前回の更新からのこと

前回の更新以降のその他雑多なことを抜き出してみました。
他にも増補・改訂・修正を行っている場合もありますが、面倒なのでここには書いてません。

更新は (は)にゃんぴっぴにゃんぴっぴSF系日記更新時刻 ヲレアンテナ または 谷山浩子系はやっぱりまわってるアンテナ*1 で確認できます。
*1:正確には更新時刻ではなく、巡回時刻ですが

その他雑多なことへのリンクは2000年1月28日以降は次のようになります。
その日の最初のネタ
http://www.ne.jp/asahi/kazunori/webpage/etc/YYYYMM.html#mmdd
その日の2つ目以降のネタ
http://www.ne.jp/asahi/kazunori/webpage/etc/YYYYMM.html#mmdd_n
ただし、YYYYは4桁の西暦,MMは4半期の最初の月(01,04,07,10),mmは2桁の月,ddは2桁の日,nは自然数です。

2002年7月から、 amazonアソシエイト・プログラムbk1bk1ブリーダープログラム を利用しています。 また、eS! BOOKSの、みんなの書店竹内一詔の本棚を設置しました。

さくらインターネットのレンタルサーバが安いので借りてtDiaryを使いはじめました。その他雑多なこと(tDiary版)からどうぞ。


2004年7月25日(日)

SL-C860の環境設定をする。
先ずはCD-ROMからターミナルとQPdfをインストール。
ももんが家計簿を使いたいのでSourceForgeからmobo-0.3.tar.gz、Ruby-1.8.0-1_arm.ipkをダウンロードする。
Linux Zaurus で どこでもブログを参考にBoaとServerManagerをダウンロードする。
index.rbからrequireで呼ばれているmoboが見つからないのでフルパスで書き直し。libcrypto.soがないと言われてOpenSSLを落とす。
viを使うにあたってctrlキーがないのは不便なのでZaurus SL-C700設定の記録をみてctrlキーを作る。

2004年7月26日(月)

ももんが家計簿、NetFrontではCSSの解釈に若干の問題があって、設定の分類メニューが表示されず困った。CSSを解釈しないようにしたら、表示されるようになった。明細の編集をするときにリロードしないと編集フォームが最新情報で表示されない問題もあるが、使えなくはない。Zaurus内でboa+Rubyで動かしているから重たいのかもしれないなぁ。
ウクレレ日記 2003 年 4 月からvim6.1香り屋パッチとlibiconv_1.8.2を持ってくる。elvisでは機能が少なくて使いづらいのだ。
キーから漢字入力ができないのでconsoleを変えて見る。SourceForgeからqpe-embeddedkonsole-ja_1.5.0-5_arm.ipkを落とすが、うまく行かない。IMが必要?
朝日ネットのサービス内容を見ていたらユーザID宛てのメールをエラーとして弾いてくれる設定があるのを知る。SPAM多いから早速設定。さてどれくらい減るものか。

2004年7月27日(火)

どうやらSourceForgeで配布しているconsoleでは標準IMEは使えないらしい。
この際なのでQPOBoxを入れて、別consoleを入れることにした。
♪きむらかずしのホームページからqpe-embeddedkonsole-ja_1.6.0-wide3_arm.ipkを、また、QPOBoxも落してインストール。
QPOBoxは使いやすい。ただ、文体が変換結果に引っ張られる気がする。気をつけよう。

2004年7月28日(水)

電源offから戻るとvimが落ちることに気がついた。bashがサスペンド時にシグナルを送っているせいらしい。set +mすれば回避できるということらしい。
set +m するのはvimだけでよいので、Zaurus SL-C750 メモを参考に
function vim () { arg=$*; set +m; /home/QtPalmtop/bin/vim $arg; }
とした。結果はOK。
G-conの企画の出演ゲストの確認。
ユーザID宛メールの受け取り拒否をしたところ、効果は格別だった。毎日60通から80通くらい着ていたのが殆ど無くなった。

2004年7月29日(木)

Zaifを入れてみた。ももんが家計簿がローカルで動かすと遅いので使って良さそうなら移行予定。
G-conプログラムブックとプログレスレポート4号の校正作業をする。

2004年7月30日(金)

週刊スタートレックのピンズ3回目の締め切りが迫ってきたので買出し。なかなか全部は揃わない。

2004年7月31日(土)

