Masashi Sada Live Concert 2000 at Royal Albert Hall

2000.6.22 ロイヤルアルバートホール
開場 18:30  開演 19:30

第一部(開始19:42)

「多情仏心」
「案山子」
「関白宣言」
「Pineapple hill」
「前夜」
「飛梅」
「フレディもしくは三教街」

**一部終了(20:38)〜休憩**

第二部 (開始20:58)

「北の国から」
「主人公」
「The Day After Tomorrow」
「ふるさと」
「秋桜」
「無縁坂」
「精霊流し」
「奇跡」
「青の季節」
「まほろば」
「修二会」

EC1

「防人の詩」
「風に立つライオン」

EC2

「夢の夢」
主催:FUJI INTERNATIONAL PRODUCTIONS(UK)LTD
制作:鰍ウだ企画/フリ−フライト
企画:潟zワイトページ
旅行主催:潟Gンターテインメントワールド
協力:JTB
   ジャーニー編集部
   ALL NIPPON AIRWAYS
   ANA WORLD TOURS
   CREATIVE TOORS LTD
協賛:高取育英会
特別協賛:Panasonic










<感想・・・ネタバレ注意>

*ロイヤル・アルバートホール・・・<アルバート公を記念して建てられたホール>
1871年完成。外周400mの大きな赤レンガのドームがある。ドームの上部の彫刻は、芸術と科学の勝利をモチーフにしており、ホールはクラシックのコンサートにふさわしい凝った造り。毎年7〜9月に開催される、BBC協賛のプロムナード・コンサートは世界的に有名。
〜コンサートプログラムより〜
ヴィクトリア女王が夫君アルバート公に捧げた記念会堂として1867年から1871年にかけて建てられました。1960年代後半に改装されてから、クラシックやポピュラー音楽のコンサート、スポーツイベント、舞踏会、様々な祭典が行われるようになり、ビートルズ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ディープパープル、エリック・クラプトンと行った多くの一流アーティストがコンサートを行いました。
高さ40.4m、奥行き80.5m、幅70.5m、周囲400mのロイヤルアルバートホールは、130年もの間、国民的な集会所であり続けています。ホール正面には、典型的なイギリスの音色と音質を持つパイプオルガンがあり、ヴィクトリア朝時代の雰囲気に満ちています。また、座席数は5,000を超えますが、最高9000人収容した記録が残っています。


始まるまで
ホテルから旅行会社の送迎バスに乗って、ケンジントン・ハイ・ストリートを通ってアルバートホールまで約15分。午前中は陽が差していたけれど、夕方から小雨まじりの肌寒い日でした。開場までの時間を震えながら待っていると、イギリス人のテレビクルーらしき数人が行列の様子を録っていました。各入り口には、まさしさんの写真入のポスターが貼ってありました。
チケットは各バスの中で配られ、席はくじ引きで決まりました。号車ごとだったので、アリーナ席が配られた号車もありましたが、バラバラに近い状態でした。(全員がいい席をもらえるわけもないですが、同じツアー料金なのにどうしてこんな割り当てになったのか不思議でしたが、理由は後で判明しました。)
アルバートホールの座席は、真ん中のフラットな部分全部がアリーナ席、スタンド席はステージを真ん中に右からM、L、K・・・私がもらった席はスタンド席のL10列(10列はスタンド席の最後部に近い)でしたが、前日念の為に、友人3人で並びの席を買っていたので、あてがわれた席ではなくM5列に座りました。ステージを右前方に見る形でしたが、まさしさんを見るにはバッチリでした。

