大切なのはそこから先にすすむことです。たしかに「悲しみ」も子どもが知るべき感情の一つですが、それに対置された「喜び」こそ、もっと意識的に子どもたち自身が味わうべき感情でしょう。

 わたしが気になったのは、美智子さんの語る「喜び」の生彩のなさでした。例にあげられた「牧場」の詩についての解説も、わたしには十分な説得力を持たないものでした。また、「喜び」の発見の例として、「春の到来を告げる美しい歌」としてあげられた短歌が引用されないことも不自然でした。

●「少国民文庫」と子どもの本

 話のあとで、わたしは美智子さんのあげた「少国民文庫」のことを考えていました。このシリーズは戦争の時代に子どもたちを理性的な方向に成長させようとする良心的な出版事業だったと記憶しています。その中で今も手軽に読めるように出版されている本もあります。わたしが読んだ本では、山本有三『心に太陽を持て』(新潮文庫)、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)、里見トン『文章の話』(岩波文庫)が、それだったと思います。

 最近、児童文学にくわしい知人から、児童文学にも古典とよべる作品群があるという話を聞きました。日々、新しい作品が出版されているけれども、何よりも古典として評価の定まった作品を読むことこそ重要だというのです。また、すぐれた児童文学は、子どもだけが読むのではなく、おとなも読むべきだとも言われました。「どんな人間の心のなかにも子どもがいる」ということばも聞いた覚えがあります。わたしも、子どものために書かれた作品であっても、おとなが読むべき作品であるなら、これからも関心をもって読んでみたいと思っています。


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