秋葉原石丸電気に行き、ポイント還元で東芝のSDカード512MBと液晶保護シートを買う。
SDカードは当初、SanDiskの物を考えていたが、店員の勧めで東芝の物にした。キャンペーンの関係らしい。品質の話をネットで読んでいたこともあり応じた。液晶保護シートはSL-C860の液晶の反射が強すぎて嫌だったので保護シートでごまかそうと思ったのだ。
G-con、ゲスト担当スタッフを交えて、企画の出演ゲストの再確認。
ふるきさん、ふじさわさんと新宿パセラへ。UGAのおかげで谷山浩子が大量の増えたので、歌いに来たのだ。
「歪んだ王国」がアルバムまるごと収録されているのに気がついて全部入れてみたり、「HATO TO MAGI」を歌ってみたり。2時間はあっという間に過ぎた、が疲れた。全部歌える、というか歌ってみたいから、と歌うのは大変だ。
ちなみにUGAの音はちょっと薄っぺらくて残念。浩子さんの最近の歌は間奏が多いのだが、間奏部分で演奏部分の盛り上がりが少ないのが気になる。

2004年8月1日(日)

週刊スタートレックのピンズ3回目分が揃わなかったので買出し。
青山ブックセンターの新宿店の後にはBook1stが入るらしい。まだ準備中みたいなもので、品揃えもほとんど変わらない感じだった。
結局、週刊スタートレックのバックナンバーは紀伊国屋新宿店で見つけることができた。かなり品揃えが良くって、最初からここで買えばよかったと思った。

2004年8月4日(水)

11月から続けていた仕事の納品。一応形になってなにより。

2004年8月5日(木)

工数の都合で休みになる。だらだらとSF大会の仕事。

2004年8月6日(金)

ちょっと残作業があったので仕事。
その後、組織改変などの関係で呑み会。呑み過ぎ、食べ過ぎました。

2004年8月7日(土)

今日から夏休み。
名古屋へ行き、SF大会の企画スタッフ合宿。今度も名龍。いつもながら無理を聞いてもらってます。最終的に企画データが頭に入っているかの確認みたいな合宿だった。

2004年8月8日(日)

G-conの仕事。ゲストへの発送物の確認をする。名前の確認などに他人のノートPCを使わせてもらったのだが、何かうまく使えない。おかしいな、おかしいな、と思っていたら、実は液晶パネルをタッチしていた、という訳。すっかりZaurusに毒されていますなぁ。
名古屋を14時頃出て東京に戻る。空間読書の会第一回講演を見るためだ。
無事、開場前に着いたので近くの公園で涼む。開場のベニサン・ピットは本当に芝居小屋で、初めての経験だった。
さて、「第七官界彷徨」ですが、本当に少女幻覚小説でした。どこから幻なのか、どこまで現実なのか、だんだんわからなくなるのが面白い。
終わってからふるきさんと両国駅近辺で食事。ちゃんこ鍋を頼んだけれど、多すぎました。
帰宅後、「第七官界彷徨」に当てられたのか、熱を出して寝込んでしまいました。

2004年8月10日(火)

とりあえず復活。腹の調子は悪いのだけど。ちまちまとSF大会の仕事をこなす。

2004年8月9日(月)

ロフト・プラス・ワンのロケットまつり2を見に行く。
内容としては、第一弾ロケットの液酸液水エンジンは有効か、シャトル批判、日本で有人飛行を行なったら、といった感じ。
終わってから、松浦さん、笹本さん、野田司令に挨拶をして帰宅。

2004年8月11日(水)

コミケでの差し入れ物とかを買い込む。今年はヒヤロンミニを3つづつ。寒いコミケにはならないような気がするので。

2004年8月12日(木)

SF大会の持ち込み企画のシール企画の直前打ち合わせ。
去年はどのくらい需要があるか、まったく読めなかったので大変なことになっていたが、今年は受付用紙を準備して確実に仕事をこなしたいと思っている。もっとも、竹内は当日はほとんど手を出せないと思うんだけどね。

2004年8月13日(金)

コミケ初日。昼頃に入って興味のあるジャンルをつらつら眺めたり、SF大会でお世話になった人のところへ挨拶にいったり。SL-C860にコミケカタログブラウザを入れて歩いたが、結構使える。
終わってから羽入氏のところで明日の打ち合わせ。いつもより簡単に終わった。欲張らないのと、行くところがほぼ確定しているからなぁ。