ホール内は、歴史が感じられるある重厚な造りで、ステージ中央奥には、大きなパイプオルガンがありました。アリーナ部分は想像していたより小さかったのですが、すり鉢上にぐるりとスタンド席、ボックス席、天井桟敷が囲んでいました。
ステージも意外に狭く見えました。楽器セッティングから見て、左端が倉田さん、その右隣り奥が宅間さん、右端が岡沢さん、その後ろに川瀬さん、中央に石川さんといった感じになるのでしょうか。AP席には、和田さんのほかに繁理さん、カメラマンの森田さんが座っているのが見えました。
ステージの頭上の左右に、大きなスクリーンが用意されていたのでビックリ。スクリーンには、フジTVの目玉マークが大きく映され、FIPというロゴが入っていました。席まきされたプログラム見ると、主催がFUJI INTERNATIONAL PRODUCTIONS(UK)LTDとあり、つまりこれがFIPだとわかりました。

送迎バスの中では「ホール内の写真撮影は禁止」と言われていたのですが、誰かが撮りはじめたら後を追うようにほとんどの人が撮り出し、とくにホール側からの警告もなかったこともあって(確か、その場ではなかたと思います)まるで無法地帯状態になってしまいました(A^^;) きっと撮影は禁止だろうと思っていたので、ホール外だけを撮るためにレンズつきカメラしか持っていかなかったのが残念。デジカメを持って行っていれば、中の様子をごらんいただけたのに(A^^;)
観客はほとんど日本人でした。ツアー参加が、約410名。ツアーではなく個人参加の人もいらっしゃったようですが、それを除くほとんどが在英の方たちでしょう。外国人(あ、外国人は私達か(爆))も、少しは見えました。日本人の友人に連れてこられたのかな。
ロンドンで売られていたチケットのチケットは、A席40ポンド、B席35ポンド、C席32ポンド、D席28ポンド、E席23ポンドでした。私達が個人的に買った席が35ポンド。1ポンドがだいたい180円ぐらいだとして、チケットは日本とほぼ同じでした。チケットは完売に近い状態で、私達が買ったときも10枚ぐらいしか残っていませんでした。ちなみにツアーで割り当てられた席はC席でした。

始まるまで時間があったので、じっくりとプログラムを見ることができました。表紙は、「季節の栖」の衣装でギターを抱えてにっこり笑うまさしさん。たぶん、コンサート中に撮られたものでしょう。カメラ目線でないから。パンプキンカラーのシャツに茶の太いレジメのネクタイ、確か三郷のコンサートでも着ていました。パンプキンカラーのシャツがとても可愛いかったのに、そのあとあまり着ていらっしゃらないようで残念です。開くと左側に「季節の栖」のアンコールの衣装を着たまさしさんのアップ、右にロイヤルアルバートホールへの想いが綴られています。一部分ご紹介しますね。

一生に幾度も経験できない『大切で奇跡的な』一瞬があるとするなら、ロイヤルアルバートホールの「一曲目」はボクにとってそれだろう。
確かに「人間」としてはもっと凄い一瞬に出会うに決まっているが、「音楽家」としてなら、これ以上はそうそうあるまい。今、自分に願うのは「日本人として」はずかしくないコンサートをやれよって、事だけである。
こんな思いでステージに立つ男が居る。
それだけ、心のどこかに憶えておいて欲しい。
さだまさし

中には、「Pineapple hill」「フレディもしくは三教街」「天までとどけ」「秋桜」「主人公」「つゆのあとさき」「風に立つライオン」「防人の詩」の歌詩が書かれていて、その下に英訳の歌詩が書かれていました。私の後ろの席の日本人男性(在英だと思われる)が、「英語で読むと面白い」と言っていました。簡単なバイオグラフィ、ディスコグラフィもちゃんと紹介されていました。まさしさんの写真もふんだんに使われていて、ドキッとするほどのドアップもありました(*^^*)「さださん、自分の顔に自信が持てるようになったのね」と、いつか誰かが言っていたけど、とてもいい表情をしていましたよ。
一緒に、雅楽演奏者の唐橋在倫(からはしありみち)さんの紹介パンフレットが添えてありました。

