大坪一子建築設計研究所
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  愛知の建築設計例



愛知の建築 読者のページ 2005.2 2005.3

ル・コルビュジエの建築を訪ねて
Aブドウ畑の広がる田園風景に立つ理想的コミュニティ、
「ラ・トゥーレット修道院」  
大坪一子(社)愛知建築士会・広報委員

ラ=トゥーレット修道院、平面図・断面図
 
@屋上部に十字架がある教会堂

今回の旅は、ル・コルビュジエが両親の隠居のために造った「小さな家」(1923年)の作品に感動したことが始まりでした。年老いた両親ふたりが平穏で元気に暮らせるように細部までの心配りがあり、何と言っても始めに設計を固めて、それに相応する敷地が求められました。ル・コルビュジエは、1965年に78歳で海水浴中、心臓麻痺で亡くなるまで、建築・絵画・著作に巾広い創作作品を残しました。今日、いまだに彼のコンセプトがさまざまに解釈され、虹色に屈折、拡散、実現されています。それは、彼の建築物から、時代を超えて想像力をかきたて、彼の言う「えもいわれぬ空間」を感じとれるからなのでしょうか。

初期の代表作「サヴォワ邸」、後期の「ロンシャンの教会」「ラ・トゥーレット修道院」の作風を見る限り、ル・コルビュジエが大勢いるように思えるほど、多元的で広大な思考・主題が含まれています。「サヴォワ邸」が 白い飛行船なら、「ロンシャンの教会」はコンクリートを粘土のように扱い、不定形の曲面と大きく反った屋根が壁と切り離された生物体のようです。そして、今回ぜひ訪れたかった「ラ・トゥーレット修道院」は、コーリン・ロウが「精神エネルギーという水をたたえた巨大なダム」と表現しています。

パリ滞在3日目、AM8:00 GARE DE LYON(ガル ディ リヨン)発 特急列車TGV(トラン・グランド・ヴィテス)で、L’ARBRESLE (ラルブレル)にPM12:52に到着しました。
「ラ・トゥーレット修道院」は1952年にル・クチュリエ神父の推薦でドミニカ派の修道会より「祈りと学びに人生を捧げた人たちを静けさの中に住まわせる事、教会を建ててほしい。」の依頼がル・コルビュジエにありました。100の僧坊、教会堂、回廊、管区長室、教室、図書室、食堂、厨房で構成されていました。平面的にはル・クチュリエ神父の助言でル・トロネ修道院の理念や、“中庭を囲む共用施設が矩形の教会に接続した”典型的シトー派修道院の平面図を参考に彼なりの解答を表現していました。現在は宿泊施設として管理されており、入館料5ユーロ(700円)でフランス語のみのガイドツアーがありました。


  A礼拝堂(マンドリンの反響箱に似た形)
B礼拝堂から突き出している
<光の大砲>

最初の視界に入ってきたのは、東側アプローチにある開口部のないコンクリートの立方体、屋上部には十字架がある教会堂でした。(写真@)外壁の側面にはコンクリート打放しの曲面で構成された、礼拝堂が取り付いていました。平面的には、耳の形であり、マンドリンの反響箱のようでした。(写真A)唯一、光の取り入る方法が、「光の大砲」と表現された天井から斜めに突きだした突起物でした。(写真B)そこから先に進むと「コの字型」に囲む矩形の建築物が中庭を作り出していました。(写真C)ブドウ畑が広がるのどかな田園風景にコンクリートの砦が斜面に突き刺さる様に建っていました。入口が上階にあり谷の凹みを利用して必要階を順々に下へ配置していき、一番下はピロティーで上層部を支えていました。(写真D)


C「コの字型」に囲む矩形建築物
D西面(教会堂、波動式窓システム、上部修道僧の個室群)

