Top          浮世絵文献資料館           
                好色本目録1(浮世絵関係)         柳亭種彦関係      出典 『好色本目録』写本 柳亭種彦著 天保年間(1830-1843)手記      底本 『新群書類従』第七「書目」所収・大久保葩雪校訂・国書刊行会・明治三十九年(1906)刊       ※ 全記事は「好色本目録2」    ☆ えどりほん ゑどり本    ◯『新群書類従』巻七・p149   (『薄雪物語』の項)   〝ゑどり本とは墨にて摺りたる上を、丹、緑、青の藍の類を筆にて彩色したるをいふ〟    ☆ きよのぶ とりい 鳥居 清信 初代    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝【好色】夕顔利生草 絵入 半紙本五冊 元禄十七年(1704)印本    夕顔観音の利生にて、父の仇を討ちし物語にて江戸作なり。夕顔観音の事、予随筆に委し、強て好色本    といふにはあらねど、標題に好色の宇あればここに加ふ〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、松の緑作・鳥居清信(一世)画とする〉    ☆ じへい すぎむら 杉村 治兵衛    ◯『新群書類従』巻七・p155   〝古今好色男 大本二冊 天和二年(1682)江戸板    下の巻に「右此枕(一字欠)双子は杉村氏治信真蹟秘術をつくし彼是集めて巻冊となし、首尾を加へ云    々」とありて、菱川が書風に似たり、曳尾庵の印本『江戸図鑑』浮世絵師の部に杉村治兵衛といふ者あ    り、彼が筆なるべしといへり、『図鑑』には正高とあり、治信後に正高と改めしか猶考ふべし、頭書に    吉原通ひの馬の事、吹矢町見世物の事ありて、江戸板なること疑ひなし〟    〈曳尾庵は加藤元亀、風俗随筆『我衣』、また『浮世絵類考』曳尾庵本でしられる。『江戸図鑑』は石川流宣、元禄二     年(1689)刊行の江戸地誌『江戸図鑑綱目』、その「板木下絵師」として「杉村治兵衛正高」の名がみえる〉    ☆ とものぶ いしかわ 石川 流宣    ◯『新群書類従』巻七・p165   ◇「好色江戸紫」の項   〝好色江戸紫 半紙本五冊 作者石川氏 中に画人古山師重の名あり。    〔補註〕葩雪曰、巻尾に、貞享三年(1686)八月吉日とあり〟     ◇「俗むらさき」の項   〝俗むらさき 絵入 半紙本五冊 元禄十一年(1698)印本 画師画俳軒流宣    流宣が画作なるべし、流宣は江戸の人なり。    さて此冊子は、元禄四年(1691)正月十三日芝白金の敵討なり、是より先き『江戸紫』といふ冊子出    板せし旨、跋にも見えたれば、俗は続の仮字歟、また文章の俗なりといふこと歟〟    ☆ はんべい よしだ 吉田 半兵衛    ◯『新群書類従』巻七・p157   〝好色破邪顕正 半紙本三冊 貞享四年(1687)印本    作者白眼居士。    好色本の世に行はるゝことを、よからざる事なりと難ぜし書なり、さて此白眼居士は東山の僧なり、西    鶴が門人団水が別号を白眼居士といひ、殊に同映代の人なれば、思ひ誤りつる事あり。『正月揃』とい    ふ書も、此僧白眼居士の作なるを、後に団水作と入木して彫あらためし本なり、是書房のさかしらなり。    〔補註〕松雲堂云、此『正月揃』旧年予が家より平瀬家へ納む、今同家の珍蔵なり、いとをかしき参考        の書なり〟    〈柳亭種彦は絵師に関して何も記していないが、国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は吉田半兵衛画とする〉    ◯『新群書類従』巻七・p158   ◇「好色訓蒙図彙」の項   〝好色訓蒙図彙 絵入 小本三冊 貞享二年(1685)と序にあり。    吉田半兵衛画作なり、遊女、手かけ、娘などゝ、其姿絵を書き、ことわけを書きたるものなり。    此書元禄以前のものなり、さるは元禄九年(1696)の印本『小柴垣』といへる書に「これほどがてん    のゆかぬことぞとしあんしてみれば夫よ好色きんもうづゐと外題して(一字欠)門の品々書たる本あり、    これにてなぞがとけた」と見えたり、『小柴垣』に此書を引たるを見るに、此書は元禄以前、寛文頃の    刊本と知るゝなり。    〔補注〕葩雪曰、序に洛下の野人作書、無色軒三白居士自序とあり。又末尾に、貞享三年丙寅後弥生吉     日 花洛銅駄坊 三右衛門 高辻 昆陽軒板とあり。