*唐橋 在倫(からはし ありみち)
1967年(昭和42年)京都生まれ。1991年に独協大学法学部卒業後、國學院大学神道学専攻科で学び、1992年に新宮神社奉職、現在は轄n謌迚p会取締役をしておられるそうです。年2回、宮中でご前演奏会に出演、京都蹴鞠保存会会員として、京都御苑で春秋一般公開時に出演、宮中月次御歌会に詠進するなど、多彩に活躍されていらっしゃいます。
パンフレットにあった唐橋家の歴史を見ると、「菅原道真公から6代目の子孫にあたる、定義公と藤原実方公の娘の間に生まれた在良公が家祖である」と書かれていました。まさしさんと菅原道真の縁が、また深くなったような。


いよいよ、第一部
予定の時間より10分以上遅れて、パイプオルガンの上?に真っ白い装束の唐橋さんが現れ、笙とひちりきを用いての演奏が始まりました。無学のため、唐橋さんが何を演奏されているのかさっぱりわかりませんでしたが、「君が代」のようにも聴こえる部分もあり、日本古来の音楽「雅楽」というものを堪能させていただきました。かなり日本を強調した始まり方にビックリしましたが、これも海外ならではの味わいかも知れません。
真っ白なスーツで現れたまさしさん、白は昔からまさしさんの好きな色ですが、唐橋さんと同じ白で、まるでまさしさんも「神官」になって現れたように感じてしまいました。ストライプの入った白いワイシャツに、まさしさんにしては珍しい(?)紫のネクタイ、そして白い靴でした。

「多情仏心」
「案山子」

クレーンのカメラが、まさしさんの姿を追って、スクリーンには何度も、まさしさんの笑顔が大きく映し出されていました。まさしさんは、午前中にホールに入って2回リハーサルをされたそうですが、2回とも音合わせ程度ではなく、特に二部の部分(弦が加わる)はしっかりと歌われたのだそうです。「だから今日は3回目」とおっしゃっていました。(詳しくは、トークショーでレポします。)
それから「6時に始めても9時に終わらないのに、7時半に始めて今日中に終わるんだろうか」の言葉に、思わずうなづいてしまったσ(^^)(笑)
「まさしさん、頑張って〜!」という黄色い声(笑)に、「頑張っているのよ、これでも。頑張っている人に『頑張れ』って言うのはね、溺れている人に石を抱かせるようなもんよ」と、でも嬉しそうに言葉を返されました。

「関白宣言」

ラストの「ラ〜ラ〜ラ〜、ラ〜ラ、ラ〜ラ」を引張るまさしさん、客席も手拍子で参加。ノリノリで3回ぐらい繰り返したんじゃないかな。だんだんスピードが速くなり、宅間さんのマリンバも注目の的です。客席から指笛や感嘆の声があがり、「宅間さーん」と名前を呼ぶ人も。「20年まえのヒット曲で、なんでこんなに疲れなきゃいけないんだ」>まさしさん。いや〜、ほんとにお疲れさま!(笑)
23年前、ロサンゼルスでレコーディングをした帰りに一人でロンドンを旅して、そのときホテルで子供の頃のふるさとの夏祭りの思い出を物語として書いた。それを、去年児童書として書き直して出版した途端に、ロンドンのコンサートが決まったので何か不思議な因縁を感じると話されました。(「ふうせんのはか」は、当時ファンクラブ会報に「泣いた赤鬼」というタイトルで発表されていました。)
それから、若山牧水の短歌「はつとして我に返れば南北の冬草山を我歩みおり」を引用されて「たった一人で藪の中を歩いていると思っていたけど、ほんとみんなが見守ってくれているんだなぁ」とも。
「ロンドンヘようこそ!」今度は若い男性の声です。まさしさんは「ロンドンへようこそか、ロンドンへようこそ、あ〜いいなぁ」としみじみと感慨深げにつぶやいておられました。
「自分のために歌う」と言ったときのまさしさんの笑顔、今まで見た中で一番晴れ晴れと、そしてとても幸せそうでした。私まで幸せな気分になってしまいました。