E中庭(上部にアイレベルの横スリット窓)
修道僧の個室は2層に重ねられ、建物の外周りに配置されていました。日除けのついたバルコニーを持ち、裏側(中庭側)の個室に続く廊下には、アイレベルのスリット窓が横に伸びていました。(写真E)
エントランスは3階部分で2層の個室群の下にあり、立方体の教会堂とは、中庭を囲んでいる通路でつながっていました。

通路の中庭側は、全面、窓ガラスとパネルの複雑なパターンが表現されていて「オンジュラトワール」(波動式)と呼ばれる窓割りシステムで、建築家であり後に作曲家となったヤニス・クセナキスの担当で実現したものです。(写真F)モデュロールの比例に従った「音楽的リズム」をかもし出していました。モデュロールとはル・コルビュジエが1943年に開発したもので、人間の身体と数字に基づいて寸法を決定する道具であり、6フィート(183CM)の男性の立位寸法が基準となっており、片手を上げた高さが、226CM、身体の中心の臍の位置が113CMなどの寸法でプロポーションを決定していました。
F通路(コンクリート枠のガラス壁面、波動式)

内部空間は予算もないこともあって、玉砂利の洗い出し仕上げの個室や、パイプやダクトが廊下に露出していました。コンクリートそのままの床でしたが、モヂュロールのパターンに沿って、石張りの舗装風に目地が切られていました。
G教会堂内部

 
圧巻は教会堂でした。中庭に向かって壁一面の「オンジュラトワール」の景色を楽しみながら、たどり着いた先には大きな鉄扉がありました。中軸回転で押し開き、中に足を踏み入れたとたん、厳粛な光が4層分高さの天井周囲のスリットから、差し込み、空間に飲み込まれた思いでした。(写真G)贅沢さのないコンクリートの型枠を外しただけの打放しの巨大な箱空間、光源らしいものはほとんどありませんでした。あえて探せば、最初に眼にした壁と天井の隙間の光、基壇状の台座の上に据えられた祭壇後ろのコーナー垂直スリットであり、西側聖歌隊の席の脇スリット、曲面状にはりだした礼拝堂の、赤、白、青に塗りわけられた天井の3円筒からの間接光だけでした。
 
(写真H)感動的な簡素さ、静けさ、落ち着きをあたえてくれる空間でした。ただ、横にはりついた礼拝堂は敷地の傾斜なりに配置されており、写真を撮ることをためらう空気が漂っていました。一番低い教会堂のさらなる下の闇に位置する礼拝堂は私にとって闇=不安、未知なるものを感じた場所でした。

ここは、修道僧が外部の俗世界からラ・トゥーレットへ入り、見習僧のゾーンから 共用領域へ下り、教会堂へ入り、最後に正式に任命された修道僧がミサをあげる礼拝堂へと到達する、聖職者になる道筋と同じ意味あいをもって計画されました。
ラ・トゥーレット修道院に込められた精神を理解するには、感触、特質を肌で感じるだけでなく、ル・コルビュジエの最初のひらめきの建物であるシトー派修道院とのかかわりを重要視しなければいけません。なぜなら、彼は過去こそが「唯一の真の師」と明言しているからです。過去の歴史をただそのままではなく、注意深く置き換え、抽象化し再現していく彼の作風は、伝統を再認識し、現代と融合することであり、21世紀にも通じる手法と思われます。
私が訪ねたル・コルビュジエ作品は、歴史をふまえ、それらを抽象し、独創的に表現していました。
H教会堂にある礼拝堂
(天井・光の大地からの間接光)



<参考文献>
「ル・コルビュジエ全作品集」・第7巻 ウィリ・ボジガー編 

「ル・コルビュジエー理念と形態」ウィルアム、JR、カーティス著
「ル・コルビュジエ 建築・家具・人間・旅の全記録」
「ル・コルビュジエの勇気ある住宅」安藤忠雄著
「ル・コルビュジエを歩こう」

吉坂隆正訳 
ADA EDITA Tokyo 
 
鹿島出版会 
エクスナレッジ
(株)新潮社 
エクスナレッジ  

愛知の建築 2005年3月号
 
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