此書後ちに再板せしなるべし〟     ◇「好色貝合」の頃   〝好色貝合 絵入 小本 貞享四年(1687)秋九月 書林【清兵衛/三右衛門】開板     全本を見ざれば冊数は知らざれども、元禄の『書目録』に二冊とあり、是『訓蒙図彙』の後編なり、先    に同じく半兵衛が画作にて、前編に漏れたるものを集む〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」によれば「好色訓蒙図彙後編」の角書がある由である〉     ◇「諸国色里案内」の頃   〝諸国色里案内 並因縁あげやしうくらい附 小本二冊 序に空也軒一夢とあり。    按るに、是匿し名にて吉田半兵衛が作歟、京郡の板なれば島原の事は甚だ委し、吉原の事は委しからず、    誤りもつとも多し、諸国の事猶更いぶかし、元禄『書目録』に三冊とあり、下巻に諸国の色里の図を載    せたるが闕けたるなるべしと思ふ事名面に見えたり〟    ☆ ひこべい とりい 鳥居 彦兵衛    ◯『新群書類従』巻七・p157   〝男色の染衣 四冊 貞享四年(1687)の印本    江戸松月堂不角作 鳥居彦兵衛画    島津数馬といふ少年主の(数字欠)を殺したりと、無実の罪に陥り、鈴ケ森にて罪せられし事を書たり、    作振り大に趣きあり、当時の街説なるべし。    〔補註〕葩雪曰、『杏花園書目』には、之をいの部に収め、単に『色の染衣』となして男の字を冠し居    らず〟    〈大久保葩雪の補注に言う、『杏花園書目』は、岩波書店の『大田南畝全集』第十九巻では『杏園稗史目録』を言い、     「読本部」「い」の項目に〝色の染衣 四巻 貞享四丁卯年、作者松月堂不角〟とある。(p473)また、同十九巻所     収の「識語集」、『色の染衣』の項目には〝蜀山按、貞享四年丁卯歳也。大和絵師庄兵衛者鳥居庄兵衛清信也。蓋書     林削貞享四字及大和絵師以下字而作新板也。今以異本訂正。蜀山人〟の識語がある。(p725)この大田南畝の識語のあ     る『色の染衣』は現在、京都大学図書館の所蔵となっているが、その奥書をみると、「丁卯歳仲秋下旬 作者松月堂     不角」としかない、その代わり赤字で「貞享四」と「大和絵師庄兵衛画」「日本橋南三丁目式部小路 近江屋(以下     数字判読出来ず)」とが加筆されている。おそらく南畝が入手した時点でこの加筆はあったものと思われる。南畝は     その加筆「大和絵師庄兵衛」を「鳥居庄兵衛清信」としたのある。これが『男色の染衣』の画工、鳥居彦兵衛を鳥居     庄兵衛清信と同人視する拠り所となったのであろう。もっとも柳亭種彦自身は鳥居彦兵衛画とするのみで、清信との     関係に対する言及はない〉
    『色の染衣』     (京都大学電子図書館・貴重資料画像)    ☆ ひしかわ 菱川    ◯『新群書類従』巻七   ◇「好色夢之助」の項 p163   〝好色夢之助 絵入 中本 紙数二十枚程あるを綴分けて上下とす 鱗形屋板夢之助といふ者、花より姫    を恋ひわび、末に夫婦となる物語なり。画風菱川に似たり、江戸作なるべし、己が見たる本は、年号を    削りたる跡のみあり、元禄年間の印本と思はる、作は今少し古かるべし〟
  ◇「姥揃」の項 p163   〝姥揃 絵入五冊 序に東都愚民遊色軒とあり。    一人は傾城には真実なき者ゆゑ、廓へ立寄るまじといひ、一人は傾城にも誠あるものなりといふ両人の    問答なり。    菱川の絵を入れたる本あり。又た絵は摺る時除きて、筆耕を継合せたる本あり、原摺の年号ある本は、    序に嵐三右衛門、伊藤小太夫の噂あり、又巻中に沢田おきち、菱川等の名あれば、元禄年問の作なるこ    と疑ひなし、後に享保寅の春と入木したる本あり、また此冊子も何とやらん、外題を替へしと、蜀山の    『さゝちまき』にありしが、今抄録を失ひたり〟    〈『瑣々千巻』は、文化八年(1811)、大田南畝が慶長以降の稗史(小説)野乗(民間史書)等の古書に関する書誌や     考証を書き記したもの。(『大田南畝全集』第十巻所収)だがそこにはこの『姥揃』に関する記事は見えない。斎藤     月岑、天保十四年十月の注記「右一の巻ばかりにして末の巻なし」があるから、その時点ですでに二の巻の方は散逸     していたのであろう。なお「日本古典籍総合目録」に『姥揃』はない。ただ遊色軒作として『諸わけ姥桜』(元禄五     年(1692)刊)という書名が見え、その改題本に『傾城千尋之底』(寛延二年(1749)刊)があるとするのだが、この     『姥揃』との関連は判然としない〉     ◇「香のかほり」の項 p163   〝香のかほり 半紙形 三冊 元禄八年(1695) 作者九思軒 画菱川なるべし。    紅梅之助といふ者、白菊といふ娘に馴染むる事を、和文やうに書きたり、考べきこと多くは見えず。柱    に(白)といふ字あり。按に例の外題直しにて、『白菊物がたり』といひがる歟〟