「Pineapple hill」
「前夜」


「日本でも今頃、眠い目をこすりながらインターネットで見ている人がいるんだなぁ」と言う言葉に、私のすぐ後ろの男性が「ヘェーッ」とビックリしていました。日本は真夜中なんですよね。でも、きっとみんな、めざまし時計をセットして起きて見ているんだろうな。このコンサートの感動を、日本の友人たちも感じているんだろうなと思うと、ロンドンと日本の距離を忘れてしまいますね。インターネット配信は、すごいことですよね。
静かな曲が続いたので、「日本から来たばかりの人が眠くなる(笑)」と気遣うまさしさん。「寝ている人がいたら、クッと蹴ってあげて。でもロイヤルですから、(回りに)気づかれないように」って、仰っていました(笑)
ロンドンは日没が遅くて(9時半ぐらいでした)旅行客にとっては、一日たっぷり遊べて、短い滞在日数でもロンドンの町の素晴らしさを見ることができます。22日、日本は夏至だったんですが、ロンドンは日本よりもずっとずっと昼が長かったです。ホテルに23時前に帰ったことなんてなかったです(A^^;) でも、日の出も早いんですよ。毎日、睡眠時間は3時間ぐらいでした。
「日本から、僕と一緒に400人以上の人が来ている」というまさしさんの言葉に、会場のあちこちから驚きの声があがっていました。

「飛梅」
「フレディもしくは三教街〜ロシア租界にて〜」

第二部
幕がないので、ストリングスの人が入ってきて渡辺俊幸さんがスタンバイするまで全部見えます(笑) 聞きなれた「北の国から」も弦が加わると、音に厚みがでていつも以上に気持ちよく聞こえます。

「北の国から」
「主人公」


第二部の衣装は、上着の襟のふちがキラキラがした(ビーズ?ダイヤ?)黒のタキシードスーツでした。「だんだん派手になります(笑)」と仰ってましたが、アンコールの衣装が楽しみです(笑)
「時々海外でコンサートをするけれど、イギリス人のダフ屋がウロウロしているとは考えもしなかった。このへんに居てくれたらいいな、そんな気持ちだったんだけど、なんだか勇気が湧いてくるよ」と仰っていました。確かに、チケットは完売状態だったんです。翌日のトークショーでまさしさんが話されたのですが、このホールのほとんどの座席は「年間予約席」で、主催者側で自由に販売することはできなかったそうです。打診をして返事がきたところの座席しか売ることができなかったので、席の割り当てもバラバラになってしまったようです。前の方の席が空席だったのは、返事が来なくて手がつけられなかった席なんですというようなことをおっしゃってました。こういうシステムについて勉強不足なのですが「オーナー」に対するマージンみたいなものは発生したのかな。それがちょっと心配になりました。

ロンドンに来て、秋に出すアルバム「日本架空説」の中の5曲をレコーディングをされたそうです。
ビートルズに敬意を表して曲を作った「THE DAY AFTER TOMORROW」。「イエスタディ」に対抗して「明後日」にしましたと、笑わせていらっしゃいました。レコーディングは20日に済んでいたけれど、まだ歌詩ができていなかったから昨日徹夜して書いたと仰ってました。 レコーディングは、エアスタジオとビートルズのホームスタジオだったアビーロードスタジオの2ヶ所でされたそうです。実は、エアスタジオアビーロードスタジオを探して行ってきました。アビーロードはビートルズのレコジャケで有名なので、旅行ガイドブックにも載っていますが、エアスタジオは探すのにちょっと手間取りました。エアスタジオ(教会だった建物)の写真は、失敗しました。詳しくは旅日記でレポしますね。

「THE DAY AFTER TOMORROW」

この歌、涙ウルウルで聞きました。とってもいい!「今日は昨日の続きだったけど、明日流れが変わるかもしれないじゃない。明日まで生きてみようよ」というフレーズに励まされました。
「明後日っていうのは、僕にとって自分を支える大事な一日。「イエスタディ」のパロディみたいに受け取られたかも知れないけれど、そういう思いで作った曲だ」と仰ってました。