2004年8月14日(土)

コミケ2日目。SF関係のサークルが多いので挨拶してまわる。
今回一番の掘り出し物は螢刻堂さんの紙製組立時計。ペーパークラフトで作る振り子時計なのだ。実は2回前のコミケの時に見かけたが既に完売していてチェックしていた。今回、検索で引っかかったので最初に行って購入。紙でふいごと笛を作っていたので次回は時報も鳴るかもしれない。楽しみなサークルだ。さて問題は今回買ったキットをいつ作るか、だな。
UO。すぐ近くの場所が空き地になったので引越し。8×12がとれる。今までが8×7だったのでおよそ倍。これでストレージ不足も解決だ。

2004年8月15日(日)

コミケ3日目。ついに雨。有明で雨のない夏コミはあっただろうか。
雨なので屋外に並びそうなサークルはさくさく切ってしまい、1時間くらいで休憩場所へ。
終了後浜松町の天狗で軽く呑み。

2004年8月16日(月)

グループ会社のスクーリング支援。プログラミングの基礎講座で、演習問題などの補助をする。が、使用言語がCなのは、いかがなものか。
プログラミングの基礎コースで変数の型等、本質的ではない部分で悩むような言語は使うべきではないと思うのだ。今ならLightWeightLaunguageが各種環境で動作するようになって、もっとアルゴリズムやデータ構造のような本質的なところに集中できる。そういう言語を使うべきだと思う。
親からビデオカメラを借る。企画をほとんど見れないので撮影くらいはしておきたいのだ。CanonのFV30だった。
UO。土地の確保しただけではまずいので家を建てる。コンセプトは前回とほぼ同じ。
家財道具なども移し、ベンダーもお金を回収して解雇。前の家にはルーン配布ベンダーを残して、ほとんど解体。

2004年8月17日(火)

G-conがせまってきた。あれやこれや、とやることはいっぱいあるのに、全然できてない気がする。まさに時間ねぇー
ビデオカメラには三脚もいる、ということで三脚を購入。どうせ年に数回しか使わないのだ、と安いものにした。ついでに80分のミニDVテープを6本。1.5倍モードなら120分撮れるので企画時間まるごとOKだろう、ということで。

2004年8月18日(水)

UO。前の家を完全解体。

2004年8月19日(木)

明日から岐阜入り。シール企画のためにプリンタの準備や着替えなどを用意しているうちに夜も更ける。

2004年8月20日(金)

いつもとほぼ同じ時間に目を覚まして準備。終わった頃には通勤ラッシュ。さすがにプリンタ抱えて電車には乗れません。迷惑以外の何物でもないし。
少し時間をつぶしているうちに先に岐阜入りしている人から電話。神北さんからの伝言で、プリンタのインク持ってきて欲しいとのこと。まだ東京と言ったら仕方が無いので買出しに行ってくる、とのこと。大変申し訳なかった。
新幹線を使って会場入りしたのは14時頃。ひたすら会場設営をする。一部の部屋が使えるのは19時を回ってから、ということで少し休みが入ったりしたが、ほぼ働きづめ。21時に会場を追い出されて、CON-PACKの前泊。
既に神北さんがシール屋さんを開設して忙しく企画シールやゲストシールを作成中。しばらく休憩を取ってから風呂。そして夜食を食べに行き、戻ってから寝る。明日は本番だ。

2004年8月21日(土)