  ◇「花の盃」の項 p171   〝花の盃 大本一冊     菱川風の画〟    ☆ もろしげ ふるやま 古山 師重    ◯『新群書類従』巻七・p165   〝好色江戸紫 半紙本五冊 作者石川氏 中に画人古山師重の名あり。    〔補註〕葩雪曰、巻尾に、貞享三年(1686)八月吉日とあり〟   〈作者「石川氏」は石川流宣〉    ◯『新群書類従』巻七・p165   〝八助飛烏川    未見ども好色本なるよしは、『弁疑書目録』及び元禄五の『書日』に見えたり、『弁疑』には一冊物、    『日録』には二冊とあり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、古山師重>画・元禄年間の刊行とする〉    ☆ もろのぶ ひしかわ 菱川 師宣    ◯『新群書類従』巻七   ◇「恋の息うつし」の項 p170   〝恋の息うつし (一字欠)画 大本一冊 延宝五年(1677)    鱗がた屋板〟    〈柳亭種彦未見本。国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は菱川師宣画とする〉       ◇「若衆伽羅枕」の項 p153   〝若衆伽羅枕 二冊 延宝六年(1680)印行    男色の(一字欠)画なり、頭書に詞ありて香具若衆の(一字欠)など見えたり、画風は菱川に似たり〟
  ◇「枕ものぐるひ」の項 p153   〝枕ものぐるひ    闕本にて巻数時代知れず、是も菱川の画風に似たり〟
  ◇「恋のつり針業平」の項 p153   〝恋のつり針業平 一冊 鱗形屋板    画人の名は見えざれども、菱川に疑ひなき(一字欠)画なり、吉原の事など多くありて、春(一字欠)    中にては面白き本なり、末に業平秘伝といふことを載せたれば、外題に業平の名あるなるべし、梓彫の    年号なし。按に、天和元年の『書目』に『恋のつり針』一冊二匁【中ノ四十四ヲ】とあれば、延宝の印    本なるべし〟
  ◇「源氏きやしや枕」の項 p153   〝源氏きやしや枕 三冊或は一冊 延宝四年(1676)    一名『若紫』    源氏絵の春(一字欠)なり、菱川なるべし〟
  ◇「好色一代男」の項 p154   〝好色一代男 八冊 天和二年作(1682)    大坂板なるべし。    作者西鶴、画人吉田半兵衛、筆耕西吟なりと云ふ、跋は落日庵西吟とあり    世之助といふ者の一代記にて、好色本中の絶作なり、此書大に流行して、江戸にて重彫をなしたる本あ    り、原板は大本なり、江戸板は半紙本にて菱川の画なり。      江戸重板の奥書 貞享四丁卯年(1687)九月上句      大和絵師   菱川吉兵衡師宣      日本橋青物町 大津屋四郎兵衡板    又【好色】やまとゑの根元 上下     【日本】ふうぞく絵本  上下    といふ書あり、是も菱川が画にて、『一代男』の絵を大本に書き、文章を約めて頭書になしたるものな    り、闕本のみ見たれば巻数は知らざれども、取集て四冊なるべし。    按に、初めに『絵本一代男』として四冊刊行なしたるを、後に二冊づゝ引分て『やまと絵の根元』『風    俗絵本』と名を附けたるもの歟〟
  ◇「床のおきもの」の項 p155   〝床のおきもの 大本一冊    菱川筆、狂画の枕(一字欠)なり    鱗形屋板にて巻尾に菱川の名あり、年号ある本未だ見ず    〔補註〕葩雪曰、本書二巻に分ち上巻を『しあはせよし』下巻を『たからくらべ』と名づくと云ふ〟
  ◇「枕(絵)大全」の項 p155   〝枕(一字欠)大全 大本三冊 天和二年(1682)    山形や板    菱川なるべし、上の巻は扇の形、色紙形のたぐひ、いろ/\なる枠にて仕切り、中の巻よりさも無くて    頭書を加へたり、端本を取集めたるやうなれど、柱に薬と同じやうにあれば、さにてしもあるべからず〟    〈底本の(一字欠)を補い『枕絵大全』とする〉     ◇「好色法のともづな」の項 p164   〝好色法のともづな    作者磯貝捨君 画者菱川師宣    五冊なるべし、絵本のみを見る〟    〈「磯貝捨君」は「捨若」の誤記か〉     ◇「歌仙枕」の項 p170   〝歌仙枕 大本一冊    三十六番狂歌入(一字欠)画〟    〈柳亭種彦未見本。国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は菱川師宣画とする〉     ◇「大和のおほよせ」の項 p170   〝大和のおほよせ 大本一冊 天和三年(1683)月日 江戸堺町物の本屋 柏屋与市板    春(一字欠)ならぬ好色の絵本、頭書に歌などあり、序跋ありて、文中に菱川画と見えたり〟
  ◇「さゝげ絵枕」   〝さゝげ絵枕 大形本一冊 延宝板    師宣画、春(一字欠)なり〟