「ふるさと」
「秋桜」

日本の四季の話題で「梅桃桜辛夷連翹雪柳・・・」と始まり、同じ話を繰り返そうとするまさしさんを、宅間さんが止めてくれました(笑)「どんなにつらい冬でも必ず春が来る、この考え方が日本人を支えてきたんじゃないか」という言葉に納得。冬の季語「三寒四温」が響きがフランス語みたいで好きと、サンカンシオン、サンカンシオンとフランス語っぽく何度も繰り返されました(笑)
「私達には私達の歩幅で歩いていけばいい。胸をはって自分達の真実を貫けば、いつか必ず誰の心の扉を叩く時があるだろう」と仰った言葉に、じ〜んときてしまいました。私もいつもそう思っているのですが、なかなか扉が開かれなくて、ときどき諦めの境地に立ってしまうことが、ままあります。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、明治の初め頃、ニューオリンズの博覧会で日本の工芸品(何かは不明)を見て感動し、「日本には妖精が住んでいる。そうでなければ、日本人は妖精の子孫だ」と言ったこと、その後、日本に住み着いたハーンが書いたエッセイ「仏像の微笑み」を読んでせつない気持ちになってしまったと話されました。
「いい笑顔ができる日本人になりたいですね」とまさしさん。ただ、良い笑顔、けれんのない笑顔と言われているものと、アルカイックスマイルとは違いますよね。仏像の微笑みは、人間の愚かさを知り尽くしたうえの許容、或は諦念から生じてきた慈しみの微笑みではないかと思うからです。ハーンがなぜ、仏像の微笑みに日本人の微笑を重ねたのか、まさしさんのお話だけではなく、もう少し詳しく知りたいと思いました。

「ラフカディオ・ハーン」で検索して見つけたHP主催者の方に、問い合わせをしました結果、ニューオリンズの博覧会というのは、1894〜95年にかけて行われた万国博覧会ということがわかりました。出品されていたものは、日本の伝統工芸品というのみで、詳細は今のところ不明です。
「仏像の微笑み」というのは、「日本人の微笑」または「地蔵」というエッセイと思われます。日本語訳で手に入りやすいものとしては、講談社の学術文庫があり 「日本人の微笑」は「明治日本の面影」、「地蔵」は「神々の国の首都」という本に収められています。


「無縁坂」
「精霊流し」


「無縁坂」「精霊流し」が、このホールに連れてきてくれたと、強く強く感謝して歌いましたとまさしさん。まさしさんの曲にはもっといいものがたくさんとあると思うけれど、一般的に「さだまさし」と言われて思い出すのはやっぱりこれらの曲ですよね。確かに「精霊流し」のヒットがあったからこそ、この日があったと言っても過言ではないでしょうね。
ラストは、一気に4曲。「大丈夫、4曲やってもバラードばっかりじゃないから(笑) 途中で起きるようなしかけになっているから」。このコンサート、まさしさんから見える範囲に寝ちゃう人が多かったみたいですね。翌日のトークショーでも、そのことを話していらっしゃいましたから。確かに、静かな曲は私もグラッと気を失いそうになりました(A^^;) 「歌の時には寝ていて、トークになったら起きてくるヤツ」が多かったのかな(笑)
ここまでで書き忘れていたんですが、ステージ上の左右にはまるでSPかと思うような屈強の現地ボディガードが座っていました。なぜか、ホイットニー・ヒューストンの主演映画「ボディガード」を思い出してしまいましたが、それにしてもすごい警備ですよね。外国って、どこでもそうなのかな??