8時から会場入りできるので入って会場設営の続き。元ディーラーズルーム担当で、現在ゲスト担当のスタッフが、ディーラーズルームの配置図とタイムテーブルの看板を作っていた。ゲスト控え室の準備とかやらないといけない仕事があるはずなのに、と思ったところへミツルんがやって来た。立っている者は親でも使え、とばかりに仕事をミツルんに押し付けてしまった。ありがとう>ミツルん。
そんなこんなで気がついたらオープニングが終了。大会議室のフロアチーフ代理として仕事へ。大会議室フロアチーフの中根さんは最初の1枠は別フロアで企画出演中なのだ。
一枠目なので当日スタッフも勝手がつかめず苦労している。ある程度軌道に乗るまでは各部屋を見ていたが、無事回せそうと思ったところで、他の企画部屋で問題がないか確認しつつ、本部へ戻り報告。「海底牧場707番地の2」は立ち見が出る程の好評、もう少し大き目の部屋にしておけば良かったと思ったが仕方がない。
大会議室へ行き、企画終了の確認。次はファーストコンタクトシミュレーションなので大幅にレイアウト変更をする。中根さんが戻ってきたので引継ぎして本部へ一旦戻る。
本部に戻ったが、トラブルの芽があったら行って対処する、ということを続けていたらあっという間に1日目終了。「すごい科学で守ります」の入場待ちで大変なことになっている、と連絡があった時はびっくりしたけれど、ちゃんと列になっているのを見てほっとしたり、「文学とコスプレカルチャーの間2」が押して翌日の「SFヘキサゴン」の仕込が完了しなかったのが本日の一番の難所だったかな。
「まるいち開発室3」はホテルの宴会場を借りて行なったので人出が心配だったが、それなりに入っていたようで一安心。もう少し広報に力を入れていればまだ増えただろう、と思うとプログラムブックに書き下し漫画を提供して頂いたのに申し訳ない。柳原 望さんへの漫画原稿は大会当日に返却ということにしていた。プログラムブックの編集チームに預けたままだったので、いい機会なので会ってもらおうと思っていたが、引き取りに現われなかった模様。企画の中心となって動いてくれた人に連絡して明日取りに来てもらうことでお願いをする。
野田大元帥が廊下を歩いているのを見て、何か企画に出て頂けないか、皆で相談して「新訳レンズマンの部屋」がいいのでは? ということになった。東京創元社の小浜徹也さんと相談して出演をお願いしたところ、了承していただけた。
CON-PACKへ戻り、シール企画の人達と食事へ。一日目の反省を色々聞くが実際に自分でやっていないので実感が薄い。来年シール屋さんに参加する際の参考にしておこう、とは思う。
CON-PACKの宴会場でしばらく交流を楽しんで寝る。まだ一日残っているのだ。

2004年8月22日(日)

CON-PACKの鵜飼を眺めて会場入り。準備などしているうちに気がつくと企画が始まる時間。
野田篤司さんからJAXAポスターを受け取ったりしながら企画部屋へ。野田さんの手腕はよく知っているので準備が終わったところで本部へ戻ることにする。次の枠は自分の司会だ、準備せねば、という訳。
警備隊長からGURE GROOVEの部屋が凄いところにある、と聞いて慌てて向かった。ああ、これは分からないや。企画主催の尾山さんに平謝り。もう少し分り易い場所を提供できれば良かったんだけど。
あっという間に集合時間。ゲスト控え室に行くと野尻抱介さんは来ていたけれど林譲治さんが来ていない。時間はあまりないので、とりあえず野尻さんを会場へ。林さんを探しにいこうとしたところへ林さんが現れ一安心。聴衆の中に小川一水さんがいて、林さん、野尻さんから飛び入り参加してもらおう、との声。こちらとしてもうれしい話なので、是非とも、とお願いして出て頂けることになった。
企画そのものはかなり脱線したが、脱線の内容が面白かったので良かったと思っている。当初予定していた内容はほぼ聞くことができたので企画立案者としても満足。大受けこそしなかったが、何人も部屋を出て行くようなこともなく、良かった。ビデオには記録したので、後で反省会を持ちたい。
最後の枠は宇宙作家クラブの「ライブ国産のロケットはなぜ墜ちるのかvs宇宙へのパスポート2」。野田司令が出演者席に座っていたので聞いたところ、江藤巌さんは病欠とのこと。お大事に。松浦晋也さん、笹本祐一さんと出演者が揃ったので、後はよろしくお願いして、SFイラスト登竜門へ。こっちは出演者がいなくて慌てて探しに行くことになる。開始時間には全員到着したので一安心。
ひとまず本部へ戻って何か起こっていなければ「イラスト登竜門」を見ていようと思ったのだが、怪我人発生、という知らせが入り、武田警備隊長と向かった。階段で足を滑らせて捻挫したらしい。隊長が湿布などの応急手当をして、病院へ行くように促している。お大事に。
インフォメーションブース担当スタッフにつかまってしまった。日本通運が荷物の受け付けブースを15時から準備するので立ち会って欲しい、とのこと。待ってみたが中々来ない。まぁ5分10分は仕方がない、20分経過しても来ないのはおかしい、連絡してもらったところ、待機していたらしい。
企画が終わるので、そそくさと各企画部屋へ行き挨拶だけして、閉会式へ移動してもらう。閉会式の間に撤収作業。
閉会式が終り、一般参加者が帰っていくのを見送っていると大会終わったなぁ、と思う。まだ仕事は残っているけど。
19時頃には最低限まで片付けて打ち上げ。ルネッサンスホテルでバイキング。2日間頑張ってくれた名古屋大学の学生からも会費を取るような話をしていたので一人分は持ったが、ふじさわさんから「先輩の先輩だしね」と言われる。そういう訳ではないのだが……。
散々食べ、一休みしてデザート、と思ったらもう店仕舞い。コーヒー位しかない。がっかり。
CON-PACKの後泊で馬鹿話をしながらゆったり。そのうち一人二人と沈没していくので寝る。

