Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
見世編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔見世編〕大田南畝関係
(遊郭・芝居・商家・料亭等)
【し】※◯は欠字、◎は表示不能文字
店名(屋号)詞書・詩歌出典巻・頁年月日
しきあん
四季庵
「四季楼。吉田生の韻に和す 四時風色満高楼 三派江流駐綵舟 忽見金盤新膾 擎来侍女倚牀頭」南畝集4
漢詩番号0710
③244安永8年
1779/08/
「中洲郭公【山道高彦会】みつまたの四季菴に郭公をきゝて
 ほとゝぎすなくやひとふたみつ又ときくたびごとにめづらしき庵」
〈山道高彦の狂歌会の会日は十日〉
巴人集
徳和歌後万載
②400
①26
天明3年
1783/04/10
「三叉江上人如酢 四季庵中魚躍淵 涼舟ここをせんどと漕ぎよせよあつさも中洲月の三また」巴人集拾遺②477未詳
「冬日、柳大夫と同じく九嵕の宴を四季庵に施す
 大海千帆酒一盛 臨流寒樹蔭柴荊 即今物換星移後 不改旗亭四季名」
「又 雲行雨散三叉市 物換星移四季庵 (以下欠)」
南畝集18
漢詩番号3827-8
⑤297文化10年
1813/11/
しこうらく
紫香楽 (中野)
「秋日郊行。 雨後荒村潦水懸 紫香亭畔起茶煙 盤盛緑芋新炊飯 莽蒼三飧腹果然 【茶亭有り。紫香楽を名づく】其五」南畝集16
漢詩番号3205
一話一言巻28
⑤110
⑭71
文化5年
1808/08/21
しちや
質屋
「質屋虫干 しちぐらにかけし地赤の虫干はながれもあへぬ紅葉なりけり」
〈『蜀山百首』①309『清好帖』⑳362所収〉
狂歌才蔵集①42天明7年刊
1787/01/
しもむらやましろ
下村山城
「下村山城によみてつかはしける 雪の花つやおしろいをかはんとて誰しも村に人の山城」放歌集②190文化9年
1812/05/
しゅせんろう
酒泉楼 (赤坂)
「春尽、鱸 文 猶人・高倉 載 雄偉と同じく赤坂の酒泉楼に宴す
 看過六十八春秋 一酔心如万戸侯 吾是酒泉新太守 下車先問主人楼」
南畝集19
漢詩番号4159
⑤391文化13年
1806/03/29
しょうせんてい
祥鱣亭
「大師河原の祥鱣亭にてむなぎくふとて 名にしほふ大師河原の高野には六十本もむなぎとりめせ
「大師河原平間寺の前をゆき過て、二三町斗に鰻鱺屋出来たり。祥鱣亭といふ額あり
【欄外、按、三鱣卿大夫服之祥を用ひしも、ことごとしく覚ゆ】
 名にしおふ大師河原の高野には六十本もむなぎとりめせ
 ともいはまほし 三月廿二日」
玉川余波
玉川砂利
②143
⑨329
文化6年
1809/03/13
同03/22
しょうかてい
松下亭
「初夏十二日、浪華の袴屋の諸子、邀へて城東の松下亭に宴す
 日本橋西松下亭 幕天席地学劉伶 人生七十須行楽 長夏清風酔未醒」
「又 肩舁雨霽喜清和 客有遨頭勧酔多 二八小鬟能解意 三絃偏唱浪華歌」
〈「幕天席地」は『世説新話』任誕篇 第二十三「我以天地為棟宇」を踏まえる。劉伶は酒好きの竹林七賢〉
南畝集20
漢詩番号4533
⑤500文政3年
1820/04/05
しょうかん
升勘
「升勘のみせに下駄をかふて【本所一ッ目なり】 ふみ切た鼻諸に下駄のかさざきは一ッ目二の口の村」放歌集②186文化9年
1812/04/
しょうざんしょおく
小山書屋
「春日、蓬萊楼の集ひ。喧甚だし。席を逃れて小山書屋を過り、五山の韻を和す
 為辞仙客避蓬莱 又向人間不酔回 深洞胡麻先喫飯 小山春桂好含盃」
「原詩 頑仙今日会蓬萊 不耐群喧逃得回 誰識人間別成趣 梅花樹下酔銀盃 五山」
南畝集17
漢詩番号3482
⑤195文化8年
1811ウ02/
しょうとう
松濤
「市谷酒壚 青帘緑樹接城壕 市上新亭命濁醪 細剪雪華河漏麪 滾湯投処聴松濤」南畝集13
漢詩番号2121
④212享和2年
1802/05/
しろきや
白木屋
「白木や夷講 〔欄外 日本橋白木屋〕【十月廿二日】
 西のみや神のみまへにかけ鯛をならべてすゆる台のしろきや
 柳樽さくら鯛をもこきまぜてけふぞ小春の若夷講」
「白木屋にて栄之のかける黄金の竜の富士の山をこす絵に
 としどしにこがねの竜ののぼり行ふじの高ねの雪のしろきや」
「同じく高どのに、白隠禅師のかける竹のはに鮎をつけたるゑに、鰷(アユ)は瀬にすむ、鳥は
 木にとまる、人はね酒の気をやすむ、と書せ給へるかたへに一首をこひければ
 惜いかな白隠和尚出家してさすがさびたる鮎はくはれず」
七々集
万紫千紅
②270
①293
文化12年
1815/10/22
しんかわ
新川
「新川米屋のもとより剣菱の酒を贈りけるに 入舟はいかがと案じわづらひし憂をはらふ剣菱の酒
 此比上方の洪水に酒舟のいりくる事なければなり」
〈下り酒屋。狂歌名・問屋酒船、俳号・春蟻〉
七々集②246文化12年
1815/08/