Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
見世編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔見世編〕大田南畝関係
(遊郭・芝居・商家・料亭等)
【か】※◯は欠字、◎は表示不能文字
店名(屋号)詞書・詩歌出典巻・頁年月日
かいこあん
蚕庵
「城東に一酒壚有り。蚕庵と曰ふ。戯れに賦す
 蚕月蚕庵不養蚕 繭仲蔵酒与魚籃 遍身羅綺揚蛾至 抽出三絃佐半酣」
南畝集17
漢詩番号3357
⑤159文化7年
1810/05/
「かいこ庵に酒のみて  山まゆのいとひきいだすかいこ庵酔ての夢は蝶とこそなれ
 たちかへりまたくふべしと思ひきや鱧のほねきり難波江の波」
あやめ草
千紅万紫
②72
①235
「神無月六日、蚕庵にて さみせんの糸ひきいだす蚕庵砕けてのちは蝶とこそなれ
「神無月六日、蚕庵にて、播磨屋新右衛門が扇に
 秋冬のまがね吹中酒のめと声はりまやの新月の色」
紅梅集②314文化14年
1817/10/06
かいてんかん
海天館 (品川)
鍵屋
「品川海天館に句を聯ぬ【児俶・吉見義方・榊原士立】
 海天春雨正冥々 覃 駅路無塵柳色青 俶 今日離筵須尽酔 義方 酔来惜別望前庭」
〈『改元紀行』⑧77「品川大仏の前なる鍵屋といへる高どのにて酒くみかはし、あるは歌よみ詩つくり聯句などして(云々)」〉
南畝集
漢詩番号1927
④152享和1年
1801/02/27
かいのや
海野屋(小田原町)
「小田原町海野やを賀するものあやまりて脇差のさやばしりけるを祝して歌よめと柳屋のこふにまかせて
 おさまれる四海野なみにさか月の玉の兎もさやはしるらん
 はまぐりのかいの口あく婚礼にみのいる豆のさやばしるなり
 筆のさやはしり書せん相生の松こそめでたかる口のうた」
放歌集②162文化8年
1811/07/
かぎや
楗屋 (品川)
「大仏前の酒家楗(カギ)屋が高殿にて眺望 大なるみほとけ前の高どのにのぼりてみれば九の品川」玉川余波②110文化5年
1808/12/16
かくそうろう
鶴巣楼 (麹町)
「春日、石仲車、邀へて麹坊の鶴巣楼に飲す。赤崎彦礼・稲垣恵明・爽鳩子允・萩野求之・馬景徳・辺道壱・岡故完・原子文・井子瓊・鈴一貫・春菶仲と同じく賦して佳字を得たり(南畝集7)
天明八年戊申二月廿一日、鶴巣亭に集ひ、韻を分かつ(遊娯詩草)
 共酔城西第一街 旗亭春色興愈佳 鶴巣自倚青松樹 魚藻誰歌碧水涯 坐上真遊無俗物 杯中勝地引吾儕
 四愁曾擬張平子 此日偏堪慰所懐」
南畝集7
遊娯詩草
漢詩番号1417
⑥295
③491
天明8年
1788/02/21
「春雪、佐賀書記石井仲車、麹街の鶴巣楼に邀飲す。頼千秋・樺公礼・関叔成・爽鳩子胤・稲垣恵明・西川子璉・井子瓊・源博甫・馬景徳と同じく賦す
 千里山河淡水交 東西未必歎懸匏 斗間神物高竜気 松下仙遊倚鶴巣 道送麹車多美酒 楼移厨伝命嘉肴
 酔来極目城門外 春雪霏霏散近郊」
南畝集8
杏園詩集続編
漢詩番号1591
④36
⑥91
寛政2年
1790/02/
かさいたろう
葛西太郎(中田屋)
「葛西太郎【角田川の辺、牛島といふ所に中田屋といへる酒家あり。みな人これを葛西太郎とよぶ。いけすの鯉に名あり】
 ふたつもじ牛の御前のむかふ島太郎が鯉は池の中田や」