2004年8月23日(月)

目が覚めたが朝食までちょっと時間があったので朝風呂に入り、2cchをチェック。概ね好評だったようだ。暗黒星雲賞のリストも出ていて、企画部門ではSFヘキサゴンが受賞。やなぎさわさん2冠かぁ。シール企画が次点。残念と思ったが、良く聞いてみると台紙の日付が2003年だったためらしい。
朝食を食べ、宿を後にする。あいにく雨の中、今日は核融合科学研究所の見学だ。ふじさわ号に乗せてもらって移動したのだが、乗って5分で沈没。考えてみればこの3日間ほとんど休みなしで12時間勤務していたようなものだったなぁ。
で、核融合科学研究所。ひたすらビデオ片手に録りまくり。後で見る人のことなんか考えてない録り方だったと思う。どこか見慣れた制御室、スケール感を狂わせる巨大設備。やっぱり実物を見るというのはいいものだなぁ。
ちょっと遅め昼食を名古屋エスカの山本屋本店で味噌煮込うどん。なるほど、こういう食べ物なのか。鍋焼うどんのイメージでいたら全然別物。他の地方では食べられないなぁ。
腹ごしらえしたところで沼津へ。途中何度かの休憩をとったが、そのうちの一つ、日本平で、面白い自動販売機に遭遇した。コーヒーのカップ自販機だが、中にカメラが仕込んであって、豆をミルに投入するところや、ドリップするところなどが液晶モニタに映されるのだ。BGMはコーヒールンバ。だが、その場にいた全員の印象はやはり「サンダーバードかウルトラシリーズ」なのだ。BGMも揃えて、どこかのSF大会でやらないかなぁ。売上倍増だよ。
沼津に来たのだからさかなや千本一。相変わらず量たっぷりの定食だ。
東京に向かって再出発したのだが、神北さんは疲労のピークに達したため、パーキングエリアで寝てから帰ることになった。ふじさわ号で家に送ってもらったのが夜中の3時。明日から仕事だ。

2004年8月24日(火)

疲れて仕事になりません。
一歩さんの日記で自分のやった企画の感想を読む。そっか失敗かぁ。ツッコミ不足というのはいなめない。司会者の力不足というのは確かだ。もっとも、企画主催者としては、十分楽しめたので、そういう意味では成功なのだ。

2004年8月26日(木)

「ST VOY(2)」[amazon]購入
SF大会で撮ったビデオのメディア変換を試みた。
DV端子でPCと接続してUlead Video Impact 6で直接MPEG変換、と思ったが、エラーが出てしまい、取り込めなかった。AVIとしては取り込めるのだけどね。

2004年8月27日(金)

G-conも終わったから、と少人数でお疲れさん会。招集をかけたのが元T-conスタッフ向けの掲示板だったのでそういう人だけが集まる。G-conスタッフ2名、シール企画スタッフ2名、一般参加2名の総勢6名。北牧場でジンギスカンを食う。今年の大会はなんとかなったね、とか来年、再来年の大会はどうなるだろう、とか話しながら食べ、満足。その後、カラオケ行って、少し飲んで解散。
東京方面のG-con関係者であらためて慰労会みたいなのはやらないとね。

2004年8月28日(土)