「奇跡〜大きな愛のように」
「青の季節」
「まほろば」
「修二会」

「奇跡」「青の季節」と続くと、もう涙・・・好きなんですよ。<「青の季節」。ラストの「いつか私が海に帰ったら、あなたのそばにそっと腰掛けてまた初めから愛したい。何度でも何度でも何度でもあなたと」このくだりが、すっごく好きです。メロディも、小さな流れが大きな川になるようで、次第に盛りあがって行くのがいいなぁと思っています。
「まほろば」もラストまでいい声で歌いきりました。「修二会」は、宅間さんはもちろんメンバー全員かなり力が入っているのがわかります。私の席からは見えなかったけれど、ドラムに島村英二さんが入られていました。(スクリーンに映っていました)それから、エレキギターが松原さんでした。
「修二会」のラストのジャーンで幕が下りるような錯覚をしてしまいましたが、まさしさんは大きく手を振ってステージの後に小走りに消えていきました。(私の席からはあまりよく見えなかったのですが)ステージの右側の壁に沿っても座席があって、もしかしたらそのあたりの席の人は、手を伸ばせばまさしさんに届いたんじゃないかなぁ。

再開するまで3分近く、拍手と指笛がこだまするようなアンコール。「まさしさ〜ん」という声も。メンバー紹介のまえに、ストリングスの名前が紹介されました。(聞き取りにくかったれなかった)「ザ・ロンドン・セッション・オーケストラ」と仰っていたようでした。メンバー紹介のあと、「いくよ!」というまさしさんに客席の興奮度も最高潮に達していました。

EC1
「防人の詩」
「風に立つライオン」

アンコールの衣装は、確かに「だんだん派手」になってしました(笑) 二部の上着の袖に身ごろにももっとキラキラをつけた感じ。たぶん、シンフォニック・コンサートで着ていらっしゃったタキシードではないかしら? 前にNHK「ふたりのビッグショー」(加山さんと共演)のときにも着ていらっしゃったけど、ちょうどタバコをやめて激太りの時期だったせいか、窮屈そうに見えたんですが、前のサイズが着られるようになったんですね?(A^^;)
「防人の詩」のイントロがとっても美しかったです。弦が入ると、こんなに変わるのかという感じ。しっとりとして、心地よかったです。
「風に立つライオン」のイントロで、松原さんのエレキギターが唸っていました。エレキバージョンは、去年のWORLD以来ですね。
それから、私はステージに夢中で気がつかなかったのですが、ロンドンで知り合いになった某テレビディレクターの方からお聞きした話では、クレーンのカメラがぐるりと回って客席を撮っていたそうです。そういえば、従来のコンサートでは滅多に無いと思いますが、照明で会場全体が明るくなる場面が何度もありました。コンサートの様子がWOWOWで放送されるそうです。(8月17日予定)
残念だったのは、フラッシュを焚いて写真を撮った人がいたことです。気持ちはわかるんですよ。でも、ライブ中の写真撮影はご法度では?(A^^;) それに「続け」とばかりに、会場のあちこちでフラッシュが焚かれてしまいました。

EC2
「夢の夢」

スタンディングオベーションで迎えられたまさしさん、とっても満ち足りた表情をしていらっしゃいました。「ロンドンでありがとう〜!」という男性の声に、何もおっしゃらなかったのは、胸がいっぱいだったのでしょう。ツアーでは、椅子に腰掛けて歌っていた「夢の夢」。立って歌っていらっしゃるのは、はじめて見たかも(テレビで一度見たかな?)
うん、この歌、やっぱりいいですね!! ロンドンのアンコールには、違う歌が来るのかなと思っていたから、余計に嬉しかったです。ちょっとイントロが、日本のときとは違っていたように聞こえたんですけど、どうだったのかな?
まさしさんは、個人書簡のような歌しか作れないと以前に仰っていらっしゃったけれど、じゃあ、この詩は誰かに向かって書かれているってことかしら(A^^;) まあ、創作において、真実はほんの一握りだと思っています。私もヘタの横好きながら、創作活動をしている(つもり(A^^;))なのでわかります。文芸の世界では、書かれていることのすべてが真実ではないことの方が多いですよね。でも、もしも一握りの真実のモデルがいたとしたら、とっても羨ましぞお!(笑)

