Top            『浮世絵師歌川列伝』         浮世絵文献資料館
   浮世絵師歌川列伝           ま行               
 ☆ まさのぶ おくむら 奥村 政信    ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川豊春伝」p76   〝元文延享の頃に至り、浮世絵師奥村政信、油画の法により、山水人物を画きて上木し、大に世に行わる。    これを浮画という。類考政信の條に、俗に浮画とて、名所或は富士牧狩の図、曾我十番切に遠景を奥深く    みゆる図をかき板行せしなり〟>    ☆ まさよし きたお 北尾 政美    ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川国芳伝」p186   〝北尾政美は、鍬形氏、俗称三次郎、杉皐と号し、蕙斎と号す。後に落髪して紹真という。北尾重政の門人    なり。後に中村芳中の画法を慕い、遂に一格を出だして略画式数巻をあらわす。其の画固(モト)より尋常浮    世絵師の及ぶ所にあらず。松平越中侯、嘗て政美をして職人尽三巻を画かしむ。其の図超凡高雅、今我が    博物館の蔵品となる。或る人評して鳥羽僧正以来の名手なりといえり。これ固より過誉に失するに似たれ    ども、其の筆力の非凡なるは、実に他人の企て及ぶ所にあらず。後に松平三河侯に仕う。文政七年三月二    十一日歿す(因に中村芳中は大阪の人、光琳の風を慕い、一格を起す。略筆をもてよく物の形をうつす。    蕙斎が略雅式は全く芳中を学びたるものならん)〟    ☆ またべい いわさ 岩佐 又兵衛    ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川豊広伝」p122   〝無名氏曰く、古えの浮世絵を善くするものは、土佐、狩野、雪舟の諸流を本としてこれを画く。岩佐又兵    衛の土佐における、長谷川等伯の雪舟における、英一蝶の狩野における、みな其の本あらざるなし。中古    にいたりても、鳥山石燕のごとき、堤等琳のごとき、泉守一、鳥居清長のごとき、喜多川歌麿、葛飾北斎    のごとき、亦みな其の本とするところありて、画き出だせるなり。故に其の画くところは、当時の風俗に    して、もとより俗気あるに似たりといえども、其の骨法筆意の所にいたりては、依然たる土佐なり、雪舟    なり、狩野なり。俗にして俗に入らず、雅にして雅に失せず。艶麗の中卓然として、おのずから力あり。    これ即ち浮世絵の妙所にして、具眼者のふかく賞誉するところなり〟    〈この無名氏の浮世絵観は明快である。浮世絵の妙所は「俗にして俗に入らず、雅にして雅に失せず」にあり、そしてそれ     を保証するのが土佐・狩野等の伝統的「本画」の世界。かくして「当時の風俗」の「真を写す」浮世絵が、その題材故に     陥りがちな「俗」にも堕ちず、また「雅」を有してなお偏することがないのは、「本画」に就いて身につけた「骨法筆意」     があるからだとするのである。無名氏によれば、岩佐又兵衛、長谷川等伯、一蝶、石燕、堤等琳、泉守一、清長、歌麿、     北斎、そして歌川派では豊広、広重、国芳が、この妙所に達しているという〉    ☆ もりかず いずみ 泉 守一    ◯『浮世絵師歌川列伝』   ◇「歌川豊春伝」p77   〝(豊春)寛政年間、日光神廟修繕の時、豊春狩野家に従い、町絵職人の頭となり、門人を率いて廟内の彩    色に従事せり、時人これを栄とす。     按ずるに、類考に寛政の頃、日光山御修復の節、彼地に職人頭を勤めしとぞあり。此の時町絵職人の頭     となりて日光に至りしは、豊春のみにあらず、かの本郷の侠客泉守一なども、門人等を率いて赴きたり〟   ◇「歌川豊広伝」p122   〝無名氏曰く、古えの浮世絵を善くするものは、土佐、狩野、雪舟の諸流を本としてこれを画く。岩佐又兵    衛の土佐における、長谷川等伯の雪舟における、英一蝶の狩野における、みな其の本あらざるなし。中古    にいたりても、鳥山石燕のごとき、堤等琳のごとき、泉守一、鳥居清長のごとき、喜多川歌麿、葛飾北    斎のごとき、亦みな其の本とするところありて、画き出だせるなり。故に其の画くところは、当時の風俗    にして、もとより俗気あるに似たりといえども、其の骨法筆意の所にいたりては、依然たる土佐なり、雪    舟なり、狩野なり。俗にして俗に入らず、雅にして雅に失せず。艶麗の中卓然として、おのずから力あり。    これ即ち浮世絵の妙所にして、具眼者のふかく賞誉するところなり〟    〈この無名氏の浮世絵観は明快である。浮世絵の妙所は「俗にして俗に入らず、雅にして雅に失せず」にあり、そしてそれ     を保証するのが土佐・狩野等の伝統的「本画」の世界。かくして「当時の風俗」の「真を写す」浮世絵が、その題材故に     陥りがちな「俗」にも堕ちず、また「雅」を有してなお偏することがないのは、「本画」に就いて身につけた「骨法筆意」     があるからだとするのである。無名氏によれば、岩佐又兵衛、長谷川等伯、一蝶、石燕、堤等琳、泉守一、清長、歌麿、     北斎、そして歌川派では豊広、広重、国芳が、この妙所に達しているという〉