巴人集
徳和歌後万載
②410
①32
天明3年
1783/06/
「葛西太郎に過る
 鳥居半ばは大川端に出づ  遥に指す三囲稲荷の壇
 蘆の葉刈り来て洗ひ鯉を盛り  蒲焼食ひ尽して長鰻(ウナギ)を割(サ)く
 葛西の名は太郎の鼻ん掛け  晋子(キカク)が句は百姓の肝を翻す
 晩(ク)れに向て船頭呼べども起きず  屋根舟の内只鼾(イビキ)を聞く」
壇那山人藝舎集①452天明4年刊
1784
かしわや
柏屋 (両国)
「夏日、玉梅女史、諸君を邀へて両国橋東柏楼に宴す。女史、画を善くす
 翠柏楼高両国橋 玉人彤管代瑶簫 請看煙火千竿戯 不及丹青一幅綃」
南畝集19
漢詩番号4180
⑤396文化13年
1816/06/
「両国ばしのむかふ柏屋にて玉梅の絵の書ぞめの会にあしいたみてゆく事ならねば
 たまたまの梅のはつ会折あしく臥たる竜の身をいかにせん
 いかにせん恵びすの紋の柏屋にゆかんとすれど足たたずして」
紅梅集②327文化15年
1818/02/
かめや
亀屋 (飯田町)
「飯田町の亀屋の夷講に、出店二軒の亀やも来れり
 本店に出店のけふの夷講三万年の亀や手をうつ」〈亀屋久右衛門、文宝の店か〉
放歌集
千紅万紫
②169
①248
文化8年
1811/10/20
かめや
亀屋 (紺屋町)
「紺屋町亀屋の天井に三升のかたある中に歌をかく
 はかりなき齢とぞみる千年のつるかけ升や万年の亀」
万紫千紅②274文化11年
1814/
かわちや
河内屋(楽屋新道)
「同じく(玉川座、助六狂言の時)楽屋新道河内屋にて
 狂言の山口三郎うら茶屋ものどかにかすむ楽屋新道」
〈玉川座、三月興行「助六由縁江戸桜」〉
紅梅集②362文政2年
1819/03/
かんしゅんろう
酣春楼
「夏日、酣春楼に過飲す
 漉紙橋頭売菜家 近来奇餞勧魚蝦 一盤葛子欺呉膾 千里蓴羹雑越瓜  路接大堤連蹝履 門容小隊酔帰車
 酣春日興王侯楽 不及都人士女奢」
南畝集16
漢詩番号3174
⑤103文化5年
1808/05/
「墨水に舟行して酣春楼に飲す。時に風雨驟に至る
 日本長堤墨水隅 金竜将雨過浮図 四時不負酣春興 肴満円方酒満壷」
「其の二 寄愁天上地理憂 二女絃歌一酒楼 西岸已晴東岸雨 残虹下飲墨河流」
南畝集18
漢詩番号3795-6
⑤288文化10年
1813/06/
かんてきろう
閑適楼
「秋日、舟行して閑適楼に過る
 似兼山野与江湖 二水橋東一草廬 不是主人停棹入 片時閑適有誰偸」
南畝集20
漢詩番号4557
⑤506文政3年
1820/08/
かんとうろう
観濤楼 (品川)
「秋夜、観濤楼に飯山侯の浪華城に加衛するを送り奉る
 千騎東方一使君 征途遥向浪華分 王山曙色辞朱邸 品海秋風送白雲 雄鎮時平人自化 高筵客満酒将醺
 今宵共餞観濤閣 把筆慙無七発文
 【侯の邸、大樹王山の南に在り】」
南畝集6
漢詩番号1282
③440天明5年
1785/07/
かんばやし
上林 (赤羽橋)
「赤羽ばしのほとり、上林といへる茶屋の額ねさくらの花をゑがきてうたをこふ
 馬くるま立場の茶やの名にしおふ花はみよしの茶は上林」
放歌集
千紅万紫
②151
①240
文化8年
1811/03?
かんりょうえん
肝涼園 (駿河町)
「するが町肝涼園の薬をたたへて 肝涼の円位上人ふじのうた三国一のくすりとぞきく」紅梅集②364文政2年
1819/04/