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日本編大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
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読み・名前分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
べっぽう
別峰
書・額字「(芝崎村)万願寺にいりて見るに、荒はてたるさま也。本堂の匾額に
 正徳元辛卯仲秋 東光山 輪住葉宝第十二代当山中興別峰見書 とあり」
〈鐘楼の銘に、享保の年号と鉄牛和尚の名が見えることから、この別峰は鉄牛の弟子の別峰元見と思われる。万願寺はこの当時無住、檀家もなし〉
扁額文化6年
1809/02/21
柴崎村 万願寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨195
べんけい
弁慶

弁慶像
「(府中、高安禅寺)尊氏公の木像あり。又弁慶の画しといふ掛物あり。弁慶、机によりて大般若を書写するさま、いかにも古雅なるものにして絹地也。弁慶、此寺にて大般若経を書しといふ。その経は五代目住持の時に焼失たりといふ」掛幅文化6年
1809/01/08
府中 高安禅寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨134

大般若経
「(菅村、寿福寺)源義経はた弁慶の筆といふ大般若経をみれば(中略)弁慶の筆といふは字体つゞまやかにして、筆つぎも正しくみゆ。紙は黄色にして、薄き紙也」折本文化6年
1809/01/23
菅村 寿福寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨151

大般若経
「(深大寺)源義経、弁慶、亀井六郎、伊勢三郎がッ書写せしといふ大般若経四巻、桐の箱にいりてあり。四巻ごとのはじめに、太申といへるもの宝暦十三年癸未のとしに修補して、うら打し箱に納めて置し事をのす。本紙黄紙にして、菅村の仙谷山寿福寺にてみし所にたがはず。たゞ寿福寺には折本にして巻舒の労なく、一巻/\の奥書をみるにやすし。この太申がうら打せし経は巻物にして、たやすくひらき見る事あたはず。やう/\一巻をひらきて末の方をみしに、書写の人の名なし。のこり三巻もかくやあらん」
〈南畝は太申なる人物を「市中の俗子にして、虚名をこのみし嗚呼のものなり」と評している〉
折本文化6年
1809/01/25
深大寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨214
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