終了時間をメモったつもりでしたが、見つかりませんので正確な時間はわかりません。記憶では、終わったのは10時45分ぐらいだったと思います。(正確な時間をご存知の方は教えてくださいね。)
まさしさんは、最後までほんとうに幸せそうな笑顔でした。そして、ほんとうに素晴らしいコンサートでした。ほんとうに「日本人として」恥ずかしくないコンサートでしたよ!>まさしさん。私までが、誇らしく満ち足りた気持ちになりました。
恐る恐る出かけてきたロンドンでしたが、私にとって初めての海外が憧れのロンドンで、そしてそこでこんなにも素晴らしいコンサートを体験できて、ほんとうに行ってよかったと思っています。まさしさんが、ロンドンでコンサートをなさらなければ、きっと一生ロンドンを訪ねる機会はなかったでしょうね。そう、まさしさんに連れて行っていただいたんですよね。まさしさん、ありがとうございました!!(^^)



<うちわ振りかざし隊活動報告(笑) at LONDON>
ツアーで用意された席を蹴って(A^^;)、保険として買っておいた席に、友人と3人並んで座りました。いつもの「うちわ」はもちろん、新作の「ロイヤルバージョンうちわ」(爆)(スパンコールを一つずつボンドで貼りつけた力作です(笑))も持って行きました。階段状になったスタンド席で、後の席との間隔も(高さも)十分にあり、他の人に迷惑にはならないだろうと思えたので、コンサート開始から終了までずっと、うちわを出している(振る)ことができました。ステージとの距離はありましたが、まさしさんには「うちわ」が見えたんじゃないかしら?
スタンディングオベーションでも「うちわ」を振りましたよ(笑) スタンディングは、思っていたほど実行する人が少なくて、もしかしたらツアーの人達だけ?みたいな感じも受けました(A^^;) ロンドンでは、あまりスタンディングはしないのかしら??

それから、なんと!ロンドンでもお見送りしてしまいました(A^^;) (コンサート後の個人行動は、添乗員さんに申し出るだけでよかったので。)そのまま、アルバートホール4階のBARで打ち上げが行われたらしく、結構待たされました。他のメンバーが出てこられるのは見えなかったのですが、ナベさんと宅間さんは発見しました!お二人ともご機嫌が良くて、ニコニコ笑っていらっしゃいました。いい笑顔でした。他のスタッフとチャーターしたバスで帰って行かれました。
その後、喜代子お母様と玲子さん。「ロイヤルバージョンうちわ」を振ると、喜代子お母様も手を振り返してくださいました。ウレシ〜(^^)v 玲子さんは、ちょっとビックリされていたようでした(A^^;)
まさしさんが出てこられたのは、さらにその後しばらく経ってからでした。もう、あきらめて帰ろうかと思ったくらい(A^^;) とにかく寒かったです。
私達が震えながら待っていたので、まさしさんのお迎えにきたワゴン車のイギリス人の運転手さんが(すごく体格のいい人でした。6フィート2インチぐらい?(笑))「寒いから、この中に乗って待っていたら?」と話しかけて来るというハプニングも(笑) きっと可哀想に思ったんでしょうね(A^^;) さすがにご遠慮しましたが。もしも私達が車の中で待っていたら、まさしさん腰をぬかすぐらいビックリされたでしょうねぇ(笑) 「八丈島の娘」に次ぐぐらいの珍事件になったかも(爆)

「素晴らしいコンサートでした。ありがとうございました」と3人でお礼を言うと、まさしさんは「とうとう来たね、ロンドンまで」と笑いながらお声をかけてくださいました(*^^*) それから「おかげさまで、いい想い出になりました。ありがとう」と。私達にむかって「おかげさま」「ありがとう」と仰るぐらい(勿体無いお言葉ですね)まさしさんにとって、とっても充実したコンサートだったんでしょうね。このときのお言葉は、きっとずっと忘れることはないでしょうσ(^^)
こちらこそ、ありがとうございました。>まさしさん

 
もっとコアなレポが読みた〜いという方はこちら(笑)


<追記> *オープニングで、唐橋さんが演奏していた曲は「君が代」の原曲ではないかということです。(「君が代」の原曲は雅楽から来ている。<情報提供:Hさん。)
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