JAXAの宇宙科学研究本部の一般公開日で見学に行く。
あいにくの雨の中、子ども達はペットボトルロケットの打ち上げに供じている。
ISASに来たらこれだけは見ないと、と思ってレールガンのある会場へ。ところが電磁推進研究室でMUSES-Cのイオンロケットの地上試験モデルが展示されていたのでじっくり見せてもらう。推進剤はキセノンだとか、タンクが一個だけとか、ノズル部分にカーボン-カーボン素材が使われているとか、聞くことができた。今はもっと低価格な推進剤を使うための研究をしているそうだ。
レールガンを見に行く。先端にアルミ箔を丸めた物を詰めて打ち出すのだが、ほんの数cmで火花が出る位まで加速するのだから凄い。
熱真空試験を終了したASTRO-E2を眺めたり、ソーラセイルを眺めているうちに時間切れ。
新宿でDVDメディアやケーブルを買い込む。
SF大会のビデオについてはRD-X2へS端子ケーブルでつないでメディア変換することにした。

2004年8月29日(日)

ワンダーフェスティバルへ行くことも考えたが、行かずじまい。

2004年8月30日(月)

松浦晋也さんがSF大会の捕捉を書いている。明記していないけれど、ロケットまつりの捕捉でもあるのだな。

2004年9月1日(水)

iMac G5発表。今回のデザインは割と良さそうだ。最初のiMacは設置面積の割に画面が小さかったし、この前のは電気スタンドのようなデザインが好きになれなかった。今回のは比較的落ち着いたデザインなのがいい。
Hagaki PC。はがきサイズのPC互換機。バッテリの選択に疑問は残るが、手軽に交換可能にする、という意味では無難なところか。
Googleニュースの日本語版のβテストが始まった。これでディープリンク問題が解決するといいなぁ。
ヤマハから配達記録が来たらしい。不在通知が入っていた。多分猫森集会のチケットだと思う。

2004年9月2日(木)

クレギオン5 タリファの子守歌(野尻抱介)
機動戦士ガンダム戦記LostWarChronicles(1)(林 譲治)
銀翼艦隊(2)(林 譲治)
まんがサイエンス(9)(あさりよしとお)
涼宮ハルヒの消失(谷川 流)
プラレスラーVAN(3)(神矢みのる/牛次郎)
ROD(10)(倉田英之)
強殖装甲ガイバー(22)(高屋良樹)
WILD WET QUEST(士郎正宗)
HELL CAT(士郎正宗)
GAL HOUND2(士郎正宗)
Intron Depot(4)(士郎正宗)
購入。

2004年9月4日(土)

猫森集会のチケット受け取り。
さくらインターネットのレンタルサーバを申し込む。朝日ネットから固定IPもらって自宅でログ収集サーバを建てようと思っていたが、こっちの方が安いし、安定しているだろう、と思ってのこと。数時間後に仮パスワードが発行されてきたのでnniftyに置いていたログ収集cgiを移植する。若干の変更で使えるようになった。niftyに置いていたときより心持ち反応が早い気がする。niftyはwebがというか、cgiを使いたくて一個上の料金設定をしてしたのでこれで下げることができる。
バックアップは各自とれ、とのことなのでmirrorか何かで定期的に落せばいいかなぁ。

2004年9月7日(火)

さくらのレンタルサーバにtDiaryを入れて使おうと思ってあれこれ考えていたが、設定画面から一発インストールが可能だった。下手な考え休むに似たり、だな。
インストールされたtDiaryはこの間安定版になった2.0.0。以前はコードを弄って変えていたツッコミやリンク元の処理も設定で可能になったのはいいことだ。
tDiaryを使う気になったのはカテゴリプラグインによるところが大きい。以前から話題ごとにリンクして、興味のある話題だけ追えるようにしたいと考えていたが、静的リンクでは限界があって、やらず仕舞いだったのだ。
カテゴリならはてなダイアリーがあるのだが、ちょっとあわなかった。1年ほど前に、2ヶ月弱使ったのだ。けれど、自分のスタイルには合わずに更新が止まったままになっている。考えられる理由は、
ドラフト機能は現在あるけど、HTMLのコメントと同じのを使っているため、コメントにしておいて気になる人だけ見ればいい、という使い方ができなくなってしまったのはあんまりうれしくない。[ドラフト]と[公開]のボタンを用意するなどして書いている途中で意識せずに処理したい。cvsのバージョン管理の方法を参考にしてもらえるといいかもしれないなぁ、と思う。そこまでしてしまうと、慣れないと面倒なだけだろうけど。
オフラインで書く機能は仕方がない。でも自分は移動の途中で書いたりすることが多いので、その辺が使い続けられなかった理由の一つだと思う。
データが手元に残らないのは感覚として嫌だ。データさえ残っていればどこででもやり直しできる、という意味でもある。

今後の予定は未定